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第19話 柚木さんと部長は合わない?

 昼下がりの図書館には、放課後の校舎と似たような空気が流れている。


 天井の高いフロアには、棚が七段もある大きな本棚が整然とそびえている。


 貸し出しカウンターから向こうの窓際まで、ありとあらゆるジャンルの本が、ここには収められている。


 学校から持ってきた本を、段ボールごと図書館の職員へ返して、フロアを少し歩いてみる。


 本棚の天板の近くに、「歴史コーナー」と書かれたポップが貼り付けられている。


 せっかくだから、三国志の参考書でも借りようかな。司馬懿しばいを調べてみたいんだよな。


 歴史コーナーの本棚を一段目から物色する。


 ここに並べられているのは、太平洋戦争や日中戦争などのコメントしづらい本ばかりだ。


「先輩、何してるんですか」


 振り返ると、本棚の側板の近くで柚木さんが佇んでいた。


「司馬懿の本を探してるんだよ」


「しばい、ですか?」


「そう、司馬懿。柚木さんは知らない?」


「はい。すみませんけど、ちょっとわからないです。歴史関係の本ですから、お芝居のことじゃないんですよね」


 柚木さんの謎かけのような言葉に、思考が一瞬だけ停止する。


「司馬懿は三国志の武将だよ。漢字は、ちょっと待ってね」


 五段目の棚に、三国志の武将の辞典があった。目次から、司馬懿の説明文を探し出す。


「これだよ。この人が司馬懿」


「これで、『しばい』と読むんですね。こんな難しい漢字、初めて見ました」


「三国志の武将の名前には、漢検の問題でも見かけないような、珍しい字がよく使われるからね。読めなくてもおかしくないよ」


「そうなんですね。しばいって言うから、お芝居のことしか思い浮かびませんでした」


 柚木さんが顔を近づけて紙面を覗く。部室にいたときより元気がない。


「柚木さんは三国志なんて知らないよね」


「はい。あの三国志って、孔明っていう人がいたお話ですよね。何をした人なのかは、知りませんけど」


「孔明は、三国志のしょくの武将だよ。蜀の丞相じょうしょう――今で言う首相や大統領になった人だね」


「そうなんですか。わたしは歴史があまり得意じゃないですけど、先輩は好きですよね」

「歴史は男の浪漫だからね。日本の戦国時代も、幕末や新撰組も、果ては中国の春秋戦国時代まで、好きなものはなんでも読むよっ」


 歴史の楽しさについて、柚木さんに熱く語りたい。だけど、そんな話を長々としたら、彼女に嫌われそうだ。


「そういえば、部長はどこに行ったか知ってる?」


「山科先輩でしたら、あそこで寝ています」


 柚木さんが向こうの読書スペースを指す。


 いくつか並べられている木製のテーブルに、部長が身体を預けていた。


「さっきも店で寝てたはずなのに、部長はもう――」


「山科先輩が気になるんですか?」


「いや、そういうわけじゃないけど」


 柚木さんの胸を刺すような視線に言葉が詰まる。


 ものすごく疑われているような気がするけど、どうしてなんだ?


「早く部長を起こして帰りましょうよ。じゃないと、逢理あいり先生に怒られますっ」


「だいじょうぶだよ。時間的に今日の部活はもう終わりだから、ちょっとくらい遅れても文句は言われないし」


「そうなんですか」


「たぶんだけど、先生も他の部員もとっくに帰ってるんじゃないかな。先生なんて、だいぶお疲れだったから」


 部活は緩いし、部室には部長も副部長もいない。顧問の先生の威厳だって、砂粒ほどもない。


 そんな部活で、終了時間まで残っている部員なんて、うちにはいないんだ。


「理由はよくわからないけど、部長もお疲れなのかもしれないから、ちょっとゆっくりしていこうよ。俺も本を――」


「ええ子は、図書館であそんでちゃあきまへんよう」


 甘い吐息が首の後ろに当たって、心臓が止まりそうになる。


 気づいたら、部長に後ろから抱きつかれていた。


「部長っ、いつからそこにいたんですか!? びっくりしたじゃないですかっ」


「だってぇ、ほんで寝て待っとったんに、むなくんがいっこもかまってくれへんから、しんぼできなくなってしもたんやもんっ」


 部長が俺のシャツをつかみながら、向こうのテーブルを指す。


「あの、ひとつ確認しておきたいんですけど、いつも寝てるのは、俺の注意を引きつけるための確信的な行動なんですか?」


「あら、かなんわ、むなくんってば。うちがそないに計算高い女やと思ってるん? おほほほほ」


「でもさっき、辛抱できなくなったって言いましたよね。狙ってやってるんだとしたら、きもいですよ」


 国民的アイドルのようにきれいな部長に必要とされて、気持ち悪いはずがない。


 だけど、柚木さんの冷たい視線が左の頬に突き刺さるので、あえて部長を突き放すしかない。


 部長は、漫画やアニメでよく見る、背景に「がーん」という効果音がつきそうな感じで、床に崩れ落ちた。


「むなくんが、うちにきもい言うたっ。うちは年増やさかい、うちのことなんて、どうなってもええんやわ。しくしく」


「すみません。きもいはさすがに言い過ぎでした。部長は全然きもくないです」


「ほんまにっ? そないなら帰りにアイス買うてっ」


 部長が急に俺の手を引っ張って抱きついてきた。顔が、近いですよ!


 本気で悲しんでるから心配したのに、何もなかったように部長はけろっとしている。


 かれこれ一年以上の付き合いになるけど、この人の気持ちは未だにわからない。


 柚木さんが力のない足取りで背を向けた。


「柚木さん?」


「わたしも疲れたので、先に帰ります。お疲れ様でした」


「あ、うん。お疲れ様」


 柚木さんがとぼとぼと歩いてフロアを去っていく。


 白のワイシャツを着た細い背中は、どこか寂しげで、疲れているというより悲しんでいるように見える。


 柚木さんはどうしちゃったのだろうか。前にも、こんなことがあったような気がするけど。


「柚木はん、元気ないわねぇ。どないしたんかしら」


 柚木さんの消沈する姿に、部長も胸を痛めたようだ。


「さっきまでは元気だったんですけどね」


「さいぜんまでって、いつまで?」


「ええと、部長に会う前くらいまでですかね」


 タイミングから察するにその頃だ。


「本を運ぶのをお願いしたのが間違いでしたかね。あれは女子には重いでしょうから」


「ふーん」


 部長は図書館のエントランスを眺めて、薄く笑った。


「その話はひとまずこっちに置いておいて」


「置かないでください」


「むなくん、さいぜん、うちに酷いことを言うたんやから、アイスをちゃんと奢りなさいよ」


「マジですか? 今月はあまり金がないんですけど」


「当たり前よ。女にきもい言うたんやから、簡単には許さへんよ。うちにアイスを奢るか、それともうちの抱き枕になるか、どっちがええ?」


「はい、アイスクリーム代を出させていただきます」


 部長の抱き枕になるのだけはだめだ。柚木さんや部員たちに嫌われてしまう。


「そないなら、帰りにコンビニに寄るさかい、むなくんもついてきよし」


 ゴールデンウィークに微妙に散財しちゃったから、今月は本当に小遣いが少ないのですが。


 司馬懿の参考書は、中間試験が終わってから借りるしかないか。


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