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第3話 最強の妹・比奈子

 その後も三組の女子が部室を訪問してくれたけど、ことは――いや、柚木さんのことが気になって落ち着かなかった。


 彼女は部室の棚から小説を取り出して、隅の机でおとなしく読書していた。


 その間も俺の様子を伺うように、ちらちらと見ては顔を背けていた。


 彼女からの視線を感じるたび、胸がどきどきする。


 小学生のときに遊んでいたことを話してみたい。だけど、まわりの目が気になって聞き出せない。


「むなくん、うち、しんどいわあ」


 三組目の新入生への説明を終えて部長が寄りかかってきた。


「新入生が見てるんですから、やめてくださいよ」


「むなくんの、いけずぅ」


 部長が駄々っ子のようにぼやいた。


「あの、お願いですから、新入生の前では苗字か副部長と呼んでください」


「副部、長?」


「ああ、よだれが垂れてますって。何してるんですかっ」


 部長の口から涎が垂れる前にハンカチで涎を拭き取る。学園トップの美貌が台無しだ。


 部室の隅から鋭利な視線を感じる。


 俺は恐る恐る視線の先へ目を向けてみた。


 おとなしく小説を読んでいた柚木さんが、むっと怒った顔で俺と部長を見ていた。


 顔を向けると彼女はすぐに視線を逸らして、静かに小説を読んでいた。


「ことはちゃん。そろそろ帰ろう」


 もうひとりの子が読書に飽きたのか、柚木さんに帰宅を提案する。柚木さんは困惑して、


「えっ、もう帰るの?」


「うん。だって、もう四時半をすぎてるし。駅前のケーキを見に行くでしょ?」


「うん。見に行きたいけど」


 一昨日に駅前でケーキ屋さんが新しくオープンしたんだっけ。うちのクラスでも話題になっていた。


 柚木さんを連れた矢野さんが俺に頭を下げた。


「すみません。そろそろ帰ります」


「はい。明日またお待ちしています」


「わかりました。今日はありがとうございました」


 凛とした態度で挨拶する矢野さんとは対照的に、柚木さんは終始恥ずかしそうにしていた。


「先生、さよならっ」


「はいっ。さようなら」


 矢野さんは先生に挨拶して部室を出ていった。


 柚木さんが、部室の扉を閉めるときにぺこりと頭を下げてくれた。


「新入生は、初々しいわあ」


「そうですね」


 部長がとなりで身体をふらふらさせている。


「また明日、見学に来てくれたらいいんですけど」


「ポニーテールの子は、もう来いひんと、思う、けど」


「新入生が見てるんですから、いい加減に起きてくださいよっ」


「あうっ。むなくんの、厳しいところが、すきぃ」


 寄りかかる部長の頬を押しやりながら柚木さんに思いを馳せる。


 高鳴る気持ちを抑えることができなかった。



  * * *



 疲れた身体を引きずって帰路へ着く。夕陽がデパートのビルを茜色に染めている。


 柚木さんと会話することができなかった。話したいことがたくさんあるのに。


 明日も部活見学に来てくれるかな。胸の鼓動が早くなってくる。。


 文研に入部してくれたら、俺は、もう――。


「にいっ!」


 この声は、もしや。


 俺が振り返るよりも早く、声の主が後ろから抱きついた。


「あっ、ひな」


「背中が寂しげだぞ、にいっ」


 妹の比奈子ひなこがいたずらっ子のような笑みで言う。ツインテールの長い髪がぴょんと跳ねた。


「ずいぶん帰りが遅かったんだな。空手部の見学に行ってたのか?」


「押忍っ。がっつり部活に参加させていただきましたっす!」


 比奈子が腰を低くしてかわらを割るかまえをとった。


「空手部に入る気満々だな」


「もちろんよっ。だって、うちの高校の空手部が強いって、にいが言うから、おんなじ高校にわざわざ入学したんだからね。うそだったら、にいの頭をかち割ってやるわよ」


「それは勘弁してくれ」


 比奈子は身長が百五十センチ未満なのに空手の段位を持つ達人だ。


 比奈子より強い人はうちの学校にきっといないんだろうな。


「先輩の中にも有段者がいてさ、ちょっと感動しちゃった! 僕より強い人がいるかどうかはわからないけど、やりがいはあるかもって感じ?」


