第1章 1節
「あーあ、惜しかったのになぁ」
幼馴染みの藤ヶ崎京が先の戦闘に対してぼやくが俺はそれを無視して上着を着替えた後にネットカフェを出る。
うるせえ、お前に言われなくても分かってるんだよそんなこと。
と頭に浮かんで溜め息をつく。
「いかん。イライラするのはよくないな。」
負けたイライラというより、武器を弾いたあとほんの一瞬気を緩め、油断した自分自身が許せなかったのだ。
京がスタスタとついてくる。
「あの隠し武器凄かったよなぁ。」
「…。」
そう、俺はその隠し武器にトドメを刺されたのだ。
明らかな殺気を持った右手の細剣は囮で、本命は左手に隠された透明のレイピアだったのだ。
その透明さは輪郭が見えるようなものではなく、完全に背景と同一化していて気がつかなかった。
そもそもあんなシステム外スキルを使ってくるとは思いもしなかったのだ。
といってもシステム外スキルは大会においては本来使用禁止なのでその武器の特性か何かだろうが。
敵のアバターネーム【clear】のもつ意味は透明であることが分かったのだが、当人の瞳は鮮やかなコバルトブルーで、隙間から覗く髪は艶によってか黄金のように光っていた。
猫耳のついた可愛いフード付きの上着とマスクは黒で、履いている短パンは深緑。
そこから覗く艶やかな白い艶のあるももの下には白地に黒の水玉のニーソと踝までの紐付きの茶色のブーツ。
VRMMORPGの衣装相応しくないような私服さながらで、明らかな有色のその成りに苦笑を漏らす。
俺の思考を半分ほど呼んだ隣の女がキシシシと小憎らしく笑って肘でガスガスと俺の二の腕をつつく。
「女だからって油断したってか?」
「ケッ。」
否定するのも面倒くさい。
俺は全力で闘った。最後の一瞬以外の全て。
だが相手のほうが一枚上手だったのだ。
残り25位以内の奴の戦闘を視察してその内ほとんどの戦闘スタイルを把握していたからわかる。
クリア氏は決勝まで一度もあの透明な細剣を使用することなく勝利している。
確かに思い出すと、観察している時から凄まじい動きと僅かに戦闘スタイルに違和感を感じていたがその正体がまさか。
「二刀流だったとはなぁ。それも細剣の。」
はぁーっ。という溜め息が自然と漏れる。
二刀流というのは基本的に片手剣二本であり連続攻撃を得意とするが、片手剣以外の二刀流を使っているプレイヤーを見たのは初めてだった。
何故ならゲーム内に実装されている二刀流は片手剣でしか装備できないようになっているからで、それ以外は装備可能な武器は一つのみとされているからだ。
だがあの場は違ったということになる。
世界がとりもつ公式大会の場として新たに儲けられた誰でも無料でインストール出来る仮想のフィールドで、それは古代ローマに設計されたコロッセウムによく似ているがそのデカさが異常で、収用人数は無制限。
というのも観客は仮想の実体の無い体でログインするように設定されてあるため、他人とぶつかることはなく、また視界カーソルを設定すれば戦闘が行われるフィールドをまるで目の前で見ているかのような臨場感を味わえるとともに、自分の視界に他人が入らないように出来る。
それでいて戦闘のボイスがクリアに聞こえる上に観客の沸く声も耳に届く(両方とも耳に届く音量を設定可能)ため、コンサートやスポーツさながらの【実際に行った】という感覚が得られるのである。
更なるオマケとしてどういうロジックなのか闘っている人間、つまりはあの決勝では俺とクリア氏の視界に割り込むことができ、まるで自分自身が闘っているかのような興奮を味わうことができる。他人の視界に割り込むなぞ人類の叡知というのは行くとこまで行けば末恐ろしいものである。
かなり思考がそれたところでもとに戻す。
そのコロッセウムの中は通常のゲームと違い、細剣でも二本装備することが出来たということだ。
自分がプレイしているゲームの所持装備データを実体化して、装備フィギュアに装備するわけではなく、実際に手に持って闘い、防具は防御力が発生しないようにされているため、無駄に重くなるだけなので素晴らしい能力が付加されていない限りは装備する意味はまるでなく(能力持ちの武器防具はほとんどが禁止されているが)、本選ではほとんどのプレイヤーが動きやすい服装をしていた。
(予選時にはコスプレ目的なのか色んな装備をしたプレイヤーもいるにはいた)
装備フィギュアを見てレイピアを装備すると通常二つある武器スロットの二つ目にはバツ印が付けられるため、レイピアの二刀流はどのゲームにも存在しない。
そういう意味もあって、レイピアはそれ単体という固定観念があり、更には装備フィギュアを開くわけでもなく実際に手に握って闘うので片手剣以外の二刀流がある、いや、二本手に持って闘う奴がいるとは想像することすらできなかったのだ。
