第140話 有栖川とふたりの放課後
陽が西へ傾きはじめた秋空の広がる帰り道。白の体操着にジャージを穿いた生徒たちであふれている。
生徒の中には、制服に着替えて、ブレザーまでちゃんと着ている人もいる。しかし、八割以上は体操着のままだった。
「宗形くんの言う通りですのね」
有栖川が、鞄の紐を両手でにぎりしめながら言う。
「何が?」
「体操着のことですわ。みなさま、着替えていらっしゃらないもの」
帰宅したら、どうせ部屋着やパジャマに着替えるんだし、体操着の方が楽だからね。
「制服の人だっているじゃん」
「いらっしゃいますけれど、着替えてない人の方が圧倒的にたくさんいらっしゃいますわ」
自分の考えが少数派だったことに違和感があるんだな。
「本来は制服に着替えるべきなんだから、有栖川の考えが正しいんだよ」
「そうなのかしら」
「みんな、楽したいだけだからね。ちゃんと着替えてる有栖川はえらいよ」
有栖川の気持ちを逆なでしないように、彼女をとりあえず褒めてみたが、
「体操着で帰宅してる宗形くんに言われても、嬉しくありませんわっ」
ぷいと反対側を向かれてしまった。女子の気持ちを汲み取るのって、むずかしい。
「わたくしも、来年の球技大会の後には体操着で帰宅しますわ」
「有栖川は、やめといた方がいいと思うけど」
有栖川が体操着で帰宅したら、瀬場さんたちはびっくりするだろうな。
他愛のない会話をしながら、有栖川と通学路の坂を下る。何気にいい感じだ。
艸加の余計な一言のせいで、変なことばかり考えてしまうけど、邪な目で彼女を見てはいけない。
「わたくしがサッカーを選んだと言ったら、瀬場は――」
通学路の坂を下っているだけなのに、背中に数百本の矢が突き刺さっている。
矢のように鋭い視線なんて、感じないぞ。俺はただ、有栖川と帰宅してるだけなんだから――。
「宗形くん?」
有栖川の不審めいた声が、となりから聞こえてきた。
「ごめん。なんだっけ」
「瀬場のことですけれど、それより具合は本当にだいじょうぶなんですの? 先ほどから、ぼーっとしておられるようですが」
「球技大会だったから、疲れてるんじゃないかな。ほら、俺って体力ないし」
「それでしたら、よいのですが」
俺がぼーっとしている原因は、きみだ。とは言えないわけで。
通学路の長い下り坂の終着点。小間の駅前の大きな交差点が見えてきた。
向こうの通学路に面したコンビニの前には、体操着姿の男子たちのグループや、女子たちのグループができている。
「帰るのはまだ早いから、俺たちもどこかに寄ろっか」
「え、ええ」
「これから予定ある?」
「いえ。特にありませんから、わたくしでしたら、だいじょうぶですわ」
コンビニでお菓子やジュースを買うのもいいけど、やっぱりカフェの方が行きやすいかな。
駅前のデパートに入って、二階のカフェへ向かう。
店内は、案の定うちの学校の生徒ばかりだった。その大半が白い体操着を着用したままだ。
「宗形くんは、こういうところへよく来られるのですか?」
有栖川が所在なげに言う。
「ひなや、後輩の柚木さんといるときには、よく来るかな。ちょっと寄るのに、ちょうどいい場所だから」
「そうなのですね。あっ、ひな様というのは、妹様のことでしたね」
「そう。おぼえてた?」
有栖川が、珍しくそわそわした様子で店内を眺めている。
レジカウンターのとなりに設置されているガラスのショーケースを見やって、
「まあ、おいしそうなお菓子がたくさんありますわっ」
無垢な瞳で笑った。
「カフェに来たことないの?」
「はい。学校の帰りに寄り道をしたことがありませんので」
さすが、有栖川家の令嬢。こんなところでも俺たちとは違う。
「もしかして、寄り道を親に禁止されてるとか?」
「いいえ。寄り道をするという発想が、わたくしに欠けていただけですので、お母様は関係ありませんわ」
有栖川家から非難されることはないか。そっと胸を撫で下ろす。
「梢さんや吉河さんが、駅前のカフェに行ったという話をよくされていましたわ。ここが、そのカフェなのですね」
「梢さんと吉河さんって、漫研の人たちだよね。同じ二年の」
「はい。そうですわ」
有栖川って、かなり浮世離れしてるよな。それも、あの豪邸に住んでいるせいなのか。
レジカウンターの前でもたついていたせいか、後ろで並んでいるおばさんたちの咳き込む音が聞こえてきた。
お腹が微妙に空いていたので、コーヒーとマロンクリームドーナツを買って、店の奥へ向かった。
「有栖川は紅茶にしたんだね」
二人掛けの席が、かろうじて空いていた。有栖川の置いたトレイには、紅茶とスコーンが並べられている。
「はいっ。ティーブレイクでは、いつも紅茶をいただいていますので」
「なるほど。有栖川らしいや」
「宗形くんは、コーヒーにしたんですね」
「俺はコーヒーが好きだからね」
「屋敷でも、そのようなことをおっしゃってましたわね」
アイスコーヒーにガムシロップをかけて、一服する。コーヒーの苦みと、シロップの甘味が口いっぱいに広がる。
「わたくしは、コーヒーを飲んだことがないのですが、コーヒーはおいしいのですか?」
「おいしいよ。有栖川が紅茶をいつも飲むのと同じくらいにね」
「そんなにおいしいのですか」
有栖川が紅茶をティーカップへ注ぐ。ストレートティーの紅い色が、白いカップへ満たされていく。
「コーヒーは、お父様もよく飲まれますわ。ブラック、というのですか? お砂糖やミルクをくわえずに飲む」
「そうだね。ブラックで飲むのは、かなり通だと思うよ」
「そうなのですね。あの黒い液体を見るかぎりは、あまりおいしそうに見えないのですが、不思議でなりませんわ」
コーヒーって、紅茶と違ってどす黒い色だし、苦みも強いからなあ。ブラックは特に。
「ブラックは俺も飲めないから、なんとも言えないね。あれのどこがおいしいんだろうね」
「そうですわっ。お身体に悪そうですし、お水やミルクで薄めた方がいいと思うのですが」
「いや、ブラックで飲む方が身体にいいらしいよ。砂糖やミルクを入れると、糖分が増えるせいか、身体に悪くなるんだってさ」
「そうなのですね」
有栖川がしみじみとつぶやく。
「それでしたら、わたくしもコーヒーを今度いただいてみようかしら」
「いいんじゃない? 有栖川のうちだったら、ブラジル産の最高級のコーヒー豆とか、簡単に取り寄せられそうだし」
「そんなことはありませんわ」
冗談めいたことを言ってみると、有栖川が恥ずかしそうに顔を少し赤くした。