第15話 初デートで緊張の連続!
デパートの下の階の雑貨屋に寄って、柚木さんとのんびり話しながら店内を吟味していたら、夕食の時間になっていた。
帰りが少し遅くなることを比奈子へ伝えて、デパートを出た。
靴屋やカラオケボックスの並ぶ商店街は、人の声で溢れている。陽が傾いても、その量と勢いは変わらない。
「今日も人、多いですね」
黒いスーツを着た男性や、金髪の怖そうな人たちを、柚木さんが戸惑いながら避ける。
「混んでるから、はぐれないように気をつけて」
「わかりましたっ」
休日の岩袋は祭りのように混むから、すれ違う人を避けるだけで神経をすり減らす。
左の腰の後ろを、不意につままれる感触がした。柚木さんが、俺のシャツをつかんだんだ。
距離が急速に近づいた感じがする。俺の意思に反して鼓動が早くなる。
今はこんなことを考えている場合じゃないというのに、何しているんだ。
薬局の二階に、ファミレスのラストの看板が見えた。どんなところでもいいから、腰を落ち着かせたい。
「ラストがあった。あそこに入ろう」
「はいっ」
柚木さんが余裕のない表情で返事してくれた。
ラストの店内は、外に匹敵するくらいの人ごみで混雑していた。
教室の三倍くらいの広さがあるのに、席のほとんどが客で埋っている。そのほとんどは、高校生や大学生だ。
タイミングがよかったのか、空いている席へ着くことができた。
柚木さんを奥のソファへ案内して俺は廊下側の椅子を引いた。
「岩袋のラストって、こんなに混んでるんですね。知らなかったです」
ハンドバッグとぬいぐるみをソファへ置いて、柚木さんが店内をおずおずと見回す。
「さすが岩袋って感じだね。俺たち田舎者は肩身が狭い」
「ほんとですよね。お昼から目がまわってばっかりですっ」
微笑む柚木さんを横目に、メニューブックを引っ張り出す。
今月の新メニューはポルトガルのハーブ料理か。肉を丸いパンで挟んだ、ハンバーガーみたいな料理だ。
「柚木さんは何にする?」
「あっ、わたしは、そんなにお腹が空いていないので――」
そう言いかけて突然、ぐうとお腹の鳴る音が聞こえた。俺の腹から発せられた音じゃない。
柚木さんが顔を思いっきり赤くしていた。
「我慢しなくていいよ。お昼だってパンケーキしか食べていないんだし」
「はいっ。でも、嘘をついてたわけじゃないんですっ」
「いいから、早く選ぼう。お腹が空いて動けないよ」
お腹が空いているんだったら、変な気配りをしなくていいのに。
* * *
おいしくて、値段もお手ごろなチーズインハンバーグを食べて、一息ついた。
「ハンバーグ、おいしかったですか?」
「おいしかったよ。柚木さんの和風きのこパスタもおいしそうだったね」
「はいっ! きのこは食べやすいから好きなんです」
柚木さんはきのこが好物だったのか。
「先輩はきのこ食べますか?」
「どうかな。意識したことないから、わからないな」
「そうなんですね。あ、でも意識しないで食べられるんですから、嫌いじゃないですよねっ」
そういう考え方は、したことがなかった。
「ひなちゃんは、椎茸が苦手ですよね」
「そうだね。よく知ってるね」
「はいっ。だって、小学生のときにみんなでバーベキューしに行って、ひなちゃんが嫌いだって言ってましたから」
昔のことを思い出して、柚木さんがくすくすと笑う。
「そんなことがあったんだね」
「先輩、覚えてないですか? 先輩のお父さんに連れて行ってもらったんですよ。三年生の夏休みに」
「えっ、そうだったの?」
そんなことがあったなんて、まったく思い出せない。
「あのときのこと、覚えてたのは、わたしだけだったんですね。ちょっとショックです」
「えっ、あ、ごめん」
