表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

131/164

第131話 比奈子のきつい尋問

 お嬢様と仲良くしてあげてください、か。


 有栖川の寂しげな姿が脳裏に浮かぶ。


 夕陽の落ちた空に、紺と橙の鮮やかなグラデーションが描かれている。


 エアブラシで描かれたような色の透明感に、つい見とれてしまう。


 小間市駅から商店街へつづく道を歩く。


 俺の脇を、白の軽自動車やセダンが通り過ぎていった。


 宿命じみた何かを胸に秘めながら帰宅したのに、


「遅い!」


 何も知らない比奈子に、夕食の並ぶダイニングで開口一番に叱咤されてしまった。


「遅くはないだろ。夕飯の時間までに帰ってきたんだから」


「帰ってきた時間のことを言ってるんじゃないの」


 じゃあ、なんのことを言ってるんだ。俺には理解できないぞ。


 今晩の夕食は、焼き鮭ともやしの野菜炒めという、手抜き――じゃなくて、定番だけど安くて健康的な献立だった。


 味噌汁と大根の煮物もついている。


 野菜炒めを取り皿にとっていただく。


 キャベツやピーマンといっしょに炒められたもやしは、醤油と胡椒だけの薄い味付けしかされていない。


 焼き鮭も塩味が少し強いだけの、いつも通りのものだ。


 取り立てるほどの特徴はないけれど、長年かけて舌に馴染んだ味わいは、心に平穏をもたらせてくれる。


 いつもだったら、このおかずに箸を伸ばしながら、茶碗を持ってご飯を掻き込んでるんだろうな。


 それなのに、どうしてかな。今晩は箸が素直に伸びてくれない。


「じゃあ聞くけど、どこで何してたのよ」


 比奈子が追及する気で満々な目で睨んでくる。


「どこで何していようが、俺の勝手だろ」


「勝手じゃないっ。今日どこに行ってたのか、僕に教えなさいよ」


 怒る寸前の顔で言われると、非常に話しづらいんだが。


 ご飯の残っている茶碗を置いて、味噌汁をすする。比奈子が「もうっ」と声を荒げた。


「朝から鏡の前で準備して、鼻の下を伸ばしながら出かけていくんだもん。絶対にいやらしいことしてるじゃんっ」


「いやらしいことなんてしてねえよっ」


「してる! にいの考えなんて、全部お見通しなんだからねっ」


 有栖川のうちに行っただけだから、いやらしいことは断じてしていないのだ。


「ことちゃんにメールしても、知らないって言うしさ。にいが今日何をしてたのか、ずっと気になってたんだから。僕たちの知らないところで、変なことしないでよね」


 俺が、いつどこでだれと遊びに行こうが勝手なのに、俺に自由はないんだな。


 しかし、反論すれば火に油を注ぐだけなので、大根の煮物を無言で噛んでいるのに、


「で、あの紙袋はなに?」


 比奈子が、俺の触れられたくないところを正確に突いてくる。


「あれは、ええと、もらったんだ」


「だれから?」


「だれから? だれからって、あれだよ。友達だよ」


 言い訳がとっさに思いつかず、声が上ずってしまう。


 いや、言い訳ってなんだよ。言い訳なんて、する必要ないじゃんか。


「なんか、思いっきり焦ってますけど」


「焦ってねえよ」


 比奈子の不快感の丸出しな顔が、正面に屹立きつりつしていた。


「正直に話してたら、そんなに上ずらないでしょ」


「そんなことはない。何があったのか説明しろと、急に言われたんだから、焦ったり上ずったりするだろ」


「説明する時間が必要なの? それなら、説明が終わるまで、待ってあげようか?」


 こいつ、なんとしても今日のことを俺から聞き出すつもりだ。


「僕に説明する文章の整理はついた?」


「いや。そんなすぐに整理できるわけないだろ」


「できるでしょ。にい、それでも文研の副部長なの?」


 う。ぐさりと胸に突き刺さるようなことを言いやがって。


 こいつの相手をするのがだんだん面倒になってきた。


「いいから、早く飯を食えよ。飯が冷めちまうぞ」


「ああっ! 話を逸らそうとしてるっ。にい、ずるい!」


「うるさいっ! 食事の最中なんだから、おとなしく食べなさいっ」


「いいんだいいんだ。今日のこと、ことちゃんに言いつけてやるからっ」


 くっ、比奈子め。なんて可愛くない妹だ。


 兄のことを思って、そっとしておいてくれよ。


 味噌汁を胃に流し込んで、逃げるように部屋へ引き上げる。


 いや、逃げるように引き上げてなんかいない。夕食を終えたから、部屋に戻るという必然的な行動をとっただけだ。


 勉強机の椅子を引いても落ち着かず、ベッドに寝転んでも焦る気持ちを静めることができない。


 衣装ケースからパジャマを取り出して、一階の風呂場へ下りた。


「ひなのやつ、柚木さんに言いつけるって言ってたな」


 身体を洗い流して湯船に浸かる。バスタブに身体を預けていると、今日の疲れが少しずつ消えていく気がする。


 今日のことを柚木さんに知られたら、まずい気がする。


 今のうちに比奈子に口止めすべきか?


 いや、疚しいことなんて何もしていないのだから、堂々としていればいいのだ。


 有栖川のうちは、すごかった。


 東京ドーム二個分の広さを持つ庭園と、ヨーロッパの貴族が住んでいそうな豪邸。その屋敷に仕える、数十人の使用人たち。


 有栖川は、プロの料理人がつくった絶品を毎日いただいて、午後の三時にはお母様と優雅なティータイムを過ごしている。


 俺たち庶民のだれもが羨むセレブな生活だ。けど、実際にあんな生活を続けたら、ものすごく疲れるんじゃないか?


 でも、有栖川はあそこにずっと住んでるのだから、あそこが心の落ち着く場所なのかもしれない。


「こんなことを考えたって、わかんねえよな」


 セレブの考えなんて、庶民にはわからない。俺は身体を起こした。


 そういえば、小説の原案がまだまとまっていないんだった。そろそろまとめて執筆したいな。


 風呂から出て籠からバスタオルを取り出す。風呂上りに肌寒さを感じる季節になってきた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