第119話 村田の言葉が頭からはなれない
「そういえば、文研のことが知りたいんじゃなかったっけ。俺は何を話せばいいのかな」
柚木さんの思わぬ話に気持ちを奪われて、心の整理がつかなかった。
やっと出てきた言葉に、俺は泣きたくなった。
村田はきょとんと目を瞬いて、
「あ、そうすね。じゃあ、一応お願いします」
気だるそうに返答した。
一応って、きみは文研に入りたいんじゃないのか?
「文研は名前の通り、小説やライトノベルを研究する部活だよ。研究といっても、大それたことはしていないけど。小説やライトノベルを読んだり、また執筆するのが主な活動だね」
村田はつまらなそうな表情で口を閉じている。
「部員数は、三年生も含めて四十人くらいだけど、ほとんどは幽霊部員だから、実質的に活動してる部員は十人もいないね。柚木さんは、部室に顔を出してくれるけどね」
柚木さんの名前を聞くと、村田の眉がぴくりと動いた。
「顧問の先生は高杉先生で、部長は三年生だけど、もう引退してるから、俺が部長の代理かな。部活に毎日出る義務はないから、自分が部活に出たい日だけ出ればいいよ」
「土日も部活はないんすか?」
「基本的にはないね。文化祭のときみたいに、特別な事情があれば別だけど、そういう日は年に一回か二回しかないから」
部外者に改めて説明してみると、文研って本当にやる気のない部活だ。なんだか恥ずかしい。
テーブルに目を落とすと、村田の注文したアメリカンコーヒーが視界に入った。
イカ墨のような液体が、プラスチックのカップに満たされたいる。
「コーヒー、飲まないの?」
「えっ!?」
村田のアメリカンコーヒーを指すと、彼が慌ててコーヒーを飲んだ。「にがっ」と声が漏れる。
「文研の部室は図書準備室のとなりにあって、部活中は図書室から本を好きに持ち出してもいいんだ。その代わりに、図書委員の仕事を手伝わないといけないんだ」
「へえ。そうなんすねえ」
村田が、かったるそうに相槌を打った。
「文研に入りたいんだったら、担任の先生に相談すれば、すぐに入れると思うよ」
「あ、はい」
「時期的に部活を変える頃じゃないけど、事情を説明すれば、担任の先生は納得してくれると思うから、明日にでも話してみるんだね。それより、なんで急に文研に入ろうと思ったの?」
質問を投げかけると、彼がわずかに顔を歪めた。
「この時期に部活を変えるのって、かなり珍しいと思うけど、どうして急に――」
「悪いすか?」
村田の強い言葉に話が遮られる。
「違う部活に興味を持ったって、いいじゃないすか。それとも先輩は、四月じゃないと違う部活に入れないっつうんすか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、別にいいじゃないすか。いつどこで部活を変えようが、俺の勝手でしょ」
疑問に思ったから聞いてみただけなのに、そんなにムキになることなのか?
「村田くんは、今はどこの部活に所属してるの?」
「陸上っすけど」
「そうなんだ。陸上は、もうやりたくないの?」
「別に。部活なんて興味ねえから、適当に入っただけだし」
言葉遣いがどんどん悪くなってるな。
文化祭のときに態度がものすごく悪かったから、今さら驚かないけど。
「じゃあ、陸上部にはあんまり顔を出してないんだね。せっかく入部したんだから、部活に打ち込んでみないと、もったい――」
「別にいいでしょ。陸上なんて興味ないんだから」
村田が制服のポケットから、スマートフォンを忙しく取り出した。
「もう六時を過ぎてるから、そろそろ帰ってもいいっすか? 腹減ったし」
「そうだね。じゃあ、帰ろうか」
カフェを出ると村田は、そそくさと立ち去っていった。俺の顔すら見ずに。
心の底に滞留している怒りとフラストレーションを両側から抑え込む。
村田は言葉も態度も悪い。真面目で几帳面な柚木さんと対照的だ。
しかし、あいつの態度の悪さは、以前からわかっていたものだ。
それよりも、あいつが柚木さんと小学生の頃から知り合いだったことに衝撃を受けた。
デパートを出て、通行人の少ない道を歩く。美容室のおしゃれな店内が、ガラス越しに見える。
柚木さんが小学生の頃に引っ越してから、電車で衣沢に遊びに行ってたということだから、柚木さんが小間に住んでた頃からの幼馴染なんだよな。
俺や比奈子と遊ぶようになったのは、比奈子が二年生か三年生の頃だっただろうか。
付き合いの長さでいえば、比奈子よりもあいつの方が長いのかもしれない。
ふたりは付き合っていないよな。
今は仲が悪いけど、それは一時的に喧嘩をしているだけで、長い付き合いの中のひとときでしかないとしたら?
