第160話 あいり先生の恋愛
俺は彼女にふられているから、これ以上軽蔑されることはない。
自分の宣言に、胸が強く傷んだ。
「今日は活動してたのね。よかった」
高杉先生がほっと息をつく。俺のとなりの席の椅子を引いた。
この人は、表裏のない人だ。そんなことが、今さら羨ましいと思った。
「宗形くん。だいじょうぶ?」
先生が、その幼い顔立ちを俺に向ける。
「はい。俺なら、だいじょうぶです」
「そう。村田くんとさっき言い合いしてたみたいだから、心配してたのよ」
この人は頼りないけど、いつも俺たちを心配してくれる。生徒思いのいい先生だ。
「あいつのことなら、気にしないでください。もう慣れましたから」
「そう? 宗形くん、山科さんが引退してから、日に日に元気がなくなってるから、みんな心配してるのよ」
そうだったのですか? それは初耳だ。
「柚木さんは部室に来なくなっちゃうし、村田くんみたいな子もいるから、宗形くんの負担が大きくなっちゃってるのかなって。だからね、宗形くんに負担をかけないように、みんなには言ってあるのよ」
「だから、みんな部室に来ないんですね」
知らないうちに、先生たちに気を遣わせていたなんて。
「すみません。迷惑をかけて」
やるせない気持ちになって、頭が自然と下がった。
「い、いいのよっ。そんな、気にしないで! 先生たちも、宗形くんに頼ってばっかりだったからっ」
先生は、昨今の深夜アニメの萌えキャラのように、赤面して慌てふためいた。
そんな素直すぎる反応に、笑みが勝手にこぼれた。
先生は、「もうっ」と口を尖らせていたが、部室をなぜかきょろきょろと見出して、
「それでね、あの」
急に背を正して言った。
「他にだれもいないから、宗形くんに聞きたいんだけど、柚木さんと何かあったの?」
先生のまっすぐな視線を逸らすことができない。
「ええ。ちょっと」
「やっぱり、そうだったんだ」
先生は、糸の切れた人形のようにだらけた。
「あの子、毎日部室に来てたのに、急に来なくなったから、おかしいと思ってたのよ」
「はい、すみません」
「宗形くんが、謝ることはないと思うんだけど」
彼女が文研を辞めた理由は、俺の煮え切らない態度にある。だから、俺が悪いんです。
先生がまた部室をきょろきょろと見て、俺に顔を近づけて、
「ぶっちゃけ聞いちゃうんだけど、宗形くんがあの子をふっちゃったのっ?」
俺が、彼女をふる!?
「なに言ってるんですかっ。そんなわけがないでしょう!」
「えっ、違うのっ?」
先生はきょとんと目を大きく見開いている。
突然に何を尋ねるのかと思ったら、とんでもない爆弾をさらりと仕掛けないでください!
「くわしく話すのは差し控えさせていただきますが、要はそういうことがあったんです。だから、あの子は文研を辞めてしまったんです」
「そうだったんだ。やっぱり、そういうことなんだろうなって、思ってたけど。そっかあ」
ふる、ふられるの違いはあれど、この人は事実の核心に気づいていたのだから、意外と油断できない。
「宗形くんと柚木さん。とってもお似合いだと思ってたんだけどなあ。そっかあ。だめだったんだ」
俺たちのことを心の底から心配してくれるのは、嬉しいのですが、
「そんなに真剣に心配されると、却ってつらいですから」
「あっ、そうよね。ごめんなさい」
先生が、はっと我に返った。
「先生は、俺たちのことを心配してくれますけど、先生の方はどうなんですか。そういう話はないんですか」
「えっ、あたしっ?」
「ええ。そうです」
「う。そう言われると、なんも言い返せないんだけど」
先生がまた小学生のような純朴さでたじろぐ。
「今日の宗形くんは、すごいところに切り込んでくるわね。先生、驚いちゃった」
「いいじゃないですか。俺だって正直に話したんですから。少しくらい教えてくださいよ」
「う。そ、そうね。でも、先生、恋愛とか全然ないから、話せることなんて、何もないのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。だって、就職してこっちに来てから、付き合ってる人なんてだれもいないし、学生の頃も、高校のときに少しあったくらいで、後はなんもないのよ」
この人は山口県の生まれで、先生になるまでは向こうに住んでたんだっけ。
「では、高校のときは何かあったんですか?」
「え、ええ。付き合うというか、それっぽい人はいたんだけど、二週間くらいで別れたわよ。それだけ」
先生って男性からもてそうだから、恋愛の経験が豊富なんだと思ってた。意外と淡泊なんだなあ。
先生が、またむっとして、
「なによ、その顔。お前、全然もててないじゃん、って思ってるんでしょ」
俺の心をまたしても正確に読み取った。
「そんなことは思ってないですよ」
「うそだあ。あたしのこと、絶対に軽蔑してるもんっ! だから話したくなかったのにっ」
「そんなことはないですよ。だから、落ち着いてくださいって」
喚き散らす先生をなだめながら、思った。
自分の言いたくない恋愛を、俺のためにわざわざ告白してくれたんだ。その誠意がとても嬉しいです。
「宗形くんくらいの年齢のときだったかな。あたしも、好きな人がいたのよ」
先生が気を取り直して、そんなことを言った。
「はい」
「その人はバスケ部のキャプテンで、勉強もできるすごい先輩だったんだけど、めちゃくちゃもてる人だったから、あたしじゃ釣り合わないなって思って、告白することはできなかったわ」
先生は運動や勉強のできる人が好きなんですね。初めて知りました。
「あの頃は、ふられるのが怖かったから、告白なんて絶対にできなかったけど、今思えば、チャレンジしとけばよかったなって、思うわ」
「そうなんですか?」
「ええ。だって、学校を卒業しちゃったら、その人と会うことはないし、ふられても、つらいのは高校生の間だけだから。
それだったら、気持ちを中途半端に溜めないで、先輩が卒業するときに、すぱっと告白して、すぱっとふられた方が、気持ちがすっきりしていいじゃない」
先生でも、そんなことを考えるんですね。目から鱗が落ちます。
「気持ちを伝えられないと、後まで残るものなんですか?」
「残るわよっ。だって、あのとき告白して、もしうまく行ってたら、って考えたら、すっごく損だなって思うでしょ?」
「そうですね」
「高校を卒業して、もう何年も経つから、今さら先輩と付き合いたいだなんて思わないけど、高校を卒業して二年くらいまでは引き摺ってたわよ」
「女の人でも、そんなふうに考えるんですね」
気づいたら、先生にがっつり恋愛の相談をしていた。
自分がどうすべきか、今の決断が正しいのかわからなかったから、先生の言葉にかなり励まされた。
「だから、柚木さんと何があったのかは、よくわからないけど、お互い、悔いが残らないようにしてほしいわ」
先生がそう微笑みかけてくれる。
「宗形くんと柚木さん。本当にお似合いだったから、ふたりには、いつまでも仲良くしてほしいわ。だめだったら、仕方ないけど。でも、どうなっても先生の気持ちは変わらないから」
「はい。ありがとうございます」
先生の言葉にまた頭が下がった。先生も慌てて、「そんなんじゃないからっ、あたし!」と両手をふって謙遜した。