第142話 村田の宣戦布告
「ねえ、宗形くん」
話が一段落して、そろそろ帰りの支度をしようと思っていた頃に、有栖川が声をかけてきた。
「どうしたの?」
「いえ、その」
有栖川は口を噤んで、なんだか言いづらそうだった。
「わたくしの勘違いでしたら、すごく心苦しいのですけれど」
「いいよ。言って」
「その、あちらのおふたりが、わたくしたちを見ていらっしゃるような、気がしまして」
そう言って、有栖川がレジカウンターの方を指した。
カフェの店内は入り口から横に長い構造で、レジカウンターは入り口のそばに設置されている。
俺と有栖川が座っている席は店の奥にあって、レジカウンターから離れている。
レジカウンターの近くの二人掛けの席に、見るからに怪しげな二人組がいた。
彼らは話しているように見せかけて、俺や有栖川をちらちらと覗き見している。頬杖をつきながら、俺たちに悟られないようにして。
彼らの着ている服は、うちの学校の体操着だ。シャツの袖の赤いラインや、赤いジャージの色で同学年だということもばればれだ。
如月と艸加だ。あいつら、俺と有栖川を追ってきやがったんだな。
「いや、有栖川の気のせいじゃないよ。ちょっと、行ってくるから」
「あ、はいっ」
席を立って、おもむろに近づいていく――。
「や、やばいっ」
「逃げろっ!」
如月と艸加が慌てて立ち上がり、逃走を――。
「待て!」
荒い言葉が思わず漏れた。
有栖川と帰宅することで、すっかり舞い上がっていた。あいつらをノーマークにするなんて、迂闊すぎる。
有栖川と交わした会話が、次々と思い返される。顔がものすごく熱くなった。
ふたりが店を飛び出して、下りのエスカレーターを猛スピードで駆けていく。なんていう速さだっ!
「た、助けてっ」
「宗形に捕まったら、殺されるぞ!」
「物騒なことを叫ぶなっ!」
一階のフロアではたらく女性の従業員たちから、不審な目を向けられる。顔がさらに熱くなったぞ。
あいつら、捕まえたら、むちゃくちゃにとっちめてやるっ!
デパートを飛び出して、あいつらの背中を目で――。
「いたっ」
固い人形とぶつかるような衝撃が走った。
相手の男子生徒は吹き飛ばされて、歩道に倒れていた。
「いってえな。なにすんだよ!?」
かん高い声で叫んだのは、村田だった。見たところ、怪我はないようだ。
村田も俺に気づいて、眉間のしわを少し和らげた。
「んだよ。だれかと思ったら、副部長かよ」
「ごめんね。怪我はない?」
「さあ。ないんじゃねえの?」
村田が起き上がって、ズボンの砂埃をはたいた。
「よく知らねえけど、いきなり飛び出さねえでくれよな。マジでびっくりしたんだから」
「すまないね。次から気をつけるよ」
「で、こんなとこで、なにしてんの?」
「友達をちょっと探しててね。さっき出ていったんだけど」
「ふーん」
デパートのガラスのドアが開いて、有栖川がひょっこりあらわれた。
「宗形くん。忘れ物ですわっ」
「ああ、ごめん」
有栖川が俺の鞄を持ってきてくれた。
「あの、こちらの方は?」
「この子は村田くん。文研の新しい後輩だよ」
「ども、村田っす」
村田が頭を少し下げる。有栖川も改まって、
「二年の有栖川です。漫研の副部長を務めておりますわ」
鞄の紐を両手でにぎり、深々と頭を下げた。
「漫研の副部長すか」
「はい。未熟者ですが、先月に辞められた部長の代わりに尽力しておりますわ」
「へえ。そうなんすね」
村田が俺と有栖川を見比べて、にやにやする。
「で、球技大会の後で、仲良くデートっすか」
デ、デート!?
「ち、違うよ!」
「違うんすか?」
「今日は、球技大会で部活がなかったから、駅まで同行しただけで」
「その割には、仲よさげですけどね」
とんでもない言葉が出たから、ムキになって反論してしまった。有栖川を見ることができない。
「ま、いーや。先輩、明日、どのクラスと試合するか、知ってます?」
明日の試合? 勝つ気がないから、まったく調べてなかった。
「一年一組。俺らのクラスっすよ」
そうだったのか。こいつはともかく、柚木さんのクラスを負かすのは、気が引ける。
村田がおもむろに背を向けて、振り向きざまに人差し指で俺を指した。
「あんたのクラスには、ぜってー負けねえっすからね。あんたのクラスだけには」
それなりにかっこいい決めポーズだったが、
「後ろに人がいるけど」
「いたっ!」
通りがかった女子大生っぽい人と、盛大にぶつかってしまった。
「と、とにかく、明日はぜってー負けねえからなっ。おぼえとけよ!」
村田は通行人にへこへこしながら、駅へと立ち去っていった。
俺の中で、彼の好感度が少しだけ上がった。
「とてもにぎやかな方でしたね」
有栖川が微妙に呆れた感じで言う。後ろ髪が夕陽に照らされて、鮮明なピンク色の光を放っている。
「もうちょっと素直になってくれたら、可愛いんだけどね」
「そうですわね」
有栖川がくすくすと笑った。
「では、わたくしも、そろそろお暇いたしますわ」
有栖川から鞄を受け取る。彼女の顔を正面から見ることができない。
「明日の試合、がんばってくださいね」
「あ、ああ。ありがとう」
「ごきげんよう」
「ああ。ごきげんよう」
少し間があって、有栖川は俺の元から去っていった。背中で揺れる髪に見とれてしまう。
「デートだなんて、村田はいきなり何を言い出すんだ」
胸がどきどきしている。意識しちゃだめだ。
「だいぶ遅くなっちまったから、俺もそろそろ帰るか」
鞄を肩にかけて、駅の反対方向を歩く。
そういえば、何かをしてる最中じゃなかったっけ?