参話 満月の下の邂逅
再び目が覚めたのは夜になってからだった。
腕にまだ点滴がついていたので引き抜く。
もう完全に回復していた。
「超回復というか、自然治癒能力は人間誰しも持っているんだ。ただ君はそれが人よりも何百、いや何千倍もある。それだけだよ」
医者の言葉を思い出す。
「腕とかちぎれても生えてきそうなんだよね、よかったら一本ためしてみない? だめ?」
ふざけた医者だが、なぜか憎めない。
腕ではないが首がちぎれかけたと今度報告にいってやろう。
ベッドから降りようとする。
そのベッドの足元に、顔を埋めて寝ている少女がいた。
「あ、起きたんだ。カイ」
顔を上げるとツインテールの髪がぴょんと、跳ねる。
「ミナ、どうして此処に?」
飛行機事故で自分と二人、助かった幼馴染、田中 美奈がそこにいた。
あの時、彼女の身体に覆い被さり、自分がクッションになることで、衝撃を吸収していた。
発見された時、自分に包まれ、彼女は丸くなっていた。
「叔父さんに連絡したらここにいるって聞いたから、心配したんだよ」
あの事故以来、彼女の世話焼きは前にも増して酷くなった。
学校が終わって、そのまま来たのか、まだ、セーラー服のままだ。
出来れば、そっとしてほしい。
何度もそう言ったがミナはまったく聞こうとしない。
「早く帰ろう、カイ。私、ここ好きじゃない」
「うん」
ミナに手を引かれ、ドアを開けようとすると、ドアの向こうからなにかを叩く音がする。
そういえばヒノメがジムだと言っていた。
時計の針は深夜二時を指している。
こんな時間まで誰かが、トレーニングしているのだろうか。
「ここは怪物製作所だ」
ヒノメの言葉が思い出される。
あの大男みたいな怪物がゾロゾロいるのか。
まさか。
ドアを握る手に力が入る。
ゆっくりとドアノブを回す。
部屋の明かりはついていなかった。
ジムの天井がガラス張りになっていて月明かりのほのかな灯が差し込んでいる。
ジムはかなり広く、様々なトレーニング機具が置かれていた。
中央には大きなリングがあり、その横にサンドバッグが吊るしてある。
満月だ。
その満月の下、黙々とサンドバッグを叩く乾いた音が響く。
見惚れていた。
サンドバッグを叩くその姿に。
凄まじいスピードだった。
影がものすごい連打をサンドバッグに叩き込んでいる。
影のシルエットは女性だ。
色が黒い、日焼けによるものか、もともとの肌の色なのか。影のように真っ黒だ。
伸びた髪は後ろでくくられ、ポニーテールの髪が動くたびに跳ねる。
黒いスポーツウェアを着た黒い彼女が、まるで影が動いてるように、幻想的にサンドバッグを叩いている。
「綺麗だな」
思わず無意識につぶやいていた。
「何言ってんのよっ」
後ろからミナに叩かれる。
その声が聞こえたのか、それとも偶然か、サンドバッグを叩く手が止まった。
そして、こちらを見る。
「誰、あんた」
「伏見 (ふしみ) 甲斐」
いきなり質問され、フルネームで答えてしまう。
「練剛 牙子」
「えっ、キバ?」
「そう、キバコ。あんたはなに? 不死身かい?」
「いや、ふしみ、かい」
静寂が訪れた。
しばらくして何事もなかったようにサンドバッグを叩く彼女。
色々と質問したいが、難しい。
まず、練剛と名乗ったこと。
ヒノメは自分を殴った大男のことを練剛と名乗っていた。
彼女は妹だろうか、年は自分と変わらなさそうだ。
しかし、筋肉質のあの大男と違い、キバコの肉体はシャープだ。
サンドバッグを連打する腕が見えないくらいに早い。
「ちょっと、カイ、もう行こうよっ」
ミナが腕を引っ張るまで、呆けたようにキバコを見ていた。
「ああ、うん。お邪魔しました」
キバコに頭を下げ、ジムを出ようとする。
その時、キバコが再び話しかけてきた。
「あんたさ、兄貴に殴られて寝てた人だよね」
サンドバッグを打ちながら言う。
頷くとキバコは、にまーと笑った。
牙のような八重歯が見える。
笑い方が大男に似ていた。
やっぱり兄妹だ。
「ここで、鍛えるの?」
満月に照らされた黒い美少女の言葉に、思わず頷いてしまいそうになる。
「いや、自分は……」
「カイはそんなことしませんっ」
代わりにミナが叫んでいた。
「カイは暴力が嫌いなんです。だいたい頭おかしいですよっ。いきなり殴っておいて、鍛えろとか。何なんですか、あなた達はっ」
滅多に怒らないミナが興奮している。
「もういいよ、ミナ」
キバコはいきなりミナが大声を出したて驚いたのか、サンドバッグを打つ手を止めて、キョトンとしている。
「そういうことなんで、失礼します」
もう一度頭を下げる。
「あ、おい、ちょっと、お前、誰と……」
キバコがまだ何か言っていたが、最後のほうは聞こえなかった。ミナが自分を強引に引っ張っていく。
ジムから出るとそこは大きな公園だった。
外に出ても、巨大な満月は付いて来る。
満天の星空が広がっていた。
眠矢治水公園。
この街で一番大きな公園で、夏の終わりには毎年花火大会が開かれている公園だ。
去年まで、このようなジムは無かったはずだ。
最近、できたのだろうか。
「二度と、ここに来ないでね」
ミナがこちらを見ずに手を引きながらそう言った。
自分がジムで鍛えるのを嫌がるというより、人と関わるのを嫌がっている気がする。
もっとも言われなくても、ここに来る気はなかった。
鍛える気などない。
そして人とも関わりたくない。
必死に手を引く幼馴染。
その彼女の存在すら、自分にとってはどうでもよかった。