「ふふっ、嘘ですよっ」
柚木さんが少し意地悪く笑う。でも、比奈子のそれみたいに嫌らしくない。控えめな笑顔だ。
「バーベキューに行ったこと、ひなは覚えてるのかな」
「どうなんでしょう。ひなちゃんもさっぱりしてますから、覚えてないかもしれないですね」
「あいつは、俺よりも忘れやすいからね。そんなことを言ったら、ぶん殴られるけど」
「ひなちゃんは、そんなことしませんよっ」
柚木さんは知らないんだな。あいつの凶暴性を。
俺は小学生の頃から、毎日のように殴られていたんだけどな。
そういえば、柚木さんは、比奈子のことを昔みたいに名前で呼んでるんだな。
俺のことは名前で呼んでくれないけど、学年の上下関係を気にかけているのかな。
「そういえば、昔は俺のことも名前で呼んでたよね」
「あ、はいっ」
「学校の上下関係なんて、気にしなくていいからね。文研は運動部みたいに、上下関係にうるさくないから」
それとなく気を遣ってみたけども、柚木さんはうつむいてしまった。
少し、むっとしているような気がする。
そして、肩にかかる細くて長い髪を揺らして、
「それでしたら、わたしのことも名前で呼んでくださいっ」
まっすぐな言葉が俺の胸を刺した。
いや、でも、それは……。
「先輩に、ひとつ、お聞きしたいことがあるんですけど」
「あ、うん」
「先輩には、好きな人や、気になってる人がいるんですか」
好きな人や、気になってる人?
「友達じゃなくて、彼女として付き合いたい人がいるかっていうことだよね?」
「はい」
なんで、そんなことを聞くんだ。
俺は小説が好きなだけの、見た目も性格も冴えないやつなのに。
「そういう人は特にいないよ。いたとしても、俺じゃ付き合えないと思うけど」
柚木さんに情けない姿は見せたくない。だけど、これが現実だ。
苦し紛れに笑ってみたけれど、柚木さんは考え込んでいるのか、俺に顔を向けてくれない。
「柚木さん?」
「山科先輩は、どうなんですか」
「もしかして、部長のことが好きだと思ってるの?」
赤面する柚木さんは、返事をしてくれない。
部長と付き合いたいだなんて、考えたこともない。
部長は、つかみどころのない人だ。
部室にいると身体を寄せてくるから、嫌われてはいないんだろうけど、部長の好意は、きっと恋愛的なものじゃない。
からかいやすい後輩にちょっかいを出しているだけだ。
「部長のことは好きじゃないよ。あ、好きじゃないと言うと語弊があるね。人として嫌いじゃないけど、付き合ったりしたくはないっていう意味ね」
否定的な言葉が多くて、言っているうちに訳がわからなくなってくる。
柚木さんが、むっと顔を上げた。
「でも、部室でいつも、べたべたしてるじゃないですかっ」
「いや、あれはその、部長が勝手にくっついてくるだけだから、俺も困ってるわけで、その」
「その気がないんでしたら、突き放せばいいじゃないですかっ。それなのに」
そう言いかけて、柚木さんが不意に口を止めた。しゅんと弱り果てた様子で、
「ごめんなさい。さっきから嫌なことばかり言って、わたし、嫌な後輩ですよね」
「いや別に、そんなことは、ないけど」
短い間に感情が目まぐるしく変化するから、なんて返せばいいのかわからなかった。
「付き合ってもいないのに、部室でべたべたするのはよくないね。今度から気をつけるよ」
「はい」
「部長はどこでも寝たがるから、困ってるんだよ。せめて、柚木さんや新入生の前ではしっかりしてほしいんだけど、全然聞いてくれないからね」
柚木さんはすっかり落ち込んでしまった。
だけど、部長の困ったエピソードや、他の部員の笑い話を根気よくつづけたら、柚木さんが笑顔をとり戻してくれた。




