第5話 柚木さんの入部
「宗形くん。部活見学の人?」
先生が恐る恐る近づくと、
「あいり先生だ!」
比奈子が先生に近寄って腕をつかんだ。
「あいり先生、こんにちはっ」
「あ、うん。こんにちは」
「あいり先生は文研の顧問だったんだね。うちの兄がお世話になってますっ」
比奈子が丁寧にお辞儀する。みんなの前でそういうことするなよ。
「うちの兄? って、もしかして宗形くんの妹さん!?」
先生がやっと状況を把握して、俺と比奈子をまじまじと見比べ出した。
「そっかあ。あなたが宗形くんの妹さんの比奈子さんだったのね」
「ふふー。あんまり似てないでしょ」
「そうねえ。言われないと兄妹って気づかないかも」
旋風のような比奈子を、柚木さんはしょんぼりと眺めている。
比奈子がはっと柚木さんを押し出した。
「僕のことはどうでもいいのっ! ほら、ことちゃんっ」
「ちょ、ちょっとっ」
柚木さんがしぶしぶ俺の前まで来た。
柚木さんと話がしたかった。
だけど、いざ対面すると恥ずかしさがこみ上げてきて、言葉がうまく出て来ない。
柚木さんもうつむいたままだった。腰の近くで組んだ手をもじもじと動かしながら。
「よく来てくれたね。ありがとう」
「あっ、はいっ」
「ちゃんと話をしたいと思ってたんだけど、昨日はタイミングがなかったから。昨日いっしょにいた友達は来ないのかな?」
「はいっ。瞳ちゃんは、本にあまり興味がないみたいだから」
あの子は瞳さんっていうんだっけ。まったく覚えていなかった。
「うちの部はマニアックだし、読書や執筆が好きな人じゃないと興味を持たれない部活だから」
「そんなっ。全然マニアックじゃないです! 読書と執筆ができるのは、とても素敵だと思いますっ」
赤面しながら一生懸命にフォローしてくれる姿が、初めて会話したときの姿と重なる。
このまっすぐな姿と優しい性格が、俺は好きだったんだ。
当時の気持ちを思い出して、心がとても温かくなった。
「柚木さんは今でも小説が好き?」
「はいっ。この間、『螺旋階段』を読みました」
「螺旋階段!? あれは面白いねっ」
螺旋階段は復讐の連鎖と殺人のトリックを描いたミステリー小説だ。
復讐劇の陰湿さと鮮やかなトリックの数々が読者へ受けて、去年に直木賞を受賞した名作だ。
「俺も図書館で借りて読んだよ。トリックの答えが知りたくて、徹夜して読んじゃったよ」
「ですよねっ! わたしも先が気になってずっと読んじゃいましたっ」
後ろから肩をとんとん叩かれた。振り返ると先生と比奈子が並んでいた。
「こんなところで立ち話するのもなんだから、あっちの席に座ってもらったら?」
「あ、はい。でも、新しく見学に来た人の説明をしないといけないし――」
「それは先生が引き受けるから、宗形くんはふたりの対応をしてあげて」
先生のさりげない気配りに、心の底から歓喜の声があがった。
比奈子が俺と柚木さんを見比べて、「むふふ」と笑った。
「じゃ、僕はそういうことで――」
「ま、待って、ひなちゃん!」
部室を出て行こうとする比奈子のシャツの襟を、柚木さんがつかんだ。
「むごっ」
「お願いだから今日だけはいっしょにいてっ!」
「えっ、でも僕は、空手部の部活見学に行かなきゃだし」
「一日だけだったらいいでしょ。ね、お願いっ」
柚木さんが両手をぱたんと合わせてお願いする。比奈子が「しょうがないなあ」と言った。
「一日くらい部活見学に行かなくたって、なんの影響もないし、空手部へ入るのはぶっちゃけもう決まってるから、今日だけ文研を見学してあげるわっ」
「ありがとう、ひなちゃん!」
えっへんと胸を張る比奈子に柚木さんが抱きつく。
比奈子は友達のグループへ属さずにわが道を往くタイプだが、意外と友達思いで気前がよかったりする。
小学生のときも、ふたりでよく引っ付いていたっけ。
「ことちゃんは衣沢に引っ越してたんだよね」
「うん。携帯電話を持ってたら、引っ越しても連絡できたのにねっ」
「まあね。でも、小学生のときは携帯電話を持たせてもらえなかったから」
「うちもそうだったっ!」
柚木さんと比奈子がお互いを見て笑う。