いや、でも、あんなに態度の悪い男を、柚木さんが好きになったりしないだろう。
だけど、柚木さんが、ああいう男をこのむのだとしたら?
そうなのか? 柚木さんは、あれが好きなのか?
だめだ。頭がかなり錯乱している。物事を冷静に考えることができない。
――あいつ、すげえ嫌なやつだから、気を付けた方がいいっすよ。
こんな言葉は信じるな。俺は柚木さんを信じる。
* * *
それなのに――。
「先輩、こんにちは」
柚木さんの薄いピンク色のマスクで隠された顔を直視することができない。
「ああ、こんにちは」
「小説のアイデアは出ましたか?」
柚木さんが部室のとなりの席に座る。普段と変わらない所作で。
「いや、特に出ていないよ」
「そうなんですか。残念です」
柚木さんが肩を落とす。小学校の運動会で、白組に負けた直後のように。
――あいつは、先輩の前で猫を被ってるだけなんすよ。
村田の言葉は信じるなと言っただろ! なんで、あいつの言葉が思考から漏れるんだっ。
「いや、まあ、一応考えてはいるんだけどね。俺は三国志やミステリー系の小説しか思いつかないから、今回はファンタジー系に挑戦してみたいとか」
「そうなんですか!? いいですねっ、ファンタジー」
柚木さんの目元がきらきらと輝く。やばい、どうしよう。
「どんなお話にするんですか。王様やお姫様が登場する感じですかっ?」
「あ、ああ。そうだね。どうしようかな」
適当に答えちゃったから、うまく話をつなげなければ。
「ファンタジーだから、戦うのがいいかな。剣や魔法の世界で」
「そうですよね。戦いの要素があった方が盛り上がりますし」
「ファンタジーだったら、ロープレっぽい方がいいから、ストーリーは魔法をメインにしたいね。術式とかも考えちゃおうかな」
「術式、ですか」
柚木さんが首をかしげる。
ゲームを全然やらないから、ゲームっぽいファンタジー小説のイメージが湧かないんだろうな。
「ロープレだと、魔法や魔法を実現するためのシステムが、ストーリーの根幹にあることが多いんだ。魔法の力が古代の文明に影響を与えるとか、魔法の強大な力を悪用するとか」
「そうなんですね。知りませんでした」
「だからファンタジーっていうと、魔法の設定ばかり考えちゃうんだよ。小説家の考えるファンタジーは、必ずしも魔法のシステムが中心になるとは限らないんだけどね」
「そうですよね。ファンタジー小説はわたしも読みますけど、魔法のシステムってあまり書かれてないですよね。魔法があるのは当たり前っていう感じですし」
柚木さんを喜ばすんだったら、小説っぽい内容にした方がいいよな。
映画で何度も上映してる魔法学校みたいな話とか、雪と姉妹の愛情を描いた感動作みたいな話とか。
でも、そんな上品で戦闘要素に欠けるファンタジー小説なんて、俺には考えられない。
純粋なファンタジー小説って、世界観がとてもよくできていて、キャラクターの設定やシナリオも高度だけど、男心があまりくすぐられないんだよな。
頬杖をついて天井を見上げる。
そわそわしている状態で、いいアイデアなんて出てこない。
今日も一日が無駄に過ぎそうだ。