また、普通の細剣使いは個人によって多少は動きに違いが出るものの、彼女(?)のそれは少し違っていた。
左肩を庇うように内側に捻った左腕をダラリと垂らし、ユラユラ前後に揺れるフットワークで右腕に収まる細剣カテゴリーである武器のレイピアを高速で打ち出すそのスタイルが二刀流だったとは予想だにしなかったのだ。
恐らく俺に使った時のように余程のピンチでない限りはこの大会で使う気すらなかったのだろう。
何故なら一度使ってしまえば周囲がそれを認知し、透明な細剣は役に立たなくなる。
つまりMMO人生で一度きりの諸刃の剣であるからだ。
そうまでして優勝しなければならない理由が彼女にはあったのだろう。
控えめな色合いをした服装とは真逆の圧倒的な存在感と威圧感。
可愛い見た目からは想像することすら出来ない鬼神さながらの刺突攻撃。
どう見ても対戦を楽しんでいるとは思えなかったその女の目は怒り、あるいは苦しみを帯びているようだったと俺の記憶が訴えていた。
現実世界では整理現象以外でなかなか出すことの無い携帯端末【クロスデバイス】を取り出す。
この端末により現実世界の知り合いとコンタクトをとるだけではなく、今まさにこの瞬間仮想世界にいる人間とコンタクトをとることが出来る、これまた最先端な人類の叡知というやつである。
取り出して画面を一度スライドさせるとその端末から黒い豆粒のような物が飛び出し、耳元で滞空したそれから口許に向けて曲線を描きながら棒のような物が伸びる。
「ワンセグ、チャンネルはMMOTV。」
デバイスに搭載された人工知能が俺の口から発せられた言語をきちんと理解し、僅か一秒後にはその機能を完璧に再現してみせた。
画面が拡大してホログラム映像として展開される。
移動ポットというカプセル型で、現在世界のどこにでも1時間以内で行ってくれる乗り物に乗った俺達はその内容に耳を澄ませた。
『優勝したご気分はいかがでしょうか?』
『今後どういった活動をされていくのですか!?』
などというリポーターの詰め寄る先に隠れた身長は決して高くはない少女は無言だった。
少女の対応に俺は先程の燃えるような蒼玉と彼女の中に感じた違和感を思い出す。
「なにがしたいんだろうなこの女は。」
一緒に覗いていた京が不思議そうに唸っているが、あの瞳の中の彼女の意思は異常なまでに固執した何かを含んでいるということだけは俺には分かった。
それが何なのかは解らないがそのズレが態度に出ているような気がした。
映像に映る彼女の表情は喜びでも感動でもなく、哀れみと憎悪、そして悲しみだった。
その表情に記者たちも何らかの思いを抱いたのだろう。
『その表情は優勝して当たり前ということでしょうか!?』
その言葉に女がピクリと反応する。
すぐそのあとに右手を前に突き出しヒラリと横にスライドさせながらキレイなハスキー声で発した言葉は
『ログアウト。』
だった。
辺りは静まりかえった。
何故なら仮想世界の頂点に立った人物がヒーローインタビューにすら応えずにその場所から姿を消したからに相違ない。
異例の事態に戸惑う記者たちは互いに顔見知りもいるだろう記者群の中で、どう記事を作るものかという愚痴とも嘆息とも言えぬ雑談に移っていた。
そこで移動ポットが俺の家の近くに到着したので、それを機にデバイスをスライドして呟く。
「シャットダウン。」
ホログラム映像が閉じるとすぐに画面が真っ暗になり、耳許で浮いていたそれも元の豆粒に戻り、携帯端末に吸い込まれていく。
「ふぃーっ。終始不思議な奴だったなぁ。」
ポットから降りたあと不思議な女、京が伸びをしながら言う。
「お前が人のことを言えんのか?」
「イシシシ。それな。だけどアイツはアタシ以上だとおもうけどねぇ。」
「どうかな、おまえも相当イッてやがるからなぁ。」
ガスッという本来聞こえていいはずのない音が俺のふくらはぎから鳴る。
「んぎゃっ!な、なにしやがる。」
「なんかムカついたから。」
淡々と答えた彼女を見ると蹴り飛ばした満足からか満面の笑みを浮かべていた。
京を恐らく微妙な表情になっている顔で見つめてから溜め息をつき、移動ポットが飛び交う上空を仰ぎ見る。
「昔はもっと空は青かったらしいぜ。」
「みたいだね。」
「海ってのがあったんだってな。」
「みたいだね。」
「山登りって楽しかったのかな。」
「どうだろう。運動するにも効率が悪いし遭難して死ぬ人もいたみたいだし。」
海や川や空は俺達にとって最早本やゲームの中の世界でしかなかった。
ゲームの中で海を泳ぐことはあっても、この現実世界には自然という概念は一切なく、空気は全て人工だし、食べ物もボタン一つで生成されるようになっている。
ただ食べれば太るということだけは仮想世界とは違うのだが。
俺達現代人は食うことには困らない。
