第54話 恐怖の救急病棟お化け屋敷
ハロウィンの女性のゾンビに仮装したような受付の人に促されて、お化け屋敷へと足を踏み入れる。
病院のエントランスを模した入り口は、学校の昇降口みたいに広い。
照明はあるが、夜の廃校のように薄暗い。
俺たちといっしょに入店した家族やカップルたちが、前の見えない廊下を不安げに進んでいた。
「柚木さん、だいじょうぶ?」
「はいっ」
暗がりに映し出される柚木さんの唇が青い。表情は完全に凍り付いている。
エントランスの近くの一室に、パイプ椅子が並べられている。
椅子の向かいに、五十インチくらいの大きな液晶テレビが設置されている。
テレビの画面には、砂嵐が気味の悪い音を立てて映し出されていた。
いっしょに入った女性客の中には、既に泣いている人がいる。
「ようこそ、救急病棟に来られた挑戦者の諸君」
テレビに白衣を来た男が映し出されて、物々しい口調でお化け屋敷のルールが説明される。
このお化け屋敷のどこかに霊安室があって、霊を鎮める札をとってゴールすればいいんだな。
「だが、お前たちが、怖くてもう耐えられないというのなら、あちこちに設置された脱落者用の出口を使うのだ。わかったな」
緊急脱出用の出口なんてあるのか。しかと覚えておこう。
「それでは、諸君が無事にここから脱出できることを期待しよう!」
語尾で医者が急に叫び、姿が恐ろしいゾンビへと変貌した!
天井から何か黒い物がぶら下がり、客から悲鳴が上がるっ。
さらに部屋の四隅から、ゾンビらしき人影が一斉に襲い掛かってくる!
なんだこれは!? 開始の時点で心臓が止まりかけるほどに怖いじゃないかっ。
こんなの絶対に無理だっ。足が震えて、椅子から立ち上がることすらできない!
俺の右の肩が、強い力でつかまれたっ。まさかっ、ゾンビのひとりが躍りかかってき――。
「柚木さん!?」
俺の肩をつかんでいたのは、柚木さんだった。
彼女はがたがたと身体を震わせて、俺にすがりついている。
「怖いっ」
俺の肩に顔を隠して、柚木さんはすすり泣いていた。
怖いものが苦手なのに、どうしてお化け屋敷に入ろうと思ったんだ。
でも、今はそんなことを考えている場合じゃない。俺がしっかりしないといけないんだ。
「柚木さん、行こうっ」
柚木さんを抱きかかえるようにして起こす。
手をしっかりとにぎりしめると、彼女は俺の腕に抱きつくように身を寄せた。
柚木さんの柔らかい手と、首筋に時おりかかる吐息!
ああっ、お化け屋敷の中にいるのに、俺はなんて邪なことを考えてるんだ!
今までに感じたことのない興奮に、頭がみるみる冴え渡ってくる!
俺は前を向いた。前を歩くカップルの後を追うように、お化け屋敷を突き進む。
「きゃあ!」
そこかしこに潜むゾンビたちが、両手を上げて襲い掛かってくる。
このゾンビたちは、変装した社員やアルバイトの人たちだ。
おどろおどろしい声をあげてくるけど、社員である彼らは、客である俺たちに手を出すことができないんだ。
「せ、先輩っ」
「だいじょうぶだから。俺と、はぐれないようにしてっ」
「は、はい」
足の底に力を込めて、ずんずん進む。
赤い照明のつけられた階段を上がり、蜘蛛の巣が張ってある部屋へと入る。
行き止まりに差し掛かると、後ろからゾンビに扮した人たちが襲い掛かってきたり、廊下の真ん中に丁寧に待ち伏せしているパターンもあった。
だけど、所詮は作り物なのだと思い込んだら、気持ちに余裕が生まれた。
救急病棟の霊安室は、地下一階の奥に用意されていた。
このお化け屋敷のキーアイテムであるお札が手に入るだけあって、襲来するゾンビたちの数も尋常ではない。
彼らをなるべく見ないように、足早に霊安室を後にする。
柚木さんを強く引き寄せて、彼女を半ば連れ攫うように、お化け屋敷の出口へと向かった。
階段を上がり、薄汚れた廊下を突っ切る。二体ほどのゾンビに襲われて、非常口のような扉のドアノブを強く押した――。
「お疲れ様でしたー。お札の方を拝見します」
午後の日差しが燦々と照りつける。明るい場所へ急に放り出されて目が痛む。
遊園地の制服を着た女の社員が、外で待ち構えていて、午後の眠たそうな声で言った。
左手でしっかりとつかんでいた二枚のお札を、社員の女に差し出す。
「はい、確認とれましたー」
女は呑気に言って、俺たちのゴールをあっさりと認めてくれた。
お化け屋敷の時間は、案外あっという間だった。
大してうろたえずにゴールできたなんて、もはや奇跡だ。
この偉業を比奈子あたりに自慢してやりたい。いや伝えるのなら柚木さんの方がいい――。
「あっ、ご、ごめん!」
柚木さんと身体を密着させていることに、やっと気づいた。
慌てて手を離すと、柚木さんもはっと我に返った。
柚木さんは目を腫らせている。
頬は陽で温められたように赤い一方で、唇は寒い日にプールに入っているときみたいに青い。
それでも、彼女は少しも取り乱さないで、俺についてきてくれた。
「そこで少し休もうか」
柚木さんはうつむいて、こくりとうなずいてくれた。
お化け屋敷から少し離れると、噴水のある広場に到着した。空いているベンチに腰を下ろす。
右斜め後ろのフリーフォールから絶叫が聞こえてくる。今なら、どんな絶叫マシンにでも挑戦できそうだ。
そう思っていると、
「ごめんなさい」
柚木さんの謝罪の言葉が聞こえた。
「ごめんって、何が?」
「あのっ、無理して、お化け屋敷に入ってしまいまして」
「気にしなくていいよ。お化け屋敷は怖かったけど、案外楽しかったし」
柚木さんと身体を密着させて興奮していたことは、唇を固く閉ざして奥に封じ込めておく。
「最初は怖かったけど、慣れてくると案外そうでもないね。ホラー系は苦手だと思ってたけど、俺はだいじょうぶなのかもしれないね」
わざとらしく肩を竦めてみたけど、柚木さんの沈んだ表情は明るくなってくれない。
困った。どうやって彼女を慰めようか。
広場を見回すとアイスクリーム屋が目に付いた。
「柚木さん、ちょっと待ってて。アイスを買ってくるから」
「あっ」
柚木さんをその場に残して、俺はアイスクリーム屋へ向かった。




