第11話 比奈子の突然の提案
前々からわかっていたことだけれども、ゴールデンウィークは特にすることがない。
朝の九時半に起床して、朝食とも昼食とも言えない食事を摂る。
オーブントースターで焼いた食パンに目玉焼きを乗せて、食後に飲むのはインスタントコーヒーをお湯で溶かした液体だ。
今日も予定は何もないから、部屋で横になりながら、ソーシャルゲームでもやっていよう。
「にいっ」
下の階から比奈子の声がする。もう十時を過ぎてるけど、今日は部活がないのか。
「にい、入るよ」
「ああ」
部屋のドアノブを開けて比奈子が入ってきた。
英語のロゴが入った白のTシャツに、ジーンズの短パンを穿いている。
黒のニーソックスまで穿いて、出かける気満々じゃないか。
比奈子は、ベッドで寝っ転がる俺を発見して、
「にい――って、だらだらしすぎっ」
「いいだろ。休みの日なんだから」
気持ち悪いオタクを見るような顔をする。お前だって、予定のない日はだらだらしてるだろ。
「ま、そっちの方が都合がいいけど」
比奈子は机の椅子を引いて座った。
「今日は暇なんでしょ。ちょっと付き合ってよ」
「お前と買い物に行くのか? 荷物持ちなら行かないぞ」
比奈子の買い物は長い上に、待ち時間が多いから嫌なんだ。荷物持ちになんてされたら最悪だ。
比奈子はすかさず機嫌を損ねて、いつものように口うるさく反論してくると思ったが、今日はなんだか様子が違う。
俺を偉そうに一瞥して、「ふっふっふ」と不敵な笑みを浮かべた。
「そんなふうに口答えできるのは今だけだぞ」
「はあ? なんだよそれ」
「いいからっ! さっさと着替えてっ。支度ができたら出発するよ」
「ちょっと待てっ。腕を引っ張るなよっ!」
比奈子にされるがまま、ベッドから起こされてしまった。
「今日着ていく服は、もうっ、ださいのしかないじゃん。ああっ、寝癖が立ってる! それ、ちゃんと治してっ」
比奈子は部屋のタンスを勝手に開けたり、俺の顔を見て悲鳴を上げたりしている。
「お前の買い物に付き合うだけなんだから、着ていく服なんて、なんでもいいだろ」
「だめよっ。今日は初デ――いや、大事な用事があるんだから、おしゃれしていかないとだめなのっ」
さっき、何か言いかけたぞ。詮索したら面倒なことになりそうだからスルーするけど。
「いいから。にいは、顔を洗って寝癖を治してきて。服は僕が選んでおくからっ」
「わかったよ」
比奈子は、なんでこんなに張り切ってるんだ? 駅前のデパートで買い物するだけなのに。
デパートの屋上でたまに開催している戦隊もののパレードでも見たいのか? まさかな。
* * *
そう思って、遠路はるばる都会の岩袋まで電車で移動させられて、その理由をむざむざと見せつけられた。
「先輩!?」
「柚木さんっ?」
人ごみでごった返す都会の駅の改札の向こう。
人垣の間を縫って移動した先の宝くじ売り場の前で、俺は柚木さんとばったり会ってしまった。
柚木さんは、青のチェック柄のワンピースと底の薄いサンダルを穿いていた。
ワンピースはパステルカラーだから、とても爽やかな印象だ。腰に巻かれた大きめのリボンも可愛らしい。
ストレートの髪には少し動きがついて、毛先がゆるくカールしている。目もとには、薄い化粧が施されていた。
私服姿の柚木さんを見て、改めて息を呑む。小学生の頃から、ぐっと大人っぽくなったんだなあ。
「どうして柚木さんが岩袋にいるの?」
「あ、はい。その、ひなちゃんと遊ぶ約束をしてまして」
比奈子と遊ぶ約束?