何故ならその食料の生成は無から作られているのでコストがかからない。
これも全て【世界の脈の流れ】というものを解析した結果だというが俺にはなんのことだかさっぱりだ。
とりあえず自宅近くの公園に備え付けられた自販機に寄りボタンを押して操作すると、自販機の取りだし口からボックスが現れる。
ソイツを既にベンチに腰掛けていた女にも放ってやる。
「ありがと。」
と言ってクロスデバイスを開いてその箱にかざすと、クロスデバイスにメニューが出てきて検索ワードに引っ掛かったそれをピックアップし、味の種類や濃さ、調味料などを10段階で調節する。
すると京の手の中のボックスから出現したのは【ハンバーガー】だった。
「照り焼きソース濃さ10、七味唐辛子MAX、マヨネーズ限界量。ハバネロソースに自分でアレンジしたセイントソースのコレはマジ神だよ!」
やたら濃くて辛そうなそれにかぶりつく友人を見ていると、こちらが汗を吹き出しそうになるので視界に入らないように下を向いてボックスにクロスデバイスをかざす。
俺が選んだのは【たい焼き】だ。
全て通常のレベル5に設定して取り出す。
ゲームのあとに食うたい焼きはこれ以上の幸せは無いと言わしめんほどの幸福と満足感を俺に与えてくれる。
アイラブたい焼き。
ギブミーたい焼き。
噛み千切ると中の餡が顔を覗かせる。
うめぇええええ。
俺の感動(半分現実逃避)を無視してハンバーガーを食べ終えた京がはふぅと一息つく。
「あれからもう2年かぁ。」
「そうだな。」
あの大戦から2年が過ぎていた。
俺はかつての自分を責めて、もっと強くなることを決意した。
二度と誰にも負けることの無いように。と。
その思いは固く、つい昨日までPVPでは無敗の記録を続け、最強を名乗るのに残るは決勝のみとなった先の大会で俺は負けたのだ。
二本の細剣使いによって。
思い出しただけで自分に腹が立つので今日のことは忘れるように心がけよう。
俺のスポンサー希望だった奴らのことも忘れて。
どうせ奴らは細剣使いを追っかけ回しているに違いない。
そんなことを考えながらも俺は二年前のことを思い出していた。
現実的仮想空間からログアウト出来なくなっていたあの日のことを。
仮想世界。
またの名をVRワールド。
人口的に異世界を創り出すこの技術は幾度となく、科学者、技術者たちが断念してきた研究分野である。
だが、100年程前に現れたとある天才発明家のチームによりそれはほぼ完成にいたる。
紆余曲折ののちにその技術は世界中に広まり、数多の仮想世界を創り上げてきた。
俺、梶原流星は父親の影響もあり、物心ついた頃からVR世界に魅せられていた。
この世界では己の肉体を動かして遊ぶことの出来るゲームが数数えられないほどに存在し、その中でもモンスターを倒したり、武器を生成したりetc…するMMORPG(大規模オンラインロールプレイングゲーム)、この世界ではVRMMORPG(バーチャルリアリティー大規模オンラインゲーム)がこの世界が構築されてからずっと流行っていて、こちらもかなりの数が出回っている。
俺はその手のジャンルのゲームをこよなく愛し、そしていつしかリアル(現実世界)でもそのことばかりを考えるようになっていた。
そうしていつものように、仮想世界に構築された学校からログアウトポイントに帰ろうとした時だった。
目の前の十字路で自分が通っている道と垂直に交わる交差点を一直線に衝撃波のようなものが通りすぎていった。
俺はMMORPG慣れしているためかほとんど驚くことはなかったが、周りは違う。そして何があったかをコンマ1秒後に把握すると、この光景の異様さを感じて背筋に冷気が走る。
なぜなら学校のような公的機関がある現実的仮想世界と仮想ゲームの世界は確かに切り離されているはずだ。それなのに何故。
刹那、その衝撃波に吹き飛ばされるように一人の少女が飛んで来た。
片眼に何かの機械を付けていて、両腕を顔の前で組んで、何かから身を守るようにして飛ばされている少女は俺を一瞥し…いや、路地の方を見たのだろう。
十字の道を見て身体を大きくひねってその勢いを使って回転し俺が通っている直線側に入り込むと壁にガスッと音を立てて背中から衝突した。
「ぐぅっ…。」
その少女は一瞬呻いてうなだれた。
彼女の衝突と同時にカラカラカラと地面をなぞる音がして、何かが俺の足下に転がってきた。
それはぶつかった衝撃で落としたとみられる片眼の機械だろう。
僅かに後ろを振り向くと下校中の生徒たちが今の光景を見て唖然として立ち尽くしている。
彼女に最も近かった俺は歩み寄って体を揺する。
「お、おい!大丈夫か?仮想世界なんだから痛くは…ないよな。」
そう、この仮想世界には痛みを遮断するシステムが働いているはずなのだ。
故に痛み、及び貧血などによる気絶はあり得ない。
では、何故それは起こった?
