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第31話 先生のお部屋は?

 緩やかな坂道を十五分くらい歩いて、マンションの並ぶ住宅街に差し掛かった。


 灰色の壁が特徴的なマンションの前で、先生が足を止める。


「ここよっ」


 先生の住むマンションは、予想よりもはるかに大きく、そして立派な佇まいだった。


 十階くらいはありそうな高さに、鏡のように磨かれた白い壁。


 エントランスの床には、傷や砂埃すなぼこりが少ない。


 エントランスの黒い扉は荘厳なつくりだ。床に取り付けられているライトが、蛍の光のような光を発している。


「ここが先生のマンションなんですか?」


 柚木さんもマンションを見上げて感嘆する。


「そうよ。家賃が高いから、毎日のやりくりが大変なの」


「そうですよね。こんな立派なマンションに住んでるんでしたら、家計を考えるのも大変ですよね。家賃はいくらなんですか?」


「ふふっ。それは後で教えてあげるから、とりあえず、うちへあがって」


「あっ、はい」


 ホテルのようなエントランスの向こうは、オートロックのガラスの扉で仕切られている。


 扉のそばにある鍵穴に、先生が鍵を差し込むと、扉が音を立てずに開いた。


 秘密の花園の扉が、ひとつずつ開かれていく。


 その度に、胸のときめきと期待値が、否が応にも上がっていく。


「むなくん、やっぱり期待してるんではおまへん?」


 部長の細い声がまた耳元で聞こえた。俺は反射的に後ろへ下がった。


「だから、期待なんてしてませんって!」


「その割りには、えらく動揺してるわねぇ」


 部長が、ここぞとばかりにからかってくる。おほほと、小気味よく笑われて腹が立つ。


 だが、ここで向きになったら、先生の部屋に期待している変態野郎であることを自ら肯定してしまう。


 部長のドヤ顔を見ても、ぐっと堪えるしかない。


 エレベーターで八階へ上がる。


 廊下は外が見えないつくりで、白い壁は台風が来ても、びくともしなそうだ。


 黄色の明かりが、廊下を暖かい色で灯している。


「さ、あがって」


「お邪魔しま――」


 扉を開けて飛び込んできたのは、玄関に並べられた大量の靴だった。


 ヒールやサンダルが、そこかしこに置かれて――いや、脱ぎ捨てられてるみたいだけど。


 玄関の廊下を塞ぐ通販の段ボール。靴をしまう黒い箱。


 プライベートでつかっているであろうピンク色の鞄らしき物体。


 それらが玄関を埋め尽くし、廊下の向こうまで軒を連ねていた。


「きゃあ! ちょっと待ってっ!」


 先生が柚木さんを押し出して扉を閉める。


 扉の向こうから、がさがさと物を動かす音が鳴りはじめた。


 柚木さんが、ぽかんと口を開けて放心する。


「さっきのお部屋って――」


「あいりちゃんのお部屋が、まさかの汚部屋とはなぁ」


 部長が俺を見て、くくとあざ笑う。


 学校のアイドルである高杉先生のお部屋が、まさかの汚部屋……?


 若い女性の部屋は、きれいで甘美で、ほのかに香るフローラルな匂いが心をくすぐる、汚い現世から隔絶された別世界なのではないのか?


 いや、待てよ。比奈子の部屋だって、そこそこ汚いじゃないか。


 女子の部屋が、きれいで甘美だというのは、男の妄想がつくり出す、浅はかかつ愚かな先入観であるからして――。


「先輩、さっきから何をぶつぶつ言ってるんですかっ」


 柚木さんの声が耳元で響いて、はっとした。


 彼女は目を細めて、汚いごみでも見るかのように佇んでいる。


「いや、何も言ってないけど」


「先生のお部屋が汚かったのが、そんなにショックだったんですか?」


 柚木さんの疑惑が、時間の経過とともに深まっていく。おかしい。どうしてだ。


 柚木さんの後ろで、部長が声を押し殺しながら笑った。


 マンションの音のない内廊下で二十分くらい待って、やっと入室の許可が降りた。


 スマートフォンの時計を見ると、夕食の時間に差し掛かっていた。


「さっ、どこでもいいから、座って座って!」


 廊下やリビングは、ものの見事に片付いている。


「あいりちゃん、いったい、どないな魔法をつかったん?」


「そんなことはいいから、早く話し合いの続きをしましょ!」


 先生がテーブルをばしばしと叩く。しかし、部長がクローゼットを開けようとすると、


「開けちゃだめ!」


 先生がすっ飛んで部長を引き止めた。


「あいりちゃんが、どないな魔法をつかったんか、見してもらおうと思って」


「もう、山科さんの意地悪っ」


 やっと真面目な話し合いをする雰囲気になったのに、何をやってるんですか。


「俺たちは遊びに来たわけじゃないんですから、打ち合わせをはじめますよ。柚木さん、ノートの準備はいい?」


「あっ、はいっ!」


 呆れ果てていた柚木さんが、慌ててノートと筆箱を取り出す。


「部室でどこまで話し合ったか、わかる?」


「はいっ。ええと、まず文研のパソコンが壊れてしまった原因は、コンピュータウィルスによるものだということが判明しました」


「正しくはランサムウェアだね」


「あ、そうでした。書き直しますっ」


 柚木さんが、「コンピュータウィルス」と書かれている文言に取り消し線を引いて、その上に「ランサムウェア」と記入する。


「ランサムウェアをパソコンから取り除くためには、OSを再インストールしないといけない。だけど、それはきっと俺たちではできないから、パソコン部の力を借りようというところまで話したんだね」


「それはもう仕方ないのよね。先生たちでは、そんなにも高度なことはできないんだから。あたしからもパソコン部の顧問の先生に頭を下げるわ」


 テーブルの前に腰を落ち着かせた先生が、腕組みして唸るが、


「ほな、うちはそっちの部屋の方を――」


「こらっ!」


 部長が不意に立ち上がって、部屋を出ていこうとしたので、先生が飛び跳ねるように立ち上がった。


 部長がドアノブを捻るよりも早く、先生が部長の手をつかんだ。


「お願いだから、山科さんはじっとしてて!」


「やあん。もう、あいりちゃんのいけずぅ」


 部室では、あんなにも凛々しい姿を見せてくれたのに、部長はすっかり元のだらしない部長に戻ってしまった。


 俺は涙を堪えて、柚木さんに振り返った。


「じゃあ、柚木さん。打ち合わせの続きを聞かせてくれるかい?」


「あ、はいっ。あとは、教頭先生に叱られちゃったことですね。うちのパソコンを元に戻して、コンピュータウィルス――じゃなくて、ランサムウェアに感染しない方法を提出しないと、うちのパソコンは、みんな没収されちゃうんですよね」


「そうだったね。パソコンを元に戻す方法はわかっているけど、ランサムウェアに感染しない方法をひねり出すのは、かなりの難題だ」


 俺の腕組みして思考をめぐらせる。しかし、いくら考えても案が出てこない。


 その原因が空腹であることに気づかされたのは、柚木さんに夕食を提案されてからだった。


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