第17話 中間試験の前のゆったり
長いようで短いゴールデンウィークが去って、気だるい学校生活が舞い戻ってきた。
文研の部室で、女子部員たちが小説を片手におしゃべりしている。
遠い空に、緩やかに流れていく雲が三つも浮かんでいる。
その浮遊大陸みたいに雄大な姿を、おぼろげに眺めていると、
「もうじき中間試験ですね」
となりの席に座っている柚木さんが言った。
「そうだね。この前に新歓で部活紹介をやったばかりなのに、もう中間試験の時期になるんだね。時間が過ぎるのは早いね」
「そうですけど、その言い方だと、なんだか近所のおじいちゃんみたいですっ」
柚木さんがくすくすと笑って声を弾ませる。
「変なことを言っちゃったかな。雲を眺めていたら、人生の儚さ的なものを感じてきちゃって」
「なんですか、それ。先輩はいつも、そんなことばっかり考えてるんですかっ?」
「わりと頻繁に考えてるかもしれない」
――ことちゃんが他の人と付き合ってもいいの?
人生の儚さなんかよりも、はるかに重くて大切な考えが俺の頭を占めている。
あの夜、比奈子に突きつけられた言葉が頭からずっと離れない。
柚木さんとぎこちない関係になりたくないから、忘れようと何度も努力した。
けれど、忘れようとすればするほど、思いは強まってくる。
空を眺める柚木さんの横顔を、直視することができない。
「先輩は、空を眺めるのが好きなんですね。わたしも好きです」
「そうなんだ。気が合うね」
「はいっ。わたしもアクティブに活動するタイプじゃないですから、休みの日はぼうっと空を眺めて過ごすことが多いんです」
柚木さんは静かな子だから、積極的に外出するタイプじゃないだろうな。
「先輩は、中学生のときも文芸部にいたんですか?」
「いや、中学校には文芸部がなかったから、新聞部にいたよ」
「そうだったんですか。あ、文芸部の替わりに執筆できる部活を選んだんですね」
柚木さんは利口だ。頭の回転が速く、理解力も高い。普通にいい子だ。
「そうだね。文研と同じくらいに活動してなかったから、ほとんどさぼってたけどね」
「部活が緩いと、ついさぼっちゃいますよね」
「柚木さんは、中学校で文芸部に入ってたの?」
「いえ。わたしの中学校も文芸部がなかったので、吹奏楽部にいました」
柚木さんは楽器も吹けるのか。すごいなあ。
「吹奏楽部って、強豪だと練習とか厳しそうだよね」
「はい。うちの中学校もすごく厳しかったです。わたし、音楽は全然得意じゃないんですけど、友達に勧められて、軽い気持ちで入部しちゃったんです。ですので、すぐ練習についていけなくなっちゃったんです」
未経験者が強豪の部活に入るのは大変だろうな。
「それなので、二年生のときは部活に出ないで、漢検の勉強ばかりしてました」
「柚木さんって、漢検をもってるの? 何級?」
「えっと、準一級です」
そうだったんだ。こんなところにも、共通点があったなんて。
「準一級を持ってるのはすごいね。知らなかったよ」
「いえ、そんな。他にすることがなかっただけですから」
柚木さんがすかさず赤面する。照れている姿が幼くて、心がどきどきしてしまう。
「先輩も、資格とかは持ってるんですかっ?」
柚木さんのまっすぐな視線を、受けることができない。俺は顔を背けた。
資格は俺も一応持っている。でも、この流れだと言いづらいかも。
「ああ、うん。一応持ってるよ」
「なんの資格ですかっ?」
「ええと、俺も漢検を、少々」
「そうなんですか!?」
柚木さんの突然の声に、他の部員たちが何事かと顔をあげた。
「す、すみません。先輩も漢検を持ってるとは思わなかったので、驚いちゃいました」
「高校生で漢検をもってる人は少ないからね」
「それで、先輩は何級なんですか」
「ええと、一級です」
柚木さんが椅子をがたっと引いて、身体を大きく仰け反らせた。
「い、一級を持ってるんですか。本当ですかっ!?」
「うん。俺も中学生のときは時間がいっぱいあったから、暇つぶしで漢検の勉強をしてたんだよ。一級が受かるとは思ってなかったんだけど」
「一級の問題はわたしも見ました。準一級の問題でも解くのがやっとだったから、一級なんて絶対にとれないと思ってました。それなのに、こんな身近に漢検の一級を持ってる人がいるなんて」
いい話の流れだったのに、柚木さんの気持ちをまんまと打ち砕いてしまった。
「準一級だって、高校生で持ってる人はいないんだから、すごいよっ」
「一級を持ってる人に言われても、全然嬉しくないですっ」
部室の前の扉が開く。高杉先生が重い足取りで入ってきた。
「あいり先生、こんにちはー」
「はいっ、こんにちはー」
先生が向かいの机から椅子を引く。くたくたの身体をどすんと下ろした。
「先生、だいぶお疲れですね」
「そうよぅ。もう死にそう」
先生がぐったりと机に突っ伏す。
「休み明けなのに、なんで疲れてるんですか?」
「先生はゴールデンウィークでも休みじゃないのよぅ。ママさんバレーの試合はあるし、研修にも出ないといけないから、こう見えても、いろいろと大変なのよ」
先生は、アイドルみたいにちやほやされてるから、休みなんて、たっぷりもらってるんだと思ってましたよ。
柚木さんがきょとんとして、
「先生の研修なんて、あるんですか?」
「あるわよっ。毎月に二回も出ないといけないのよ。しかも休みの日にっ」
「えっ、休みの日に研修があるんですか? それは嫌ですね」
「そうでしょ。もう最悪っ。先生になったから、勉強なんてもうしなくていいんだ! って思ってたのにぃ」
先生がだらりと頭を下ろす。それは俺たちに言わない方がいいんじゃないか?
「バレーの試合はどうだったんですか?」
「試合? 負けたわよぅ。PTAの人たち、強いんだもん」
「PTAの人たちってバレー強いんですね」
「だって、あの人たちは平日も集まって練習してるのよ。先生たちは休みの日じゃないと集まれないし、集まってもみんなくたくたで、練習なんてまともにできてないんだから。勝てるわけないわよっ」
練習時間に差があるんじゃ、勝つのは難しいですね。
「ボールがとれなかったら、『レシーブの練習が足りないわねえ』って、ドヤ顔で言ってくるしっ。久坂先生のスパイクもディスるし、思い出しただけで、あーむかつくっ!」
先生が駄々っ子みたいに机をどんどんと叩く。柚木さんが見かねて、
「先生、みんなの迷惑になりますから」
「はっ、そうよね。うるさくしちゃって、ごめんなさい」
先生がはっと起き上がって、部員たちにぺこぺこ頭を下げた。
高杉先生は頼りない新米教師だけど、素直で俺たちに対しても腰が低い。だから、すかれてるんだろうな。
「そういえば、宗形くん。ちょっとお願いしたいことがあるんだけど、いいかしら」
「はい。なんですか?」
「図書委員からのお願いでね。学校が前年度に図書館から借りている本を、まだ返していないみたいなのよ。人手が足りないみたいだから、図書館まで返してきてくれないかしら」
毎月恒例の図書委員の手伝いか。面倒だけど断れない。
「わかりました。返却対象の本は図書準備室に用意してあるんですよね」
「うん。用意してくれてると思うわ」
「了解です。すぐに行ってきます」
今日はいい天気だから、外に出たら気持ちよさそうだ。
帰りにコンビニにでも寄っていこうかな。