事実として今彼女は頭から血を流して…
そこまで考えたところで思考が停止する。
待て。おかしい。
彼女だけが何か違う。
その違和感に気付くのにさして時間はかからなかった。
この仮想世界のものは全て、現実世界と区別出来るようにあえてポリゴン、つまりゲームのようにほんの少し肌や服が気にならない程度に角ばっているように設定してある。
だが、目の前の少女は明らかに違っていた。
ミルクティのような髪の色、そしてその絹のような滑らかさと艶。
肌はしっとりとしていて、血と汗で貼り付いて垂れた髪の間から垣間見える彼女の顔に桜色の唇と曲線を描く頬。
そして、体から滲み出た艶が光沢を帯びていて艶やかに輝いていた。
まるでこの娘だけがこの世界から切り取られている。
そんな錯覚に陥りそうになるほどこの少女はホンモノだった。
限りなく現実世界に近いその少女は、この世界ではあり得ない【血】を流している。
そして日常生活を送るための現実的仮想世界では設置不能なシステムである、ゲームの中でしかあり得ない突風が彼女を襲った。
つまりは…
ザシュッ。
耳元で何かが切り裂かれる音を聞いた。
切り取られたそれは放物線を描きながら落下して俺の視界の端に入る。
あれは…耳…?なんで耳が…?
時間がゆっくりと流れるような感覚に包まれるが、自分の左耳の焼けつくような熱さに思考回路を吹き飛ばされる。
「がっ、があ…っあ、あああああ…」
そう、千切れて飛んでいったのは俺の耳だった。
この世界では痛みを感じないはずなのに、本当に切り裂かれたかのように血が吹き出す。
ただし俺の方はホンモノの血とは言えない仮想の血(赤いポリゴン片)だったが、現実では味わったことのない程のホンモノの痛みがジグリジグリと左耳を刺激する。
鼓動があり得ない早さで脈を打つ。
まるで現実で通り魔にあったみたいじゃないか。
千切れた耳は地面に落ちると、自分がよくプレイするゲームと同じようにバリィィンという破砕音と共に白銀の光を伴ったガラス片となって爆散した。
「あぐっ、ぐぅ、げぁっ…」
声にならない呻き声を上げ、その場をのたうち回る。
痛ぇ、痛ぇんだよ!
なんだよコレ!!はぁ!?え、ウソだ!耳ががががががが…
なんで、耳が。俺の耳が切り飛ばされないといけないんだ…
クッソがぁっ!!!
声がでない上に変な寒気が身体中を突き抜け、更なる追撃から身を守るため、そしてそのため、状況を把握するため、舌を噛み千切るほどの勢いで歯の間に挟んで一旦痛みに堪える。
そのまま立ち上がると目の前に見たことのある動物が立っていた。
ブルァッブルァッと鼻を鳴らし、勒をパカパカ鳴らしているソレは、馬に見かけがよく似てはいるが明らかに異なる点が一つ。
頭に一本の鋭い白銀の角を携えていて、それの周りには光の粉のようなものがキラキラした光を放っている。
俺はその幻獣を知っていた。
何年か前にプレイしたVRゲームのモンスターの内の一匹で、白銀の一本角に風を体中に纏い、真っ白な体躯から伸びた首筋にはエメラルドグリーンのフサフサとした毛が自らが纏う風に揺られている。
その名前は【ブラストウィンドユニコーン】突風の一角獣だ。
でも、何故コイツがこんな現実的仮想世界に紛れ込んでいるんだ?
