5節
気がつくと目の前には知らない天井が広がっていた。
フルーツの入ったバスケット。 花瓶に刺さった色とりどりの花。
長い夢を見ていたかのような浮遊感。
何があったのかを思いだそうとするとチクリと頭が痛んで、まるで記憶を掘り起こすことを脳が拒否しているかのようだった。
だがそれは長くは続かず、やがて意識を失うまでの出来事の記憶が洪水のようにして押し寄せる。
俺には全く身に覚えがないのだが、聞いた話によれば俺の記憶が確かだったあとのことは以下のようになっていたそうだ。
セツナはただひとりの少女を助けたかった。
己の劣意をぬぐい捨ててだした答えがそれだった。
だが吹き出した血の量には抗えず血の混ざる叫びと共に昏倒した。
その叫びはユーリには届いていた。
「せ…つな…さん…っ」
体は黒くこげているが、ギリギリの刹那に展開した防護フィールドにより、間一髪急所を逃れたのだった。
ピクリとも動かないセツナを見て慟哭したユーリが啜り泣く。
「セツナさん、セツナ…さん。」
距離が離れている上に、掠れたユーリの声は彼の意識に届くことはなかった。
はずなのだが、ユーリのディバージョンインカーネイトアイが白銀に輝き、名前を呼ぶ度にその光は強度を増していく。
それに気付くことなくユーリは泣き叫び続けた。
モンスターが襲ってくる可能性も考えることなく。
片首のアイスエイジツインドラゴンが切断された苦しみを堪えながら「ゴギャァアアア」と雄叫びを上げながら乱暴に首を振り回しつつユーリに向かって暴走し、ペガシスはセツナに向かって空から突撃してくるがユーリは気付かない。
二人を蹴飛ばす、あるいは踏み潰さんとするまさにその時だった。
セツナを中心として怪しくとぐろを巻きながらたちのぼる真っ黒い粒子が地面から舞い上がり、セツナの体を持ち上げつつうねりを上げたそれは敵二体の突進を弾き、遥か彼方へと吹き飛ばした。
「えっ…。」
ユーリはその場で固まった。
セツナの意識がないこと、下手をすると死んでいるかもしれないと心の隅では考えていたこと、初めて見る現象に対しての恐怖を抱いて自らの体が動かなくなっていることなどを含めてユーリは狼狽していた。
見えない操り糸のようなものにゆっくりと腹をブリッジ体勢から持ち上げられ、僅かに宙に浮き、だらりと肩を垂らした上体で静止する。
何が起こっているのかユーリには理解出来なかった。
セツナが生きていて、それを操っているのかとも思わなくもなかったが、恐らくそうではないことは誰の目にも明らかな程にその渦はドス黒く、全てを貪り食い尽くすかのように一帯を包んで上空に立ち上り、一周してからセツナの体に戻ってくる。
その黒い粒子の一つ一つが周りから精気を吸収して取り込んでいるかのような錯覚に襲われる。
事実としてそれは錯覚ではなくそのままであったのだが、ユーリにそれを知る由はなかった。
ぬーぅっ。という効果音が適する気味の悪い佇まいにユーリは僅かに後ずさる。
その引き下がった一歩に引かれるようにセツナの体もユーリに近付く。
数瞬の間にユーリとセツナの距離は僅かに一歩半となり、セツナの腕がユーリに向けて伸ばされる。
だが先程のように頭を撫でる訳ではなく、ビクッと身を縮ませたユーリの顔の一部である右目に伸ばされた。
いつの間にか強く真っ白に輝いていたディバージョンアイに向けて伸ばされたその手から更に伸ばされる黒い粒で構成された触手が、ユーリの体全体を包み物色するかのようにその心身を黒く暗く侵していく。
「キャッ、せ、セツナさん…?」
咽び泣くユーリに対する返事はなく、その黒き触手はユーリのディバージョンアイの光を覆い、セツナの左手はユーリの顔面へと突き放たれた。
「んあっ…」
突然の攻撃に喘ぐが血が噴き出す訳でもなくただただ黒い光が体全体を覆っていた。
セツナの腕がユーリの後頭部を貫通して突き抜けている程埋まっているが、その手は未だに奥に届かずに進んでいく。
二の腕の後半まで突っ込んだところでやようやく何かを掴んだかのようにセツナの体がピクリと反応すると、その腕は一気に引き抜かれた。
「はぅっ…」
何かを引き抜かれると同時にユーリの体が背面に傾きゆっくり地面へと向かう。
その体をセツナの【右腕】が支えた。
食いちぎられたはずのその右腕はユーリの片腕同様に鋼の疑似アームがくっついていて、その手先から伸びる指は大理石のように白く艶のある光沢を放っていた。
【右足】も同様に変な角度に曲がっておらず、服の上からなのでよくはわからないが正常に機能しているようだった。
一方ユーリの右目にはディバージョンインカーネイトアイはなく、闇が渦を巻いて奥が計り知れない。
ユーリの右目から引き抜かれた球状のソレはセツナの手から離れて宙に浮いていて、ユーリの髪と同じ色の温かい光を放っている。
その光の玉にセツナの左手及び黒い粒子の触手が伸ばされ、その光を完全に包み隠したところで変化が訪れる。
