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第7話 柚木さんが気になる?

「先輩、あの、お聞きしたいことがあるんですけど」


 柚木さんがペンの手を止めて振り向く。


「委員会の手伝いをする部活って少ないと思うんですけど、文研はどうして図書委員の手伝いをするんですか?」


 その疑問は俺も一年生のときに感じたことがある。


 他校の文芸部だったら、図書委員の手伝いなんてしないのだから、疑問に思うのが普通だ。


 俺が柚木さんを眺めていると、柚木さんは急にあたふたした。


「あ、あのっ、別に嫌だとか、作業をしたくないわけじゃないんですっ。その、ちょっと疑問に感じただけなので、お聞きしたいなあって思いまして」


「わかってるよ。俺も一年生のときに同じことを部長に聞いたからね」


「そうなんですか?」


「うん。だって、部活で委員会の手伝いをするなんて、おかしいもんね」


「あ、やっぱりそうですよねっ! はい、わたしもそう思ったんですっ」


 柚木さんが忙しく首を縦に振る。


 柚木さんはおとなしい子だけど、意外と感情性が豊かで気持ちが仕草にあらわれるから、眺めていると面白い。


「文研が図書委員の手伝いをするのは、文研を設立した時からの決まりらしくてね。文研が図書室を優先して利用できるようにするための措置らしいんだよ」


「えっ、優先して利用なんてできるんですか?」


「うん。たとえば、ここに積まれている本は図書館から借り受けているもので、他の生徒にはまだ公開されていないんだ。けれど、文研は図書委員から許可を得れば、優先して借りることができるんだよ」


「それはお得ですね」


 柚木さんが「なるほど」と相づちを打つ。


「読みたい新刊があれば、図書委員に申請することもできるし、また部活中であれば、図書室の本を勝手に持ち出してもいいことになってるんだ」


「部活中に本を持ち出せるのは便利ですね。読みたい本をたくさん選ぶことができますし」


「元々は執筆者のために用意された規則らしいんだけどね。執筆するときは参考書がたくさん必要になるし、文章の模写なんかもしないといけないから」


「はあ、そうなんですね。わたしは執筆なんてしたことがないから、よくわからないですっ」


 柚木さんの意地を張る表情がおかしかった。


「俺もほとんど執筆しないから、柚木さんと変わらないね。昔の文研は小説を執筆する人が多かったらしいけど、今は執筆する人がほとんどいないからね。漫研まんけんなんかは今でも漫画を描いてる人が多いけどね」


