第18話 柚木さんと部長にはさまれて?
図書館へ返却する本は、ふたつの段ボールに詰め込まれている。これをひとりで運ぶのか?
ひとつの段ボールを試しに持ち上げてみる。腰にかなり負担がかかりそうな重さだ。
「一回でまとめて運べないぞ。どうするかな」
段ボールをひとつずつ運んだら、かなり時間がかかってしまう。先生はきっと、そこまで考えていなかったんだろうな。
先生のうっかりミスも毎月恒例の出来事だけど、これは弱ったな。
「先輩っ!」
図書準備室の扉が乱暴に開けられて、柚木さんが飛び込んできた。
「柚木さんっ」
「わたしも手伝いますっ」
なんていいタイミングで来てくれたんだ。
「ちょうど人手がほしいと思ってたんだ。助かるよ」
「本当ですかっ?」
「うん。だって、ほら――」
俺は、本の詰め込まれたふたつの段ボールを指した。柚木さんが覗き込んで顔をしかめる。
「これをひとりで運ぶのは難儀ですね」
「先生は図書館へ返す本の数を聞いていなかったんだろうね。まったく困るよ」
「そういうことですか。でもまあ、いいじゃないですか」
柚木さんが段ボールの底をつかむ。ぐっと力を込めて持ち上げた。
「ふたりで持っていけば、すぐに終わりますって。早く行きましょっ」
言われてもいない作業を進んで手伝ってくれるなんて、柚木さんは本当にいい子だ。
「そっちの方が重いんじゃない? 何冊か俺の方に乗っけていいよ」
「だいじょうぶですっ。こう見えても、力には自信がありますから」
足もとに気を配りながら、廊下の階段を下りる。放課後の昇降口はだれもいない。
校庭から運動部の掛け声が聞こえてくる。
放課後に廊下にいると、なんだか部活をさぼっているような気分になってくる。
「部活中に外へ出られるのって、いいですね。部活をさぼっているみたいで、変な気分になってきますっ」
校庭を眺めながら、柚木さんが声を弾ませる。
「俺もちょうど同じことを考えてたよ。部活をさぼっているみたいだなって」
「本当ですかっ? 考えることはいっしょですね!」
柚木さんの無邪気な笑顔が眩しすぎて、心がぐっと持っていかれてしまう。
とっさに校庭を見るしかなかった。
「運動部はどこも盛んに練習してるね。暑いのに、みんなえらいね」
「先輩だって、毎日部室に顔を出してるじゃないですか。先輩だって、えらいです」
「俺は部室の鍵をもってるからね。鍵を開けないと、みんな部室に入れないから、そのためだよ」
「文研のみんなのために、先輩が一番早く部室に来てるんですから、先輩はやっぱりえらいですよ!」
柚木さんは絶大な信頼を寄せてくれる。
先輩として、とても嬉しいけれど、絶賛ばかりされるのも照れくさい。
「褒めてくれるのは嬉しいんだけど、あんまり褒められるのも、ちょっと困るかも」
「あっ、そうですよね。すみません」
柚木さんが顔を少し赤らめた。
小間市の図書館は、学校から歩いて十分くらい離れた先にある。
正門から車の交通量の多い道路へ出て、駅と正反対の道を進むと見えてくる。
図書館の近くに中学校があるから、歩道を歩いていると何組かの中学生たちとすれ違う。
飾りっ気のない紺色のベストに、スカートの丈は膝まで届きそうだ。
市営の建物っぽい謎の施設を越えると、図書館が見えてきた。
車道を挟んだ向こうの歩道には、ラーメン屋と熱帯魚ショップが並んでいる。
熱帯魚ショップの前には、大きな水槽が四つ、二列ずつ積まれている。
本棚みたいな水槽には、色とりどりの小さな魚が所狭しと泳いでいる。
水槽の前にひとりの女子高生が立っていた。柚木さんと同じ制服を着ている。
日本人形のような長い髪に、日焼けしていない透明な肌。
細い身体に、男を惹きつけて離さない胸や腰の魅惑的なライン。
