第164話 文研はやっぱりゆったり文芸部
放課後が終わる前に、柚木さんといっしょに下校する。
彼女が入部してから、これが当たり前になっていた。だから、この幸せにいつの間にか鈍くなっていた。
「いっしょに帰るのって、久しぶりですね」
柚木さんが顔を向けずに言う。
「そうだね」
「先輩といっしょに帰ることは、もうないと思っていました」
俺もそう思っていた。けれど、柚木さんと仲直りできて、よかった。
「わたし、先輩のことを突き放してしまいましたけど、ずっと後悔していました」
そうなのか?
「先輩が好きで、先輩をずっと追いかけていたのに、わたしがすべてを台無しにしてしまったのですから。先輩とは、もう会えないんだって、ひとりで考えていました」
その告白を聞きながら、村田の言葉が俺の脳裏によみがえった。
――ゆずは、昼休みの後からずっと泣いてましたぜ。
知らぬ間に彼女をそこまで追い詰めていたんだと思うと、胸が苦しくなった。
「ごめんね。余計なことを考えさせちゃって」
「い、いいえっ。もう済んだことですので、いいんです」
柚木さんが、いつもの忙しない感じで言ってくれる。
「俺もずっと悩んでたよ。昼休みのあの後、ひなといっしょに帰って、ふたりでくよくよしてたよ」
「ひなちゃんと?」
「あいつもけっこうショックだったみたいで、あれから元気がなくなっちゃってさ。驚いたよ」
彼女を和ませるつもりで話してみたが、
「そうだったんですね。ひなちゃんにも、悪いことをしてしまいました」
彼女を逆に責めることになってしまった。
「いや、そうじゃなくて、それだけ柚木さんのことを考えてたっていうのを言いたかったんだよ」
「そうなんですか?」
「そうだよ。あの小説を書くの、すごい大変だったんだから」
柚木さんのために書いたあの小説には心血を注いだ。もう一度書けと言われても、絶対に無理だ。
柚木さんが俺を見上げて、くすくすと笑った。
「そうだったんですね。ありがとうございますっ」
「あ、うん」
改めて感謝されると、なんだが照れくさい。曖昧な返事しかできなかった。
「先輩から呼ばれて、部室に行くの、すごく怖かったんですけど、勇気をふりしぼってよかったですっ」
「そっか」
「先輩のメールを無視したら、絶対に後悔していました。わたしのために小説を書いてくれて、ありがとうございます」
小間市の駅が近づいてくる。駅前の横断歩道を渡って、コンビニの脇を通り過ぎる。
「駅に着いちゃったね」
「はい」
「じゃあ、俺はこれで」
柚木さんと別れたくない。だけど、俺のために無駄な時間をとらせるわけにはいかない。
「先輩っ」
柚木さんに呼び止められた。
「明日、部室に行きますから」
嬉しい言葉だった。
「わかったよ。部室の鍵、開けておくから。絶対に来て」
「はいっ」
「今度、岩袋に遊びに行こう。ふたりで、ゆっくりと」
「はいっ!」
* * *
比奈子はすでに帰宅していた。今日の顛末を話すと、比奈子は自分のことのように喜んでくれた。
文研の部員たちも、部室に戻ってきてくれた。先生の言う通り、俺と柚木さんを気遣っていたようだった。
先生は柚木さんを見ると、運命の人と再会したように、柚木さんに抱きついていた。
先生の大げさな反応に、部室は祝福のムードにつつまれた。しかし、村田だけは終始うつむいていた。
彼だけ居心地が悪そうだけど、仲間はずれにするのは気が引ける。
副部長として、彼をまた迎え入れたいと思う。
「それじゃあ、今日はみんなで、ぱあーっといっちゃいますかっ!」
先生の子どもっぽく飛び跳ねる姿を、二年生の綿矢さんと湊さんが冷ややかに見やって、
「いや、今日って、なんでもない日でしょ」
「ええっ」
「みんな読書してるんですから、部室では静かにしてください」
「ええっ!?」
先生の無意味なハイテンションを二言で沈めた。
「みんな、ひどいわ。これだから平成生まれは怖いわ」
「先生も平成生まれでしょ」
この前は、先生の恋愛話を聞いて、少し見直したのに、見直して損した。この人はやはり、いろいろとだめな人だ。
「おはようさん」
部室の扉が開いて、懐かしい人が姿をあらわした。
「部長」
「むなくんに柚木はんも。久しぶり」
「お久しぶりですっ」
黒くて細い髪に、ゆったりとした口調。部長も前から変わっていない。
「受験勉強は、どうですか」
「あんまり変わってへんよ。明文に受かる気がせんわ」
受験勉強は大変でしょうけど、だいじょうぶです。部長なら、明文に必ず受かりますから。
部長が切れ長の目で見やって、
「あれまあ、あいりちゃんがめずらしう、へこんでるわ」
となりの机で突っ伏している先生を抱き起した。
「あ、ちょっとっ」
「なになに、どうしたん、あいりちゃん。また失恋したんか?」
「失恋なんて、してないわよっ。っていうか、胸さわらないでっ」
「ん? ここか? ここがええんか?」
「こらっ。ちょっと、やめっ」
呆れる柚木さんを尻目に、部長は先生とじゃれはじめてしまった。
文研の締まりのない空気は、結局、変わらない。だけど、それでいいのかもしれない。
先生に頬を擦り付けて、にやりと笑う部長にため息が漏れる。
となりを振り返ると、柚木さんが楽しそうに微笑んだ。