第154話 柚木さんをどうやって呼び出す?
柚木さんは、部室に来なかった。
四時をすぎて、俺は部室の鍵を閉めた。
今日もひとりで秋空の下を歩く。
メールすら見てもらえないこの状況で、どうやって彼女を説得すればいいのか。
もう、どうすることもできないのか。
「はあ。困ったね」
帰宅して、夕食の後に比奈子の部屋で肩を落とす。比奈子がテーブルの向こうで嘆息している。
「今回のことちゃんの怒り方、普通じゃないよ。僕でも手に負えないかも」
比奈子はお昼に柚木さんと会ってるから、そのときに説得してくれたのか。
「柚木さんに話してくれたのか?」
「うん。話したっていうほどでもないんだけど。ことちゃん、にいの話を完全にスルーするんだよ」
俺はそこまで嫌われていたのか。改めて聞かされると、ショックで胸が痛くなってくる。
「ちょっとくらいは聞いてくれると思ってたんだけどね。ことちゃんがこんなに強敵だったなんて、僕も知らなかった」
「そうだな」
怒っている柚木さんを見たことは、何度かある。
彼女が文研に入った頃は、部長とよく揉めてたし、夏休みには、小説家の早乙女さんに対して怒っていた。
その度に彼女を怒らせまいと思っていたのに。
「でもまあ、これだけ怒ってるっていうことは、にいのことがこれだけ好きだっていうことなんだからね」
比奈子が意地悪く言う。
「そんなことを言われてもな。メールを送ったって、なんにも返してくれないんだぞ」
「そりゃそうでしょ。今はにいと話したって、余計に気まずくなるだけなんだから」
「そうだろうけどさ」
俺だって無理に話したくないが、この状況をなんとかするためには、彼女と話をするしかないんだ。
「でも、そうだよね。どんなに嫌われたって、今はことちゃんを説得しないといけないんだもんね」
比奈子が俺を見て微笑んだ。
「メールとか話をシャットアウトされちゃったら、打つ手がなくなっちゃうよね」
「そうなんだ。何か、いい方法はないか?」
「いい方法がないから困ってるんでしょ」
今回ばかりは比奈子でもお手上げか。
「だから、ことちゃんを怒らせるなって、あれだけ口を酸っぱくして言ったのに」
「わかったって。その件は充分に反省してるから、そろそろ――」
「ほんとに反省してるの!? だいたいねえ、にいは――」
「わかったから! 柚木さんを説得する方法を考えてくれよっ」
たまらなくなって俺は叫んだ。
「元はと言えば、にいが悪いのに、なんで僕が、にいの尻ぬぐいをしないといけないのよ」
比奈子はぶつぶつと文句を言いながら、腕組みして考えてくれる。そして、
「あ、そうだ!」
小学生のように無邪気な声をあげた。
「何か思いついたのか?」
「うん。昼休みに会って、ことちゃんにコクっちゃえばいいじゃん」
昼休みに柚木さんに告白する?
「お前は何を言ってるんだよ」
「え、だめ? 今、考えられる最高のアイデアだと思うんだけど」
「最高も何も、柚木さんは俺のメールすら見てくれないんだぞ。それなのに、どうやって昼休みに会うんだよ」
「うん。だから、それは僕がやってあげるから」
比奈子が自信満々に言う。
「相手がひなでも、急に誘われたら、柚木さんは怪しむんじゃないか?」
「だいじょうぶだって。僕、昼休みに、ことちゃんといっしょにごはんを食べてるんだから。それで、ことちゃんを誘えるから」
昼休みに会っているのを利用しろということか。
「そういうことなら、うまくいくかもしれないな」
「でしょ! で、そこでにいが、ことちゃんに、ばしっと気持ちを伝える。ことちゃんだって、にいを待ってるんだから、絶対にうまくいくって!」
俺が柚木さんに告白するのか。好きです、と少女漫画の男みたいに。
そのシーンを想像してみるが、恥ずかしくて顔が途端に赤くなってしまう。
「ことちゃんは、にいのことが好きなんだから、絶対にだいじょうぶだって! だから、ほら。背中にばしっと気合を入れて」
いたっ。手加減なしに背中を叩かれてしまった。
「くみちゃんには、僕から言っとくから。じゃ、明日、学校裏の花壇の前で待っててね」
「ああ。わかったよ」
明日、柚木さんに告白するのか。まずい、胸が早くもどきどきしてきた。
* * *
結局、一睡もすることができずに、次の日。
比奈子に言いつけられた通りに、学校の裏の花壇へ向かう。
廊下を歩く生徒たちを避けながら、昇降口へ下りる。
昼休みに校舎の外へ出る生徒は、ごくわずかだ。告白するのに、絶好のシチュエーションだ。
比奈子の突発的な提案は、九死に一生のチャンスをつくりだしてくれたんだ。
ただでさえ早い鼓動が、校舎を出たらさらに早くなった。
告白なんて、うまくいくのか?
比奈子は、柚木さんが俺を好きだと、何度も言ってたけど。
すかれていないかと言えば、そんなことはないと思う。
好きでなければ、彼女がこんなに感情的になるはずはないのだから。
そんなことを考えたら、顔の筋肉がゆるくなってきた。
嬉しいような、緊張するような、複雑な表情で校舎の裏へ向かう。
体育館の外観が眺められるこの場所は、文化祭で部長と訪れたことがある場所だ。
あのときは、部長の進路について、とても真剣な話をした。そこにまた行くことになるなんて。
円形の大きな花壇のそばに、木の古めかしいベンチがふたつ置かれている。
そのベンチにたたずむ、ひとつの影――柚木さんだ!
胸の高鳴りが最高潮へ達する。
柚木さんは、左手でスマートフォンを持って、右手の人差し指で操作していた。
少し丸みを帯びた、あどけない顔に、シルクのような光沢を放つ髪。
グレーのカーディガンを着て、ミニスカートから伸びる細い足に目が奪われそうになる。
しばらく会えていなかったけど、柚木さんに目立った異常は見受けられない。
緊張している心に、安心感がそっとひろがった。
あの子が、俺の彼女になってくれるのかっ? いや、そんな、ばかな。
いろいろな感情が胸の底からあふれてきて、足が石のように重くなってしまった。
でも、比奈子がそう言っていたのだから、間違いないのだ。あの子は、俺のことが好きなんだ。
柚木さんが振り返る。目が合って、彼女の表情が硬くなったような気がした。
「先、輩っ」