思わず見入ってしまうほどに美しい女性だ。雰囲気がどことなく部長に似ているけど。
その人は頭を能天気に揺らしながら、ふらふらした足取りで歩道へと歩いてきて――。
「山科先輩?」
柚木さんが不安げにつぶやいた。
「あらっ、むなくん」
部長も俺たちの存在に気づいて、カタツムリのようにのんびりとした足取りで、車道を渡ってきた。
早く渡らないと危ないですって。
「こないなとこで、むなくんに会えると思わなかったわ。今日もええ一日ねぇ」
「いい一日かどうかは、よくわかりませんけど、こんなところで何してるんですか?」
「むなくんってば、相変わらず冷たいんねぇ。ほんまに、いけずやわあ」
部長が、おほほほと笑って俺の肩を叩いた。
「それがねぇ。あそこのお魚はんのお店に、前から行きたかったんよ。けども、水槽のお魚はんを眺めとったら、なんや眠くなってきて、気づいたらこないな時間になっとったんよ」
「あのお店でずっと寝てたんですね。部長なのに、何してるんですかっ」
「そないなこといわんといて。うちかて女よ。部長でも、お魚はんを見たくなるときがあるんよ」
言っていることがよくわかりませんけど、お店で居眠りされたら、店員さんはいい迷惑でしょうね。
校内でも一、二を争う美貌の持ち主なのに、今日もいろいろと残念な人だ。
「ほな、店員はんに起こされて、お客はんのやくたいになってますからって、お店を追い出されたんよ。お客はんなんて、他にだれもおらんのにねぇ」
「他にお客さんがいなくても、店の中で寝てたら迷惑ですって。いい加減に寝る癖を治してくださいよっ」
「あら、むなくんまでそないなことをしゃべるん? むなくんは、うちの味方になってくれると思っとったんに、うちは悲しいわあ」
部長がブレザーのポケットからハンカチを取り出して、さめざめと泣く仕草をする。
見え透いた芝居なんて、俺には通用しませんよ。
部長がハンカチを目もとから少しどかして、段ボールに入っている本に気づいた。
「おもろいもんを持ってるんね」
「おもろくないですよ。図書館から借りていた本を返しに行くところです」
「そやの? そんなら、うちも一冊――」
「先輩っ!」
柚木さんの呼び声が図書館の方から聞こえた。柚木さんは、俺と部長を置いて先に行っていた。
「この本、重いんですから、早くしてくださいよっ!」
「ああ、ごめん」
部長の対応に追われて、柚木さんに気をまわす余裕がなかった。
部長がハンカチで口もとを隠して笑った。
「ほほ、柚木はんもおったんね」
「ほほじゃありませんよ。柚木さんに怒られちゃったじゃないですか」
「柚木はんは、素直でかいらしい子やけども、気が短いんが玉に瑕ね」
部長が段ボールから四冊の本をとった。
「柚木はんに怒られてしもたさかい、うちもむなくんの手伝いをしよかしら」
「しよかしらって、暇つぶしがしたいだけでしょ。ふざけていたら、柚木さんにもっと怒られますよ」
「いっぺん怒られとるんやさかい、二回怒られてもおんなじよ」
部長は気にも留めずに俺の腕を引っ張る。
「早う行かへんと、柚木はんにまた怒られるわよぅ」
部長は今日もマイペースだ。柚木さんに怒られても、顔色ひとつ変えない。
よく言えば豪胆というか、心の広い人なのかなと、部長の横顔を見ながら思う。
部長の独特でおっとりした性格は魅力的かもしれない。
「この本、うちに持って帰ってもばれへんかしら」
「何言ってるんですか。ばれるに決まってるでしょ!」
「古本屋に売ったらお小遣いになると思ったんに、残念やわあ」
前言撤回。この人はやはり性格的にいろいろと問題がある。
おかしなことをしないように、副部長の俺がちゃんと見張らないとだめだ。