柚木さんは遠くに引っ越したんだと思っていたけど、意外と近くに住んでたのか。
衣沢だったら、うちの小間から電車で通える距離だ。
「てっきり遠くの県へ引っ越しちゃったんだと思っていたけど、そうじゃなかったんだね」
「はい。れん――先輩のご自宅は、今も小間ですか?」
「そうだよ。俺たちも微妙に引っ越したんだけどね」
「そうだったんですか。ひなちゃんと先輩には、ちゃんと伝えたかったんですけど、あのときは小学生だったから、どうしたらいいのかわからなくて。ご迷惑をおかけしまして、すみませんでした」
「いや、迷惑だなんて、そんな」
家庭の都合で引っ越してしまったのだから、柚木さんが謝る必要なんてない。
「小学生は判断能力が発達し切っていないから、判断できなくなってしまうのは仕方ないよ」
「はい」
「それでも俺やひなのことを覚えていてくれたのは嬉しいよ。ありがとう」
「そ、そんな。大したこと、したわけじゃないし」
柚木さんがうつむいて頬を紅潮させる。
「忘れないですよ。だって、先輩とひなちゃんの三人で遊んで、すごく楽しかったから。わたしは兄弟がいないから、ふたりのことが羨ましかったし」
柚木さんは一人っ子だったんだっけ。
比奈子の活発さに振り回されて、内心迷惑してるんじゃないかなと思っていたけど、そうじゃなかったんだな。
「そっかぁ。ことちゃんは一人っ子だもんね」
「うん」
片肘をつく比奈子に柚木さんがうなずく。
「兄弟がいないと、うちでいつも独りだから寂しいよね」
「そうなの。うちはお父さんもお母さんも仕事してるから、うちではいつも独りなの。だから、ひなちゃんがいっしょに遊んでくれて、すごく嬉しかったんだよっ」
「んもう、ことちゃんってばっ。寂しかったんだったら、そう言ってよっ!」
「きゃっ!」
比奈子がうっとりして柚木さんに抱きついた。
「連絡がとれなくなっちゃって、ことちゃんとはもう一生会えないのかなあって、思ってた。でも、また会えてよかったねっ」
「うん。わたしも」
「今はいつでも連絡とれるから、もう離れ離れにならないよ。昔みたいにまたいっしょに遊ぼう」
「うんっ」
ふたりが再会できて本当によかった。
先生も比奈子と柚木さんの会話を聞いていたのか、部活見学に来た新入生を置いて、ふたりの会話に聞き入っている。
っていうかハンカチ出して泣いてるしっ。
他の部員たちも読書するのを忘れて、比奈子と柚木さんが抱き合っている様子に見入っていた。
「ことちゃんは文研に入るの?」
「えっ、あ……」
柚木さんが困惑して俺を見る。
「ことちゃんは本を読むのが好きでしょ。にいもいるから、文研はぴったりだと思うんだけど」
比奈子のファインプレイがまたもや炸裂した。
わがままだと思うときは多々あるけど、お前はやっぱり兄思いの可愛い妹だよ。
柚木さんといっしょに文研で活動できたら、高校生活がどれだけ楽しくなることか。
「にいだって、そう思うでしょ」
「えっ、あ、ああ」
「ああ、じゃないでしょ! ことちゃんがせっかく来てくれたんだから、入部してってお願いしなきゃっ」
曖昧に返事したら、比奈子に強い言葉を投げかけられてしまった。
でも比奈子の言う通りだと思う。
柚木さんに断られてしまうのは怖い。
だけど、二回も部活を見学してくれているのだから、自分の意思をちゃんと伝えなければ。
「うちの活動は読書と執筆がメインだから、柚木さんにぴったりだと思うんだ。よかったら、うちへ入部してくれないかい?」
「わたしなんかが、入部してもいいんですか?」
「もちろん! うちは大歓迎だよ。柚木さんが入部してくれたら、部員のみんなのモチベーションもあがるからね。ああ、でもまだ部活見学の期間だから、しつこく勧誘するのはよくないね」
「あ、いえ、そんな」
柚木さんがかぶりを振った。
「部活見学の期間中は入部の手続きができませんので。でも、わたしでよければ文研に入部させていただきますっ」
「さすが、ことちゃんっ」
比奈子がまた柚木さんに抱きついた。
「よかったね、にい」
「ああ」
「また、ああって言ってるっ!」
比奈子の鋭い突っ込みに柚木さんが微笑む。その笑顔にまた胸が高鳴るのを感じた。