第163話 柚木さんのこたえは
「おうおうおうっ! こんなところで、なに、こそこそしてんすか、おふたりさん!」
部室の扉を突然に押し開けたのは、村田だった。
このタイミングで、やってくるなんて。なんて嫌な男なんだ。
「村田っ!」
柚木さんも愕然と言葉を発した。赤面に怒りの色が混ざっていく。
「お前らさあ、この前に喧嘩したばっかりなんだから、俺に隠れて会わないでくれよな」
村田の言葉は、いつにもまして軽い。けれど、へらへらしている口もとに反して、目は笑っていない。
「つーかさあ、副部長。部室を開けたんだったら、俺にも連絡してくれよ。文研の部室は、お前らの密会の場所じゃないんだぜ」
こいつが俺と柚木さんを邪魔する理由はわかっている。だからなのか、気安く呼ばれても怒りが沸いてこなかった。
柚木さんは向きになりそうだ。手で制すると、彼女がはっと俺を見上げた。
「村田は部活をしに来たのか。何も連絡しなくて、すまなかったね」
神妙な顔つきになった村田に、俺は言った。
「けれど、俺は今、柚木さんととても大事な話をしているから、邪魔しないでくれないか」
村田の顔つきが、また変わった。
「はあっ!? なんだよそれっ。俺は真面目に部活をしに来たっつうのに、邪魔だっつうのかよ!?」
「そうじゃない――」
「お前らみたいに、みんなに隠れて部室でいちゃいちゃしてる方が、よっぽど卑猥でふざけてるじゃねえかよ。それなのに、なんで俺が邪魔者扱いされないといけないんだよ!?」
村田の怒声が俺の言葉を遮った。
お前は、なんとしても俺と柚木さんの仲を裂きたいのだろうが、その手には、もう乗らない。
俺は村田と柚木さんの視線を無視して、鞄から部室の鍵を取り出した。それを村田の前に置いて、
「じゃあ、部室の鍵をお前に預けるよ。俺と柚木さんはこれで帰るから、部室の戸締りを忘れるなよ」
決然と言い切り、困惑する柚木さんの手をとって、
「柚木さん、行こうっ」
「あっ、はい」
一度も振り返らずに、部室を飛び出した。
柚木さんとの仲を修復する、とても大事な時間なんだ。あんなやつに邪魔はさせない。
柚木さんを引き摺るように二階の廊下を歩いて、だれもいない教室に入った。
柚木さんは絶句していた。
「ごめんね。連れまわしちゃって」
「あ、いえっ」
「俺は、きみとちゃんとやりなおしたいから、あいつに邪魔されたくなかったんだ」
一度ふられているせいなのか、柚木さんをまっすぐに見つめたまま、本心を話すことができる。
「いえ、そんな。驚きましたけど、わたしは、だいじょうぶですから」
柚木さんは、所在なげにうつむいていた。
「先輩でも、ああやって、はっきり言うことがあるんですね。知りませんでした」
「村田はしつこいからね。別にいいんだよ。俺は嫌われても。気にしないから」
「むかしの先輩だったら、絶対に気にしてましたよねっ」
柚木さんの言う通りだ。俺の正体をあっさり見抜かれて、少し情けない気がした。
柚木さんが紅い顔のまま、くすくすと笑った。俺もつられて笑ってしまった。
「それで、さっきの話のつづきなんだけど、俺は、柚木さんに付き合ってほしいと思ってる。柚木さんは、どうかな」
「あ、はいっ」
柚木さんの背筋がぴんと伸びた。
「付き合うって、そういう意味での、話ですよね」
「そうだよ」
「その、わたしなんかで、いいんですか」
「変なことを言わないでよ。俺は、柚木さんがいいんだよ」
柚木さんと向き合うのがつらくなった。たまらなくなって背を向けた。
「こういう気持ちになったのは、初めてだから、よくわからないけど、柚木さんじゃないとだめなんだ。ええと、理由は――」
柚木さんじゃないといけない理由がたくさんあった気がするのに、急に思い出せなくなってしまった。
恋人として付き合いたい理由を、今ここでちゃんと説明しなければ、彼女にまたふられるかもしれないというのに、俺は――。
「わかりましたっ」
柚木さんの快活な返事が後ろから聞こえた。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いしますっ」
振り返ると、柚木さんが笑っていた。迷いのない笑みだった。
「俺も変なことを聞くんだけど、柚木さんは、俺なんかでいいの?」
「なんですかそれっ。いいに決まってるじゃないですか」
柚木さんが苦笑して、
「小説もそうだったんですけど、さっき、先輩がはっきりと態度で示してくれて、嬉しかったです。わたしのことを真剣に考えてくれてるんだって、思いました」
本心を包み隠さずに話してくれる。
「そうだったんだ。空気を読まないことをしたから、てっきり嫌われたと思ってたよ」
「いきなりでしたから、びっくりしちゃいましたけどねっ」
「そっか。ごめん」
「いいえ。そんな」
柄にないことはすべきじゃないか。
「無我夢中だったから、余計なことをあれこれ考えてる時間はなかったよ。気がついたら、部室を飛び出してた」
「そうなんですか?」
「若干、頭に血がのぼってたのかもしれないね」
「村田に邪魔されたんですから、仕方ないですよ」
教壇に腰を下ろすと、柚木さんがとなりに座った。
「告白されると、戸惑っちゃいますよね。わたしなんかでいいのかなって、思っちゃう」
「そうだね。俺も同じことを思った」
「自信がないから、そう思っちゃうのかもしれないですね」
「そうだね。自信がないのは、仕方ないよ。女子と付き合ったことなんて、ないんだから」
「そうですねっ」
柚木さんが屈託なく笑った。
「これからは、なんて呼べばいいですかっ」
「そうだなあ。全然考えてなかったから、わかんないや」
「いきなり呼び方を変えたら、文研のみなさんにばれちゃいますよね」
そうか。付き合っていることを文研の部員にばらしてはいけないんだ。
「じゃあ、今まで通り、『先輩』で」
「わかりましたっ」
「俺もとりあえず呼び方は変えないよ。変えるタイミングは、折を見て考えよう」
「はいっ」
柚木さんが満面の笑みで返事した。