第51話 遊園地デートのお約束
青い画用紙のような空が、視界に広がっている。
お祭りの屋台で売られている綿雨のような雲が、辺りを漂っている。
日曜日の午前中は珍しく晴れていて、こういう意味では、とても快適な気持ちで俺は空を見上げている。
木戸先生を屋上に呼び出したときも、珍しく晴れてたなあ。
青空へ刻々と近づいていく。俺の意思に反して、きしきしと鳴る機械音に恐怖心を煽られながら。
飛行機を発明した人は、どうして無謀なことを思いついたのだろう。
空を飛ぶのなんて、怖いだけじゃないか。自ら恐怖に身を置こうだなんて、気が狂っているっ。
山なりに湾曲したレールの頂上で、俺を乗せる車両が静かに停止する。
いよいよ来るのか、あの瞬間がっ!?
高所恐怖症の俺をあざ笑う、恐怖の瞬間がっ。
シートの後ろから胸へ下ろされるセフティバーにしがみつく。
遊園地が好きな人は、腕を上げてスリルを楽しむけれど、あれこそ狂気の沙汰だっ。
万が一、このセフティバーが跳ね上がったら、どうするんだっ。まさに自殺志願者としか思え――。
「うわあっ!」
ジェットコースターの恐怖の時間がはじまった。
高速道路を走る自動車よりも速く前進して、湿気の含んだ空気を縦横無尽に切り裂く。
右に左に、地面とほぼ垂直に、ときには後ろへゆっくりと戻るその動きは、もはや拷問マシンだっ!
この絶叫マシンを考案した人たちはっ、どうしてこんなに性格が悪いんだ!
人をこんなに怖がらせて、一体何が楽しいんだっ。
セフティバーをしっかりつかみながら、視線を左へ移してみる。
となりのシートで、柚木さんが両手を上げて流れに身をまかせている。
何をしてるんだきみはっ。セフティバーがもしはずれたら、きみは身体を宙へ投げ出されちゃうんだぞ。
前後の車両から、たくさんの悲鳴が聞こえる。この恐怖はいつまで続くんだ。
加賀谷先輩をいじめたことを反省するから、どうかこの辺りで、走るのを終わりにしてくださいっ。
「すごく楽しかったですね!」
ジェットコースターが終わって、柚木さんが目をきらきらと輝かせる。
「もう一回乗りますかっ?」
「あ、また乗るの?」
「ふふ。少し時間を置いてからにします!」
よかった。あんな怖い乗り物に立て続けに乗ったら、俺の心はおかしくなってしまう。
柚木さんを遊びに誘ったものの、どこに連れていったら喜んでくれるのか、皆目見当がつかなかった。
映画館や水族館に行く案を考えたけど、自分のアイデアにいまいち自信が持てなかった。
比奈子に相談したら、「じゃあ遊園地にでも行けば?」と、あっさり返されてしまった。
柚木さんは、いつにも増して楽しんでくれている。
そういう意味では、比奈子に相談したのは正解だったんだけども――。
「先輩っ、次はあれを乗りましょう!」
歩きながら柚木さんが指したのは、空へ向かってまっすぐに伸びる何かだった。
あれは、ええと、なんという機械――じゃないか。アトラクションというのか。
まさか、そんなことは絶対にないはずだけど、あのはるか彼方の頂上まで登ったりしないよね?
「あれは、なんていうアトラクションなの?」
「先輩、知らないんですか? フリーフォールですよ!」
フリーフォールですか。先輩は初めて聞いたなあ。
和訳すると「自由に落下する」という感じか。
いやいや! 自由に落下するって、絶対にだめなやつじゃないかっ。
「先輩、行きましょう!」
「あ、ああ」
マジで乗るのか。死亡率五十パーセント以上の、恐怖のアトラクションに。
フリーフォールの待ち行列に並びながら、柚木さんはいつも以上にたくさん話しかけてくれる。
比奈子のことや家族のこと、クラスメイトのことなどを。
「ひなちゃんとこの前、ゲームセンターに行ったんですけど、ひなちゃん、すごいんですよ! パンチングマシンっていうんですか? ボクシングのグローブをつけてパンチするマシンで、すごい記録を出しちゃったんですよ!」
「そうなんだ。さすがだなあ」
「ですよね! わたしの出した記録の倍以上の記録を出しちゃって、まわりで見てたおじさんたちも驚いちゃって、ジュースまで奢ってもらっちゃったんですよっ」
柚木さんが語るのは、まぎれもなく笑いのネタになるいい話だ。
いつもなら親身に聞いてあげるけど、今はそんな余裕はない。
「エアホッケーなんかもすごい上手だし、ひなちゃんって、本当に運動神経がいいですよね。わたしにも少し分けてほしいですっ」
「そうだね。俺も分けてほしいや」
「先輩のお父さんかお母さんが、運動神経よかったんですか?」
「どうなんだろう。聞いたことはないけど、もしかしたら遺伝なのかもね」
「やっぱり、そうなんですね。いいなあ」
柚木さんが話題を振ってくれるのに、フリーフォールにばかり気持ちを奪われて、ちゃんと受け答えをすることができない。
柚木さんは首を少し動かしながら、フリーフォールに乗ることを心待ちにしている。
「おふたり様ですね。どうぞ」
紺の地味な制服を着た社員から、マシンへの搭乗を促される。
空へと伸びる黒いレールに、肘掛けのない椅子がふたつ取り付けられている。
こんな安定性のあの字もない椅子に座って、だいじょうぶなのか?
レールの終端なんか、米粒くらいの大きさしかないけど。
「先輩、乗りましょ」
「あ、ああ」
椅子に腰掛けて息を呑む。
社員にセフティバーを降ろされて、椅子がゆっくりと上昇をはじめる。
上昇する速さは、徐行する自動車くらいの速さしかない。
それなのに地面を見下ろすと、人が米粒くらいの大きさになってるよ。なにこれ意味がわからない。
またもやセフティバーにしがみついて、正面を凝視する。足もとは、もう絶対に見てはいけないっ。
遠くの景色に富士山っぽい形状の影が見えるけど、あれはきっと幻だよね?
こんな都会のど真ん中で、富士山なんて見えるわけがないじゃないか。
はは、俺の頭のネジもいくつかはずれちまったのかな。
空気が薄くなったと感じる高さで、椅子がぴたりと制止する。
絶叫マシンのお約束、焦らし攻撃だ。
なんというかさ、俺はこの焦らし攻撃が一番嫌いなんだ。
こんなところまで連れてこられたら、もう観念するしかないんだから、さっさとレクリエーションを開始――。
「うぎゃあっ!」
い、椅子が、椅子が、浮いてるよっ。
違う、浮いてるのは、俺の尻だ。
椅子が浮いたら死亡じゃないかっ。
なんというか、もう訳がわからない速さで急下降して、地面へ伸びるレールに従って椅子がスライドしていく。
失神する直前で急下降は終わってくれた。なんとも絶妙な高さと下降速度なんだ。
「ああ、すごい楽しかったですね!」
椅子から降りて柚木さんが、ぐっと伸びをする。
あんな恐怖を味わった後なのに、きみはどうしてぴんぴんしていられるんだろう。
「また乗りますかっ?」
「あ、ええと、また?」
「あっ、やっぱりコークスクリューに乗りましょうよ。でもバイキングもまだ乗ってないしっ」
柚木さんは小躍りしながら、俺の少し前を歩いている。
心から楽しんでくれて嬉しいけど、俺の残りHPはどのくらいあるのかな。
ロールプレイングゲームのサイドビューの戦闘画面で表現したら、確実に膝をついてるんだろうな。




