第94話 漫研のたよりない後輩
文化祭の開会式をそこそこで切り上げて、文研の部室へ戻る。
柚木さんと体育館の前で待ち合わせて、最後の準備に取り掛かる。
一年生の学年主任の斉藤先生が、大きな投票箱を運んできてくれた。
生徒会の選挙で使われる、銀色の固い投票箱だ。それが、どすんと文研の机に置かれる。
この威圧感と圧倒的な存在感は、漫研との勝負を、これでもかというほどに意識させる。
斉藤先生に続いて、古典の久坂先生も顔を出した。
久坂先生は、にこりと微笑みながら挨拶してくれた。
「今日と明日は、わたしが同伴するから、みんな、がんばってね」
「あ、はいっ」
「みんなは悪いことをしないと信じてるけど、教頭先生の指示だから。気を悪くしないでね」
「はい。承知しています」
柚木さんが文研の扉を見つめる。
「先輩。漫研の人は、まだ来ないんですか」
「そうだね。受付開始まで、もう時間がないけど」
部室の壁掛け時計は、八時四十二分を指している。受付の開始は九時だ。
「漫研の人が来ないのに、勝手にはじめちゃってもいいんですかね」
「どうだろう。でも、九時にはじめられないと、俺たちは不利になるよ。こっちはもう準備できてるんだから」
時計の分針が五十分を指した頃に、一年生らしき女子が部室に駆け込んできた。
「すみませんっ。お、遅れましたっ」
大きなレンズの眼鏡をかけた、理知的な女の子だった。
眼鏡の縁は銀細工のような色で、レンズの丸い形がとても目を引く。
背は小さめで、科学者の着る白衣が似合いそうな印象だ。
重たい前髪は額と眉を隠し、横の髪が頬を覆うように伸びている。後ろの髪は、ひとつに括っているだけだった。
「ええと、きみが漫研から派遣された人かな?」
「あっ、はい。一年のっ、四橋と言いますっ」
四橋さんが、背中を見せるくらいに頭を下げる。
「あ、あのっ、自分が当番だったの、すっかり、忘れてましてっ、のんびり開会式を見ちゃっていましてっ。すす、すみません!」
四橋さんが顔を上げた拍子に、眼鏡が顔からずり落ちる。
「あわわっ!」とさらに混乱して、声を裏返す姿に笑いを誘われてしまう。
「だ、だいじょうぶ?」
「はい。すみませんっ。文研の人たちに、め、迷惑を、かけないようにって、部長から言われたのにっ」
四橋さんが、真っ赤な顔でうつむく。
柚木さんが、俺と顔を見合わせて苦笑した。
「受付の開始時間になりますから、あちらの椅子に座ってもらえますか」
「あ、はい。すみませんっ」
思わぬ女子の出現に、調子が狂わされそうになったけど、いよいよ受付開始だ。
はじまってすぐに、女子のふたり組みが駆け込んできた。
ウェーブのかかる髪を茶色に染めたギャルだ。雰囲気が三年生っぽい。
ふたりは、俺たちの前に置かれている投票箱を見て、くすくすと笑い出す。
「ほんとに勝負やってるんだあ」とか、「超うけるぅ」という忍び笑いが聞こえてくる。
廊下からも、にぎやかな話し声が聞こえてくる。
生徒たちが部室に押し寄せて、狭い部室が来客でいっぱいになった、だと!?
「せ、先輩っ」
「はわわっ!」
柚木さんが、あまりの人だかりに声を上げる。
四橋さんも中途半端に上げた両手を、おろおろとふるわせていた。
来客は、泉京屍郎の小説を掲載している展示パネルを見て、「これじゃねえのっ?」とか、「ネット小説のマジのやつじゃんっ」と気持ちを昂らせている。
俺と柚木さんの前には、小説を印刷した用紙が置かれている。
彼らは、挨拶もせずに紙を無造作に漁り、泉京屍郎の小説だけを持ち帰っていく。
いや、来客を呑気に眺めている場合じゃなくて、
「ふたりとも、落ち着いて。じっとしていれば、だいじょうぶだから」
「は、はいっ」
「こんなにっ、人が、来るなんてっ」
柚木さんと四橋さんが平常心を失わないように、気をつけないと。
来客の中には、投票用紙を投函してくれる人もいる。
俺や柚木さんの書いた小説を持って帰ってくれる人もいた。
最初に部室へ来てくれたギャルのふたり組が、笑いを堪えながら俺たちの前にやってくる。
ふたりの手には、クリーム色の投票用紙がにぎられている。
それを、互いに頃合いを見ながら、俺に差し出して、
「よくわかんないけど、がんばってねっ」
貴重な一票を文研に与えてくれたっ。
「あっ、はい。ありがとうございますっ」
ふたりのギャルは、「ありがとうございますだってぇ」とか、「超可愛いんだけどっ」と笑いながら、部室を出ていった。
二枚の投票用紙を柚木さんと見やる。
投票用紙の上部には、クラスと氏名が印刷されている。
氏名の入力欄の下には、アンケート用紙のように、評価を記入する項目が三つほど印刷されている。
用紙の下の半分は、投票者が感想を自由にかけるように、備考欄が設けてあった。
二枚の投票用紙には、評価も感想も書かれていない。
あのふたりは、そもそも展示パネルの小説すら見ていなかったから、小説自体に興味がないんだろうな。
それでも、この二票は、あの人たちの意思で差し出されたものなんだから、れっきとした有効票なのだ。
俺が立って投票用紙を投函しようとすると、
「先輩っ、わたしたちが入れちゃってもいいんですかっ?」
柚木さんに止められてしまった。
「わたしたちが勝手に投票したら、まずいんじゃないですか」
「そうかな。俺たちに渡してくれた票だから、替わりに投函しても問題ないと思うけど」
すぐそこで来客の応対に追われている四橋さんに目を向ける。
四橋さんは、来客に小説の質問をされて返答に困り果てている。
替わりに来客を応対して、
「ねえ。この投票用紙なんだけど、さっき来てくれた人から渡されたものなんだけど、俺たちが勝手に入れちゃってもだいじょうぶだよね」
「えっ、ど、どうなんでしょう」
四橋さんに投票用紙を渡す。それを困惑しながら眺めていたけど、
「あっ、はい。全然、問題ないですっ。名前も、三年生の、知らない人の名前ですしっ」
意外とあっさり承諾してくれた。
「じゃあ、わたしが投票しますっ」
柚木さんが席を立って、俺の替わりに投函してくれた。




