第107話 柚木さんや比奈子とコンビニへ
柚木さんと四橋さんがうちに来ている。
そして、寝起きのだらしない姿を見られてしまった。
二階の部屋へ上がって、打開策を考える。
ふたりにまた見られることを見越して、身なりを整えるか。
それとも、あえて何もしないで余裕と男の自信を見せ付けるか。
あからさまに身なりを整えたら、腹の底を読まれるよな。
部活のただの先輩なのに、自意識過剰なんですか、と。
ならば、居直って寝巻き姿のままでいるか。
部屋の鏡をおそるおそる覗き込んでみる。
ぼろぼろのTシャツも気になるけど、何よりも、この鶏冠みたいな髪型は絶対に直さないとだめだろ。
普段の休日だって、着替えることはあるんだから、ふたりを変に意識しないで着替えればいいじゃないか。
タンスからジーンズとチェック柄のシャツを引っ張り出す。数秒で着替えて、ベルトを腰にまわす。
急いで一階へ降りて、洗面台へと向かう。水で髪をさっと濡らして寝癖を直す。
洗顔して、入念に歯磨きをすれば準備万端だ。
部屋から小説を持ってきて、リビングのソファへまた腰を下ろす。
難しめな小説の表紙を開くが、彼女たちが気がかりで小説なんて読んでいられない。
階段から、比奈子の笑い声がまた聞こえてきたぞ。
「あれっ、いつの間にか着替えてる」
俺はなるべく不自然にならないように振り返った。
「どっかに行くのか?」
「うん。お腹が空いたから、コンビニに行こうかなって」
そういえば、もうお昼か。
俺はさっき食パンを食べたから、お腹は空いていないけど。
柚木さんたちの前で偉そうに立っている比奈子は、さぞそわそわしているであろう俺を見て、にやりとした。
「にいも連れてってあげよっか」
俺も連れてってくれるのか!?
いや、兄として妹の誘いにすぐ応じるのはだめだ。
「俺は、さっき飯を食ったばっかだから、腹は空いてないっ」
「あっそ。じゃ、ことちゃん。くみちゃん。にいは放っといてコンビニへ行こう」
すみません比奈子様。無駄に強がってました。
「俺もお菓子が食べたいから、やっぱりコンビニに行くよ」
「だったら最初からそう言えばいいのに」
嘯く比奈子を見て、柚木さんと四橋さんが苦笑した。
「仕方なくいっしょに行ってあげるんだから、僕たちにお菓子を買ってよね」
「はいはい」
下駄箱から白のスニーカーを取り出して家を出る。
穏やかな風の吹く秋晴れだ。
「ひなちゃんは、お昼ごはんに何を食べるのっ?」
「そうだなあ。がっつり食べたいから、カツ丼にしようかな」
「わあっ、カツ丼食べたいねえ!」
前を歩く比奈子が、四橋さんと盛り上がっている。
「先輩は、どんなお菓子を買うんですか?」
柚木さんが、いつもと変わらない笑顔を向けてくれる。
「何にしようかな。ポテトチップは、この前に食べたし」
「ポテトチップおいしいですよね。わたしは、うす塩が好きですっ!」
「うす塩はおいしいよね。俺も好きだから、よく食べるよ」
「先輩は、ポテトチップだったら何味が好きですか?」
「なんだろう。難しい質問だなあ。うす塩は相当好きだけど、のり塩やコンソメも捨てがたいし」
「そうなんですよね。どれもおいしいから、選ぶときに悩んじゃいますよね。でも、のり塩は青海苔が歯にくっついちゃうから、困りますっ」
「あれは困るよね。食べてすぐに歯磨きするのも面倒だしね」
車の交通量の多い県道へ出て、回転寿司のお店の近くのコンビニへ入る。
店のレジに、土木工事の薄汚れた作業服を着たおじさんたちが並んでいる。
比奈子たちは、お弁当やおにぎりが陳列されているショーケースへ向かっていく。
その後ろ姿を見送って、お菓子売り場を吟味する。
ポテトチップの話をしてたから、食べたくなってきちゃったな。
だけど、チョコレート菓子も捨てがたい。
クッキーや煎餅にも目が行ってしまう。
全部まとめて買えればいいんだけど、それができるほどお金を持っていない。
柚木さんとさっき話してたから、ポテトチップのうす塩にしようかな。
決めかねてポテトチップの袋に手を伸ばすと、
「にいっ、これ買って」
比奈子に横から腕を引っ張られた。
「いてて。いきなり引っ張るなよ」
「そんなに強く引っ張ってないでしょ。いいから、これ買ってっ」
比奈子が左手に持っていたのはモンブランのケーキだ。
紙のカップにそうめんのようなクリームが乗っかっている。黄色の栗が、栗きんとんみたいで甘そうだ。
「買うのは、お菓子じゃなかったのか?」
「いいでしょ別に。見てたら食べたくなってきちゃったんだから」
その気持ちはわからなくないが、できれば百円くらいで買えるチョコレートにしてほしかったぞ。
「ことちゃんとくみちゃんは、ケーキいらないって」
「そうか」
ケーキとポテトチップを買って店を出る。
柚木さんはミートソースのパスタを買ったんだな。
四橋さんが手にしているのは、鶏そぼろ弁当だ。
うちへ戻って、リビングのテーブルを三人と囲む。
お弁当の香ばしさが部屋の隅まで広がる。
そういえば、母さんが帰って来ないけど、今日はパートの日だったっけ?