「ひなは空手二段だからな。空手部の主将よりも強いんじゃないか?」


「それはどうかな。主将の段位は聞けなかったけど、体格が僕よりも全然大きいから、ちょっと手ごわいかもっ」


「空手部の主将は『熊』って呼ばれている怪人だからな」


 空手部の大隈おおくま先輩は一度だけ見たことがある。


 異名に違わぬ体格に、顎にはひげを生やして、三年生らしい風格に満ち溢れていた。


 あの人を倒そうと、比奈子は入部する前から真剣に考えている。


 学校で一、二を争う小柄な体型を見ていると、滑稽を通り越して、なんだか敬意を払いたくなってくる。


「ま、僕のかかと落としが決まれば、なんとかなるでしょ!」


「はいはい。そうですねぇ」


 程なくして自宅が通学路の向こうに見えてきた。住宅街に建てられた、二階建てのしがない一軒家だ。


 自宅で部屋着のジャージに着替えて晩ご飯をいただく。


 今晩の夕食は煮魚と野菜炒め。それと毎日つくられる味噌汁だ。


「ああ、おなか空いたっ」


 ダイニングテーブルの向かいに比奈子が座った。はしをとって、茶碗によそわれた白米を掻き込む。


「急いで食べると、ご飯が喉に詰まるぞ」


「うるさいなあ。にいの食べるのが遅いんでしょ」


 比奈子の頬にご飯粒がついている。指摘すると文句を言われそうだから黙っておこう。


 煮魚に箸を差し込みながら柚木さんにまた思いを馳せる。


 比奈子は、ことは――いや、柚木さんがうちの高校へ入学していることを知ってるのだろうか。


「ん、なに?」


「小学生のときにさ、うち――引っ越す前のボロアパートだったけど、うちへ遊びに来ていた友達がいただろ」


「友達? そんな人いたっけ?」


 柚木さんのことを覚えていないんだな。


「にいの昔の友達でもいたの?」


「俺の友達じゃなくて、ひなの友達だよ。ほら、ひなが二年か三年くらいのときに、いっしょに遊んでた子がいただろ。たしか、ことちゃんっていう名前の」


「ことちゃん?」


 比奈子も箸を止めて、「うーん」と唸った。


「ことちゃん! 思い出したっ。にいと仲良かったことちゃんでしょ!」


「そうそう。そのことちゃんだよ」


「ことちゃんって懐かしいっ。もう何年前だっけ。ことちゃんと遊んでたの。五年前? 六年前?」


「俺が三年生か四年生の頃だったから、六年前くらいじゃないか?」


「そんな昔だったっけ。すっかり忘れてた」


 六年も前のことを忘れるのは無理もない。


「ことちゃんがどうかしたの? どっかでばったり会ったとか?」


「ああ。今日の部活見学にことちゃんが来たんだよ」


「えっ、マジ!?」


 比奈子がテーブルに両手を突いて立ち上がった。


「ことちゃんがうちの学校にいたの!? マジでっ」


「マジマジ。背格好は当時からかなり変わってたけど、雰囲気は昔のまんまだったよ」


「うっそ。ことちゃんがうちの学校にいたなんて信じられないっ。ああ、すっごい運命的ぃ」


 柚木さんのことをさっきまで忘れていたくせに、調子のいい妹だ。


「ことちゃんは何組っ?」


「一組だったんじゃないかな。部活見学用紙に一組って書かれてた気がする」


「そっかぁ。ことちゃんは一組にいるんだぁ」


 比奈子が椅子に座って、しみじみと言った。


「ひなは何組だったっけ?」


「ん、僕は四組だよ」


「四組と一組じゃ気づかないよな」


「まあね。うちの学校は同中おなちゅうが少ないから、クラスで話せる友達もまだ二人しかいないし。ことちゃんが一組にいるんだったら話してみたいなあ。でも、僕のことなんて覚えてないかもだし」


 空手の有段者なのに、ずいぶんと可愛い理由でもじもじするんだな。


「話してみればいいじゃんか。ことちゃんだって、ひなと話せば思い出すだろ」


「そうかなあ。さらりとスルーされたら立ち直れないかもだけど」


 チビで空手有段者の幼なじみはかなり印象に残る存在だと思うけどな。


「ああ、ことちゃんかあ。明日の学校が楽しみだなあ」


 比奈子は頬にご飯粒をつけたまま恍惚こうこつした。


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