サーバーが違う云々じゃなく、根本的に住む世界が違うはずのこの世界に何故。
まともに考える暇もなく、
ビヒヒヒヒヒイイイィィィイン!!
という雄叫びと共に前足を振り上げた。
「ちょっ、待っ…」
一旦待てという俺の願いも虚しく、その前足は降り下ろされる。
ドゴッ。
という音と共に俺は吹き飛ばされる。
ただし、ユニコーンの前足にではなく先程まで気絶していた少女の左足による回し蹴りによって。
器用に何かの武器でユニコーンの前足を防ぎながら、片足を振り上げていた。
薄いピンクのスカートがヒラヒラと風にたなびく。
僅かに細めた眼の先に見えたソレは純白だった。
「っぐぉあ…!?」
視認できたことがむしろ奇跡だったろう。
ソレほどまでに彼女の蹴りは凄まじく、音速と言っても言い過ぎではない程に速く、かなりのキレがあった。
「少し退いていて下さいね。」
飛ばされながら見える彼女の綺麗に整った桜色の唇がそう動いているように見えた。
ドゴッ。
「っぐ、痛ってえなぁ!」
壁に打ちつけられた俺は、またしても痛みがシステムによって吸収されないことに歯噛みし、軋んで痛む肩を撫でた。
そんな俺を意に介することもなく、彼女はユニコーンと闘っていた。
だが、あんなに素早く動いているのが不思議なくらい既に彼女はボロボロだった。
その俊敏な動きはまるでゲームの中に入り込んでモンスターを狩っているかのような感覚にほんの一瞬囚われたが、耳の痛みを筆頭にして軋む体が訴える。
ゲームなんかじゃない。
今起こってるこれは全て現実だ。と。
まさか、あり得るのか?
何らかのエラーで繋がっちまったのか?
ゲームとこの世界が。
ブンブン。
頭をふり(耳の激痛には耐えられなかったが)思考を加速させる。
まずは何故コイツがここにいるかじゃない。
どうやって排除するかだ。
彼女はあの片眼の機械以外に何も持っていなかったはずだ。
なのに何処からか双剣を取りだしヤツと闘っている。
最早答えはひとつしかなかった。
俺にはなにも出来ない。無力だ。
ただ見ていることしか出来ない。
無力な自分を嘆き、何らかの能力の覚醒を嘆願するしか出来ない。
そんな憐れな普通の一般の多数派の中二病の少年でしかなかった。
そんな一般人とは異なる美少女は滑らかな動きでユニコーンの懐に潜り込み、何かを叫んだ。
「スタースライサー!!」
恐らくボイスコマンドだと思うが、そんなもの普通ならこの世界じゃ何も起こらず、周りから痛いものを見る目と心地の悪い静寂をプレゼントされるのだが、それはあくまでも【普通】のはなしであって、今はそれとは全くかけ離れた、異常事態であるからして…
彼女の両手に握る双剣が光る。
これでもかというほどやたらと光る。
左手側が赤、右手側が青というオッドアイならぬオッドソードだなとくだらない考えを抱く。
キュイイイイイという心地好い効果音と共に強力な奥義が発動した。
右手の剣が右から左へ水平に切り裂いたかと思うと、その瞬間に元にあった空間に戻ろうと右手の剣が敵の腹を切り裂きながら技を発動した当初の空間へ帰り、更に左の剣が左下から右上に繰り出される。
ユニコーンが悲鳴を上げて仰け反るが、彼女の剣の光かたからして恐らくまだ攻撃は続く。(というか知っている)
左手の剣も元の空間に戻るようにユニコーンの首筋を抉り(えぐり)それに連られて右手の剣が右上から左下へと降り下ろされる。
その勢いに任せて身を捻り、独楽のように回転し、左、右の順に敵の首を更に深く切り裂く。
双剣スキル 七連撃 スタースライサー
かつて幾度となく目にした技だった。
あれは俺が最もハマった仮想ゲームの奥義の一つだ。
ボイスコマンドにより発せられる必殺技のカッコよさが魅力的なゲームだった。
だが、とある理由によりそのゲームの正式サービスは僅か一年で閉鎖されてしまったのだが、それはまた別の話。
ユニコーンの切り裂かれた首筋の断面から赤いポリゴン片、ではなく、鮮血が吹き出した。
喉笛というものがあるのかは知らないが、人間がその場所を切り裂かれたら同様の音がするらしい(本やテレビで見ただけだが)、ヒューヒューと微風が凪ぐような音を立てながら、その喉は酸素を欲していた。
何度か苦しそうに喉から音を立てたあと、ドスンと重みのある音と共にその場に倒れ、絶命した。
ゲームの中では切り裂かれた俺の耳のように爆散するはずなのだが、この世界でソイツはいつまでもその場に残っていた。
何故だ?