「俺は、ひなに強引に連れてこられたんだけど」
「えっ、そうなんですか? でもわたしも、一昨日にひなちゃんから急に電話をもらって、今日いっしょに遊ぼうって言ってくれて」
俺の朝に起きた顛末と、柚木さんの話が噛み合わない。どういうことだ?
後ろの改札から押し寄せる人ごみを気にもせず、比奈子が悠然と立ち尽くしていた。
両手を左右の腰に当てて、ふくらみのない胸を目いっぱいに張っている。
その顔は、わがまま度マックスのしたり顔で、「どうだ、僕すごいだろ」と言わんばかりだ。
「ひな、どういうことだ。話が違うだろ」
「あれ、言ってなかったっけ。今日は、ことちゃんと三人で遊ぶんだよ」
「言ってない。お前、俺たちをだましたな」
「だましてなんかいないもーん。にいとふたりで遊ぶなんて、言ってないしぃ」
比奈子は俺の詮索など気にもせず、宝くじ売り場の前できょとんとする柚木さんの手をとった。
「おはよう、ことちゃん! 急に呼び出したりして、ごめんねぇ」
「うちにいてもすることがないから、だいじょうぶだよ。ひなちゃんは部活じゃなかったの?」
「今日は部活が休みなんだ。だから、ことちゃんといっしょに遊びたいなって、思って」
「うんっ。昔みたいにいっしょに遊ぼうっ!」
比奈子は柚木さんと抱き合って喜んでいる。柚木さんもすごく嬉しそうだ。
なんで俺が連れてこられたのか、よくわからないけど、ま、いっか。
「それで、ひな。これからどこに行くんだ」
「うーん、どうしようかな。僕は別にどこでもいいんだけど」
集まる前に目的地くらい決めておけよ。
「ことちゃんは、どこか行きたいところある?」
「えっと、わたしに聞かれても、困るんだけど」
柚木さんはお前に誘われたんだから、急に訊ねられたって案なんて出ないだろうな。
高い電車賃と長い乗車時間を払って、早くもぐだぐだな空気が漂うが、
「じゃ、とりあえず、その辺を歩こっか」
比奈子の行き当たりばったりなひと言で、駅を離れることにした。
休みの日に柚木さんと会えるなんて、嬉しすぎてこの場で叫び出しそうだ。
雨の日に美しく咲く紫陽花のような笑顔が見られただけで、今日という一日が充実で満たされたよ。
さっきから何を考えているんだ。柚木さんの笑顔を花にたとえるなんて、俺は風邪でも引いたのか?
寒いっ。物理的な、そして精神的な意味で寒かったぞ。さっきのたとえは。
「あっ、ゲーセンがあるよ。入ろう入ろう!」
「うんっ!」
銀行のとなりに建っている商業ビルのゲームセンターに入るようだ。
「このぬいぐるみ、超可愛くない!?」
「とってみようよっ!」
UFOキャッチャーの名前のよくわからないぬいぐるみを見て、ふたりは我を忘れてはしゃいでいる。
UFOキャッチャーなんて興味ないから、向こうのレースゲームで俺は時間をつぶしていようかな。
「ひな。俺は向こうに行ってるから、適当に――」
ふたりから目を離した瞬間、シャツの首の後ろをつかまれて、インナーのTシャツが首に食い込んだ。
「むごっ」
「待ちなさいよ。ことちゃんを置いて、どこに行くのよ」
「俺がいたら邪魔になるだろ。いいから手を離せ」
お前たちのために気を利かせているのに、恩知らずな妹だな。
「三人で遊ばないと意味がないんだから、にいもそこにいてよねっ」
「わかったよ」
女がふたりいて、男は俺しかいないんだから、俺の存在は確実に浮いてるんだが。
「ひなちゃん、早くっ」
「よーし、でかいの取っちゃうぞぉ!」
俺の気持ちを知らない比奈子が、UFOキャッチャーの前で勇躍した。