「漫研の部室ってとなりですよね。部活見学のときに少し覗いたんですけど、先輩たちの絵が上手で驚きました」


「漫研の人たちはみんな上手だよね。あのレベルに溶け込むのは、かなりハードルが高いよね」


「そうですよね――」


 言いながら柚木さんが何かに気づいた。


「そういえば先輩は漫画も読まれますよね。漫画を描こうって思ったことはないんですか?」


 俺は本を読むのが好きだ。漫画も人並み以上に好きだし、自分で漫画を描きたいと思ったことは何度もある。


 小学生で漫画を描いている同級生は何人かいたから、彼らにあやかって漫画を描こうと一念発起したことはあった。


「でも先輩って、たしか絵が――」


「なになに? 画伯と呼ばれる芸能人なんて、比べものにならないくらいの天才だって言いたいのかい?」


 俺が作業の手を止めて詰め寄ると、柚木さんが後ずさりしながら謝罪した。


「すみませんすみません! 画伯だなんて思ってないですっ」


「でもさっき、『絵が』って言いそびれたよね? なんて言おうとしてたのかな?」


「絵が下手だなんて思ってないですっ。ですから、許してください!」


 自分の絵が下手だと思ったことは一度もない。


 だけど俺の絵を見ると、比奈子や同中の友達がなぜか大笑いするのだ。


 猫を描くと「なんだよこの宇宙人は!」と言われ、犬を描くと「足が八本あるじゃねえか!」と大笑いされるから、漫画を描く道を諦めたのだった。


「先輩って、絵のことになると、昔から目の色が変わりますよね」


「目の色は変えていないよ。ひなや友達がバカにしてくるから、正当なる理由で反論しているだけさ」


 柚木さんが俺を見てくすくすと笑った。


「先輩は、やっぱり先輩ですねっ。昔から全然変わってない」


「そうかな。自分ではよくわからないけど」


「そうですよっ。先輩のうちで遊んでたときに、三人で絵を描いてて、ひなちゃんと喧嘩になったじゃないですか」


「俺とひなが? 絵のことで?」


「はいっ!」


 柚木さんが無垢な瞳で見つめる。


 小学生のときには比奈子とよく喧嘩した。


 三人で絵を描けば比奈子と俺は喧嘩したかもしれないけど、柚木さんの前で喧嘩なんてしたかな。


「あのときも、先輩がひなちゃんに詰め寄っていましたねっ。ああ、あのときのひなちゃんは、こんな気持ちだったんだあって思ったら、おかしくなっちゃって」


「ひなは生意気だから、柚木さんみたいに素直に謝ってくれないけどね」


「そこが可愛いんじゃないですかっ。ひなちゃんの意地っ張りなところ、大好きですっ」


 五時過ぎまで納入リストをチェックして、今日の部活はお開きとなった。


 ひとりで帰宅しようとしたら、柚木さんが校門で待ってくれていた。


「漫研の話で思い出したけど、部長は元々、漫研の人だったらしいよ」


「えっ、そうなんですか?」


 となりを歩く柚木さんが、俺をまじまじと見上げる。


「部長はやる気のない人だから、やる気のない文化部で寝ていたかったらしいんだけどね。漫研は文研よりも部活動に熱心だったみたいだから、二ヶ月くらいで辞めて文研に入部したんだってさ」


「そうなんですね」


 柚木さんが肩にかけた鞄の紐をにぎりしめる。


 夕暮れの長い下り坂。片道一車線の道路が中央に伸びている。


 白の軽自動車や引っ越し業者のトラックが、びゅんびゅんと行き交っている。


 名前のよく知らない木々が規則正しく生えている並木通りには、部活帰りの生徒たちがちらほら見える。


 独りでとぼとぼと歩く者、手をつないでいちゃいちゃするカップル。


 運動部員らしき男子生徒たちは、何かの話題でわいわいと騒いでいた。


「部長は本や読書に興味がない人だけど、寝ている間に部長にされちゃったみたいでね。本人も困ってたよ。だけど、嫌だと言うタイミングを逃しちゃったから、副部長と部室の鍵を俺に押し付けて、自分は部活をさぼってるんだよ」


 やる気がないんだったら、部室までわざわざ来て寝なくていいのに。


「部長になるのが嫌だったら、他の三年生に言えばいいのにね。不思議な人だよ。やる気なさそうにしてるけど、実は部長になりたかったのかな。内申点をあげるために、形だけでも部長になりたかったのか――」


「先輩」


 気がつくと柚木さんが足を止めて、二歩くらい離れた後ろで佇んでいた。


 図書委員の手伝いをしていたときは楽しそうに笑っていたのに、今は口を閉ざしてうつむいている。


「仲がいいんですね。山科先輩と」


「えっ、そうかな。普通くらいだと思うけど」


 部長は俺を頼ってくるし、部室にいるときはべたべたくっついてくる。


 だけど連絡先の電話番号は知らないし、休日に会うことも勿論ない。


 部活の先輩と後輩の間柄でしかないのだから、仲は特別によくないんじゃないかと思う。


 柚木さんがうつむいたまま、とぼとぼと歩いてくる。俺をそのまま追い越した。


「柚木さん?」


「すみません。用事がありますので、ここで失礼します」


「そう。けど、こんな時間になんの用事?」


 俺の声が聞こえなかったのか、柚木さんは振り返らずに坂を下りていく。


 夕暮れの日差しが彼女の髪を美しい蜜柑みかん色に染める。


 彼女の小さくなっていく後ろ姿を、俺は見守るしかなかった。


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