いや、そもそもここにコイツがいること事態が怪奇現象なんだが、モンスターが血を流し、更にその死体がこの場に存在し続ける。
なんなんだ。何が起きている。
俺が持たない解答に、いつの間にか近付いてきていた彼女が応えてくれた。
「あの、驚きました?」
凛として、それでいてキツくなく、甘く耳に心地好い声だった。
「あ、あぁ。ッツっ!?いってええええ!!」
想定外のことが連続し、暫し忘れていたが俺は耳を切り飛ばされていたのだった。
まぁ、ゲームと同じくログアウトすればリアルワールドの俺の耳は健在で、次回のログイン時にこの現実的仮想空間でのこの耳も復活していることだろうと、痛みに顔を歪めながらも楽観的に考えていると、背筋のピンとはった体制が崩れ、塀に寄りかかる彼女から無慈悲の鉄槌が下された。
「あの、残念ですがあなたは今後二度とログアウト出来ないんです。。」
「へ?」
待て、コイツはなんと言った?
ログアウト出来ない、って。
いやいやまさかな。何かの聞き間違えに違いない。はははは。
「えっと、あなたはこの仮想世界からログアウトできないって言ったのですが…あの、伝わりましたか?」
少女が175センチという平均身長レベルの俺の顔をかなり下から覗きこむ。
恐らくは150センチそこいらの女を見つめながら思考はほぼ停止していた。
マジで言った。ログアウト出来ないと。
だがこう言われたからハイそうですかと飲み込める内容でも、状況でもなく俺はとにもかくにも無我夢中で否定する。
「あ、あり得ない。アンタが何者かは知らないけどコレはゲームじゃない。もう1つの現実世界だ。あんなモンスターが出てきたのも何かの間違いだ、バグだ。エラーだ。夢だ。妄想だ。」
俺の見事な慌てぶりに対し、少女は極めて冷静かつ的確な答えを俺に提示した。
「バグやエラーが人を襲うんですか?それがここでおきると思いますか?それこそあり得ないとは思いませんか?」
そうだった。
自分でそう考えておきながら忘れていたというか、かなり動揺していた。
この世界でバグが起きることはまずあり得ない。
なぜならここは仮想世界であっても、99,9%以上が現実と同じように設定されている。
それでは何故仮想世界をわざわざ利用するのかといえば、理由の1つに移動の便利さというのがある。
現実世界でも車やバイクなんかを用いていた昔よりは便利になっているそうだが、仮想世界はその比じゃない。
仮想世界に入るには自宅で専用のヘッドギアを被り、仮想空間へのグローバルネットに接続しさえすればいい。
そしてログイン直後に目の前に現れるワープポイントに、行きたい場所を入力するだけでそこに一番近いワープポイントに飛ぶことが出来る。
友人と会うために、友人が仮想世界にいるならばほんの1分とかからず対面することが可能なのだ。
それもこの仮想現実世界の加盟国ならばどこにでも行けるため、国境がない。
というよりそもそも、物理的に国境がない。
そこの国の所有領土というよりも、開発した日本企業が各国にその世界の一部を貸しているといったもので、国単位で巨大な領土を購入することは出来ず、ワープポイントが非常に短い距離の感覚で存在しているのも踏まえて、個人が現実的仮想空間で購入出来る土地は大豪邸が一棟建つ広さに制限されている。
ただし1つのサーバーに1つというわけではなく、現在この世界に5つ存在する全てのサーバーで一つに限られている。
この仮想世界にも様々な店が存在する。仮想の服屋、オモチャ屋、スーパーにデパート、遊園地までリアルワールドにあるほぼ全てのものが存在しているといってもオーバーでないだろう。
次に異なるのが、この世界で何かを食べてもリアルワールドの自身の肉体に栄養分は供給されず、お腹だけが満たされるというシステムが存在する。
ダイエット目的でよく使用されているが、倒れる人が続出しているのはこの仮想満腹エンジンが搭載されてから変わらず、この世界でもこのシステムを搭載する際にヘッドギアには生体保全危機アラームが搭載され、生命活動を行う上でこれ以上は危険が伴うとヘッドギアが判断した場合に警報が自身とこの世界を創りだした企業に飛ぶ。
すぐにリアルワールド側での近くの病院に救急ポット(昔でいうところの救急車)で運ばれて処置を施されるのだが、これには多大な罰金が発生する。