ゴプ、ゴポポと液体ジェルが排水溝に流れ込む時のような不快な音がセツナと気絶したユーリの上空で広がる。
だが、頭上だけではなかった。
ユーリの体も同様の音を立てながら、液体が沸騰するときのように皮膚がボコボコと膨らんで隆起してはもとに戻るといったことを繰り返していた。
直後、頭上から一気に黒い光が拡散する。
それに伴うかのようにセツナとユーリの体も闇に包まれ、それは暗黒の粒子に包まれた球体となった。
真っ黒な球体が卵の殻からヒナがかえる時のようにピシピシと割れ目が入り、中から紫色の光が漏れ出す。
バリバリバリバリバリバリと耳障りな音と共にその殻は次々に地に落ちて中身を露にする。
そしてその闇が開けた時には、セツナが立っているのみでユーリの姿は消えていた。
だが完全に消えたというわけではなかったのだ。
セツナの右肩からはユーリの顔にあたるパーツが突き出していて、二つの曲線が二の腕あたりからでているが、しかしそれは腰までであり、それより下はセツナの腕の中に埋もれている。
ユーリは今のセツナの極太い腕の中に取り込まれてしまい、まるでフィギュアの色をコーティングする前の粘土のような、あるいは石膏像のようなグレーの胸像と化している。
何が起こったのか誰にも分からない状況であり、特にセツナ本人は未だ気絶していてこの出来事事態覚えてはいなかった。
フシュウフシュウと音を立てて少年の体が宙に浮かび上がる。
少女が埋もれたその腕の先には一振りの太刀が抉り(えぐり)込んでいた。
ユーリ、セツナの右腕、太刀が融合したそれは、ユーリの腰周り丸々を納めた太いその体躯をまるで生きているかのように、ドクンドクンと浮き出している血管の脈動を波打たせていた。
素人目ではアレが右手に宿る寄生型モンスターだと見誤るかもしれない。
それほどまでにソレは禍々しく、今にも噴き出しそうな剥き出しの黒い欲望を己の内に溜め込んでいるようだった。
だが次の瞬間、セツナのその【右腕】が持ち上がった。
太刀を天空に突き立てるように腕自身の意思でうねりながら起き上がる(かのように見えた)ソレはまるでミミズ、いや龍だった。
ゴプゴププププ。
体と平行になるまで持ち上がると、その先の太刀が怪奇なる音を立てて腕の中に沈んでいく。
ズププププププ。
代わりに指の無いその先からは、固定砲撃の筒の先が奇妙な音を立てて現れる。
ドックン!!!!
腕が一度激しく脈を打つと、それに促されたかのように筒からは重い鉄(?)の玉が放たれる。
バヒュウウウウウウウウン。
それは天空に打ち上がり、数秒後。
バアアアアアン!
まるで花火が破裂するかのような爆音を立てた。
打ち上げ花火さながら閃光が辺りに放射状に拡散していく。
だがそれの花火との違いは異常に速いスピードで落ちてくる隕石のような火の玉だった。
流星注ぐかのような高速の弾丸が散らばり千体どころか数千はいたモンスターのほぼ全てを殲滅していく。
だが、それだけでは収まるはずがなかった。
その火の玉はモンスターへホーミング(追従)して向かったわけではなくただ広範囲に行き渡るよう無闇に放たれただけであるため、当然モンスター討伐に当たっていた仲間へもその標的は向かう。
轟音を伴って打ち上がるそれを見て、いち早く察知したティンクが無線で仲間に知らせる。
「マズい。全員空からの異常事態に注意せよ!何かデカいのがくるぞ!」
アイリス、クレアを含めたメンバーの全員が上空を見上げた。
空を高速で移動し、戦闘から離脱する。
雲の遥か上空に放たれたそれは拡散して方向を選ばずに、ただひたすら攻撃範囲面積を広げるために一帯を飲み込むかのように上空に隙間なく飛んでいく。
メンバーはかわしたり弾いたりするが、その隕石の圧倒的な数と巨大さに大きな被害が出た。
戦闘員53名中、負傷者33名。
死者3名。
この死者3名はモンスターにより殺されたのではない。
全てセツナから放たれた砲撃が要因でその命を遂げた。
ある者は砲撃が上空に上がる際、セツナとソレの直線上にいたために直接被弾して跡形も残さずに消し飛んだ。
またある者は砲撃の一粒が翼を穿ち、飛べなくなったその者は地に叩きつけられて死んだ。
三人目はモンスターを振りきれず、かつ降り注ぐ弾丸にも気をつけなければならかった。
その者はモンスターの牙を避けた際に飛んできた己の体程大きな弾が背中に衝突し、灼熱に焼かれながら落下の勢いで地面へと追いやられ、隕石ごと爆発して死亡。
それでも僅か三人に被害が留まったのは彼らの仮想世界慣れした優秀さによるものだろう。
セツナの体はその行為を終えたのちに地面に突っ伏したが、それを襲うモンスターはなく、残り十数体となった雑魚をティンク率いるメンバーが掃討したことにより命をかけた戦闘は収束した。
倒れたセツナの両目には、異なる形の白と黒のディバージョンインカーネイトアイがそれぞれ装着されていた。