「ひな。母さんの予定は聞いてるか?」
「さあ。今日は朝からパートに行ってるんじゃなかったっけ?」
そうだった気がするけど、うろ覚えだな。
「ひなちゃんと先輩のご両親って、共働きなんでしたっけ」
柚木さんが、お手拭きで手をきれいにしながら訊ねる。
「そうだよ。父さんは会社員で、母さんはパート勤め」
「おばさんって、わたしたちが小学生の頃は、いつもうちにいましたよね」
「よく覚えてるね。前は仕事してなかったんだけど、うちのローンがきついみたいだから、今はスーパーでパートしてるんだよ」
「そうだったんですね」
小学生の頃のことなんて、柚木さんはよく覚えてるなあ。
「柚木さんのうちも、お父さんとお母さんは共働きだっけ?」
「はい。お父さんは銀行に勤めていまして、お母さんは看護師です」
「そうなんだ。お母さんが看護師だと、夜勤とかがあって大変でしょ」
「そうなんですっ。時間帯が不規則ですから、ごはんもいっしょに食べられないことが多いです」
うちは母さんといっしょにごはんを食べることが多いし、母さんなんかといっしょに食べなくていいと思ってるけど、柚木さんはひとりで寂しかったりするのかな。
「お母さんといっしょにいられないと寂しいよね」
四橋さんの言葉に、柚木さんが微笑んで、
「小さい頃からずっとそうだったから、もう慣れたけどね」
プラスチックのフォークを持つ手を止めて言った。
「ひなちゃんと先輩は、おばさんといつもいっしょにいられるんですよね」
「そうだけど、いたらいたでうるさいだけだよ」
比奈子の飾らない言葉に、つい笑ってしまう。
「そうなの?」
「そうだよー。部活から帰ってきたら、早くごはん食べろとか、勉強しろとかうるさいし、休みの日だって十時くらいまで寝てると起こしに来るしさ。子どもじゃないんだから、そういうのいい加減にやめてよねって、ほんと言いたいっ」
「それっ、うちもおんなじだ!」
四橋さんが話に食いついた。
「くみちゃんのうちもそうなの!?」
「うんっ。うちのお母さんも怒ってばっかりだもん。なんであんたは、いつものろのろしてるのって」
「余計なお世話だよねー。あんただって昔はそうだったんだから、自分のことを棚に上げられるのうざいよね」
「ほんと嫌だ。昨日だって、ちょっと夜更かししてただけなのに、電気をつけて漫画を読んでたら、めちゃくちゃうるさかったもん!」
「漫画くらい読んでたって、いいじゃんね。変な本を読んでるわけじゃないんだから。親って、なんであんなにうるさいんだろうね」
親は親なりに、俺たちを心配してるからなんだろうけど、それ以上に比奈子や四橋さんの気持ちに激しく同意するから、余計なことは言わないようにしておこう。
親への文句で盛り上がる比奈子と四橋さんを、柚木さんは少し寂しそうに眺めていた。