色々な人に迷惑をかけてしまうのだから当然だろう。
なので、ダイエットを行う主婦たちは限界の半分程度で見切りをつけている。
医師に相談して、期間を見積もる者もいる。
かなり思考が逸れたところで元に戻る。
何故バグが発生する筈がないのかといえば、情報リソースが全てリアルワールドから得たものであるからだ。
現実的仮想空間は仮想世界といえども、現実をデータに置き換えているだけで、それ以外はなんら変わりはない。
いや、もしくはデータというよりもデータのようなものと言ったほうがいいだろうか。
仮想世界は既に存在していたが、この現実的仮想空間が生まれる前の話だ。
リアルワールドでとある研究者により【世界の脈の流れ】というものが発見されたことに端は発する。
その流れとは世界を形造る生命力とでもいえばいいだろうか。
その脈が流れているから、あの山はあんな形になり、川はこう流れ、雨はこう降り、地球は存在し、太陽は光を放っている。
それが空間ごとに流動する脈によって最初から決まっている。
といったかつてはスケール壮大なものだったらしいが、50年経た今では当たり前のことで、小学生の教科書でさえ載っている。
そして、その流れを利用したものがこの現実的仮想空間というものなのだ。
50年前のある日のこと。
【世界の脈の流れ】を発見したチームが開発した機械によって根こそぎ現実世界を仮想世界にコピーすることに成功した。
それを丸々置き換えたこの世界でバグが起きるということは、それはリアルワールドにも起き得るというものに相違ない。
そこまで考えるのにたっぷり30秒程俺の口は唖然として開いたままになっていた。
「な、何で…」
ようやく開いた俺の口が声を絞り出すように動き始める。
「なんでログアウトできねぇんだ…朝は出来たはずなのに、なんで…」
そこまで吐き出したところで思い至る。
俺がヤツに受けた唯一の干渉。
そう、耳を千切られたことだ。
それが関係しているとしか考えられなかった。
その表情を読み取ってか少女は教えてくれた。
「ゲームの世界のモンスターに何らかの干渉をされた者はこの世界からログアウトすることが出来ない。また、初めはポリゴンの混じる身体だが、やがてリアルワールドと同調し、最終的にこの世界でのアバターではなくリアルワールドのオリジナルの自分となる。そしてリアルワールドの自分の肉体は消失するに至る。」
つまり俺も今でこそまだポリゴンの肉体だが、やがては現実世界に置いてきた身体とこっちの世界で合体し、リアルワールドの方の身体は消滅する。
さきほどのこの少女のように傷つけば赤ポリゴンではなく実際の血が吹き出す。
こちらでの死イコール、リアルワールドでの死というのは想像に難くない。
少女は何かを読み上げるように僅かにカタコトに続く言葉を紡ぐ。
「当該有機生命情報体に干渉を受けた者には二つの選択肢を与える。」
当該有機生命情報体というのは恐らくそこでくたばっているユニコーンのことだろう。
ということはその干渉を受けた者は必然的に俺ということになる。
選択肢を【与える】ときた。
随分上から目線な態度な彼女のバックにあるソレに嫌な予感と嫌悪感が漂い、冷たい汗が背筋を撫でる。
「我々の同士となるか、ここで死ぬか。どちらかを5分以内に選べ。」
「待て、待てよ。ちょっと待て。なにかおかしい。いや、そもそも全部おかしいんだが、そんな断片的な説明だけで納得しろなんて無理だ。第一ログアウト出来ないなんて、そんなはずないだろ。」
思ったことが全て言葉に出てしまう程の焦りが俺の鼓動を早める。
少女はそれを真摯に受け止めてから、まるで女神のごとく数秒微笑んだのちに遠くの空へ視線を飛ばした。
まるで、ここに存在しない何かを見つめるように。
「よく分かります。私も最初はそうでしたから。」
「え、それは…」
「私もかつてあなたと同じようにリアルワールド人でした。」
「でした…?」
過去形。
英語の概念でいえば今は違うといったニュアンスが含まれるソレに俺は眉の根を寄せる。
「はい。今はもう私もあなたもこの世界からログアウトが出来ない身体となってしまいました。私も二十年前のあの時、この世界に迷い混んだオークに襲われて、色々あった結果、幸か不幸か怪我だけで済みました。それから今までずっとこちらの現実的仮想空間で生活しています。」
