第88話 花火大会のおわりに
さっきまで、たくさんの人でにぎわっていたのに、花火会場が急に静かになってしまった。
残っているのは、打ち上げ花火を担当した町内会の人たちと、屋台の片付けをはじめている大人たちだけだ。
終わりの時を迎えた祭りの風景は、言葉にあらわせない虚しさを感じさせる。
にぎやかだった雰囲気は残っているのに、その場にいる人たちの言動が、どこか余所余所しかった。
花火会場のおこのみ焼きの屋台の近くで、立ち尽くしている人影があった。
その人の身長は、男子高校生の平均身長よりも低い気がする。中学生だろうか。
Tシャツにハーフパンツという簡素な服装だ。頭に野球帽のようなものを被っている。
月の光を背にしているから、服装の色合いはわからない。
中学生らしき彼は、じっと俺たちと凝視している。背中を少し丸めたまま、顔を少しも動かさずに。
「先輩は意地悪ですっ」
柚木さんの、ぼそりとつぶやいた言葉で、俺は我に返った。
「えっ、なにが?」
「わたしがテンパってるのを見て、先輩は楽しんでるんしょう?」
「楽しいわけじゃないよ。その、悪くはないかなって思うけど」
柚木さんが、顔を少しだけ上げた。
「なんですかっ、それ」
「だから、その、俺の前では無理しないでほしいって思ってるだけだよ。俺の前で怒ったりしてもいいから、肩の力を抜いて、楽にしてほしいなって思ってるからなんだけど」
俺は何を言ってるんだ。
替わりの返答を考えていなかったから、頭がひどく動揺してしまう。
柚木さんが頬を少し膨らませた。
「わたしは、無理なんてしてないですっ」
必死に強がる姿も、また心をぐらつかせる。
「先輩は、どんな人が好きなんですか」
「どんな人が? どうだろう。考えたこともないけど」
腕組みして考える。
見た目が可愛いとか、優しくていい人だとか、世間一般で発表されるような回答ならできるかもしれないけど、そんな発表をしても意味があるのだろうか。
「俺は女子と付き合ったことがないから、よくわからないけど、そうだな。趣味とかこのみが合う人がいいかな。本や小説が好きだから、いっしょに楽しんでくれる人だったら、付き合ってて楽しいかもね」
柚木さんは膝を抱えたまま、足もとの地面を見つめてみる。
その不満げな表情に、次の言葉を喉から出すことができない。
柚木さんは、どんな人が好きなのだろうか。聞いてみたいけど、怖くて聞き出せない。
明かりのついている花火会場から、小太りの中年男性たちが、こちらへ向かって走ってきた。
前を走る男性は、白のポロシャツを着ている。後ろの男性は、黒っぽい甚平を着ていた。
「きみたち。花火大会はもう終わったから、早く帰って」
スマートフォンの時計を見たら、八時半をすぎていた。
土手の石段をゆっくり上がる。柚木さんは下駄を穿いているから、歩きづらそうだ。
「足、痛くない?」
「だいじょうぶです」
下駄の特徴的な足音が、夏の終わりを感じさせる。
「今日も楽しかったね」
「はい」
「そういえば、ひなはどうしたのかな。ひとりで帰ったのかな」
「確認してみますっ」
柚木さんがスマートフォンで忙しく操作する。左手の手首にかけた籠巾着が、振り子のように揺れる。
「バッグ、持とうか?」
「だいじょうぶですっ。重くないですから」
柚木さんは、普段の世話好きな感じに戻ってしまった。
「ひなちゃんは、もう電車に乗ったそうです。小間市の駅にもうじき着くって」
「先に帰ってたのか。ちゃっかりしてるなぁ」
「空手部の人たちに、連れていかれちゃったんですから、仕方ないですよ」
「そうだけどさぁ。ひと言くらい連絡があってもいいよね。三人で祭りに来たんだから」
「そうですねっ」
柚木さんが、くすくすと笑った。
商店街まで歩いてきて、気持ちがだいぶ落ち着いてきた。
花火会場で中学生らしき男子から見られていたことを思い出した。
足を止めて後ろを振り返る。
後をつけられていると思ったけど、視線の先に目ぼしい人影はない。
「先輩?」
柚木さんの足音も止まる。
「さっきさ、人に――」
いや、柚木さんには言わない方がいいか。
「人に?」
「いや、なんでもない。花火会場に文研の先輩がいたかなって思ったんだけど、見間違いかもしれない」
あの男子の視線がすごく気にかかる。でも、気にしても仕方がない。
「もしかして、部長ですかっ」
柚木さんの不意打ちに、俺は違う意味でどきっとしてしまった。
「部長じゃないよ。なんで、そこで部長が出てくるの?」
「それは、先輩が一番よく知ってるんじゃないですか」
柚木さんが下駄の音を鳴らしながら歩き出す。
「だから、部長は関係ないって。そろそろ部長から離れてくれないかなぁ」
「先輩は、だれに対しても優しいですから、部長とそういう関係ではないんですよね」
う。間違ってはいないと思うけど、棘のある言い方だな。
柚木さんって意外と皮肉なことを言ったりするんだなあ。
「嘘ですっ。さっき意地悪されたから、その仕返しですっ」
柚木さんが振り返って舌を出した。
「そっかあ。じゃあ副部長の特権を使って、もっと意地悪しちゃおっかな」
「来月の勝負に負けたら、副部長じゃなくなっちゃうのにですかっ?」
「勝負に負けるまでは副部長だからね。部長も辞めさせられちゃうから、今のうちに協力してもらおっかなっ」
「部長を出すのはやめてくださいっ! 先輩やっぱり部長と仲いいんじゃないですかっ」
柚木さんのよく響き渡る声で、商店街を歩く人たちが振り返る。
柚木さんが、はっと我に返る。芋虫のように縮こまって、
「す、すみませんっ」
「いや、だいじょうぶだから。気にしないで」
「でも、人に見られてるのは、恥ずかしいですから」
申し訳なさそうに頭を動かす仕草に、笑いをさそわれてしまった。
声を出して笑うと、彼女がむっと頬をふくらませた。