かなりの歳上だったことに腰を抜かしそうになったが、ふと過ったソレ。
二十年前の仮想世界の事件を俺は知っている。
たまたま検索で引っ掛かったワードに惹き付けられて奥の奥まで調べていった結果いくつかのことがわかった。
その1つをあげるならば、MMOニュースによると当時仮想世界に入るためのヘッドギアを被った人間が次々にその日着ていた服とヘッドギアを残して消えるといったものだった。
正直都市伝説クラスの噂話程度にしか考えてなかったのだが、今その被害者が目の前にいるのを確認したことで俺は自分の考えを改めなければならない。
彼女は左腕の長袖を捲りながら続けた。
「これがその時の傷なんですが…」
その裾の中には中身がなかった。
腕のように見えたソレはなんとかの錬金術師が付けていそうな疑似アームで、その上に指出しの茶色の革の手袋をはめている。
指先はどういう貼り付き方をしているのか白く綺麗で滑らかな5本の指が揃っている。
おそらく…。
「ホントはこの腕の部分も肌で隠せるんですけど、コレは私はもう二度とあの世界には帰れないんだと自覚するためのおまじないみたいなものです。」
予想通りの応えが帰ってくる。
この少女はあの技を見ても分かるようにかなりの手練れだ。
だがその熟練の技もさながら心が非常に強い。
俺なんかが及ぶわけがないと諦めそうになる程に強すぎるのだ。
初めは恐らく今の俺のように家族や友人のもとに戻れなくなることを嘆いただろう。
だが、今こうして俺の目の前であのユニコーンを蹴散らすような強さを身につけるほどに強く太い芯の通った自分を持っている。
俺はそんな彼女に贈る賞賛の言葉すら持たず、ただ立ち尽くすしかなかった。
寒気と震えが止まらず、ガタガタと震える体は立っていることでさえ精一杯だった。
だが、そんな俺にも芽生えた何かがあった。
この時の判断が俺の運命、やがては世界全体の流れを変えるに至るのだが、まだまだ先のことである。
「ひとつ教えてくれ。」
ボソリと呟かれたそれは掠れて今にも消え去りそうだったが、
俺の耳を一瞥するとすぐに目線を地に向けた少女は、その小さな呟きをきちんと拾ってコクリと頷いた。
「こ、ここで死んだら本当に死んじまうんだろ?さっきのあんたみたく気絶したり、ホンモノの汗と血を吹き出すように、ホンモノの命もここで…ここで落としちまうんだよな。」
カツカツ。
少女が戦闘ブーツの底を鳴らして近寄り、うなだれた俺に抱きついた。
「あなたは死なせません。私が必ず守ります。だから何も怖いものなんてないんだよ。」
気付けば俺は涙を流していた。
少女の温かみを感じてか、いつの間にか寒さと震えが止まっていた。
だが、嗚咽と共に溢れ出る肩のわななきはいっこうに収まることを知らなかった。
少女は俺の耳のわずかに後頭部側を傷口に触れないように気を付けながら撫でる。
「ごめんなさい。私のせいで…」
耳の一つや二つ、少女に救われた命と天秤にかけると、どちらに傾くかは最早明らかで、俺は少女に心の底から感謝していた。
「俺は…俺もあんたを、あなたをずっと傍で支えます。そうさせて下さい。」
少女の肩に頭を押さえつけたまま告白する。
俺に芽生えたもの。
それは彼女のパートナーとなり、彼女を守るために強く、もう誰にも、自分の弱さにさえ負けないという意志。
一人の少女にこれだけ言わせておいて、彼女がどう思っていようが俺は彼女の言葉に洗われ、恩義を感じた。
なればその恩は自らの意思で忠義を尽くして返さねばなるまい。
まず断ったら殺されるので選択肢はないのだが、それ抜きで俺はこの少女の強さを知りたいと思った。
そして願わくば彼女の傍にこの先ずっと付き添って、彼女を護る盾となりたい。と。
「あなたは強いですね。私なんて決心するまで結構かかったんですよ?」
俺から一歩離れて、その笑顔を俺を見上げるようにして向けた。
「わかりました。こちらこそよろしくお願いいたします。」
ペコリペコリと何度も頭を下げる彼女の瞳は潤んでいた。
嬉しさの籠った声、クリッとした大きな瞳から溢れる雫。
満面の笑み。
俺はこの日の出来事全てを死ぬまで忘れないという自信があった。
衝撃的な出来事と出会いと共に、彼女の儚くも美しい笑顔を心に深く刻んだ。