表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

105/164

第105話 文研の次の部長

 狐塚先輩が、少年誌の主人公みたいな顔で教頭先生を見やる。


「一度決めたもんは、何があっても貫かねえと示しがつかねえ。この勝負は、俺が勝手に持ち出したもんだ。だから、少なくとも俺にはペナルティを課さねえと、筋が通らねえよ」


 すごい言葉だ。狐塚先輩の壮烈な思いに、俺は息すらできない。


「狐塚くんっ。此度の勝負の責任者である私が許すと言ったのだから、それでいいではないか。それなのに、なぜきみは、私の言うことに従わないのかねっ」


「そいつは、あんたや俺たちに都合のいい、身勝手な発想だぜ。勝負に負けた方に罰を与えると、学校中に言いふらしたんだから、ちゃんと執行しねえと、学校の他のやつらは許さねえよ」


「それはそうだが、漫研の部長を途中で辞めたら、内申点に少なからず傷がつくんだぞ。きみは、それでもいいのかね」


「はんっ。内申なんざ、はなっから眼中にねえよっ」


 狐塚先輩が、肩にかけているブレザーの襟をつかみ、部室の天井へと大きく振り上げた!


「漫画家に必要なのは、内申なんかじゃねえ。漫画にかける情熱と、読者を楽しませる心意気よっ!」


 狐塚先輩の歌舞伎役者のような台詞が、見事に決まった。


 この人は勝負に負けてもストイックだ。そしてプロの漫画家だ。


「とは言ったが、俺以外の顧問と副部長には、どうか情けをかけてやってくれ。今回の勝負は、俺の独断ではじまったもんだから、あいつらには関係ねえ。それなのに、俺の下らねえ賭けに付き合わせるのは忍びねえ」


 約束をしっかり守るのと同時に、部員たちへの配慮を忘れない。


 狐塚先輩、あなたは最高にかっこいいです。


「わかった。では、きみの心意気を私が責任を持って酌もう」


「よろしく頼んます」


 教頭先生が神妙な面持ちで引き下がった。


「あんたはほんまに、酔狂な子やなあ」


 部長が呆れてつぶやく。


「へん。これが俺の生き様よ。お前にも口出しさせねえよ」


「そら、あんたが決めるもんやから、うちに口出しなんて、でけへんよ」


「それにな、これは言いたくなかったんだが、連載と部活の掛け持ちがきついから、ここいらが潮時だと思ってたんだよ」


 狐塚先輩が、また目を怒らせる。


「文化祭で描いた、つまんねえ漫画を見たときに思ったぜ。この体たらくで、よくお前に勝負を挑んだなってな」


 狐塚先輩が発表したあの漫画は、学校を席巻するほど人気だったのに。天才の考えることは理解不能だ。


「あんた、連載まだ続けんの? 受験せんの?」


「あほか! 大学なんて、行ったって意味ねえだろうがっ。高校を卒業したらプロ一本だぜ。連載は絶対に辞めねえよ」


「大学に行ってれば、漫画で失敗しても、他の就職口があるんになあ」


「お前は、ほんとにあそこを受けんのか? 明宝っつったっけ? 超難関のくそ大学」


 部員たちにどよめきが走る。


 高杉先生が「うそっ」と口に手を当てている。教頭先生まで絶句してるし。


「うちは受けるよ。明文の文学部に入って、文学のこと、もっと勉強するんよ。プロのあんたに勝つためにな」


「けっ。今でも即プロデビューできるっつうのに、嫌味ったらしい。頭いいやつは、これだから嫌いだぜっ」


「あんたは将来のために、もうちょい勉強した方がええやろうな」


「やかましいっ!」


 狐塚先輩の苦しい悲鳴に、思わず笑みがこぼれた。



  * * *



 狐塚先輩や教頭先生のいなくなった部室を、部長はぼんやりと眺めていた。


 黒絹のような髪が、夕陽に照らされて輝いている。


「先輩っ」


 柚木さんに促されて、俺は部長に言った。


「部長。俺たちも、そろそろ帰りましょう」


 部長が身をひるがえす。眠たそうな目を向ける様子に、大きな違和感はない。


 手を伸ばす場所に部長はいる。それなのに、手をいくら伸ばしても、部長をつかめる気がしなかった。


 部長が首を少し傾けて、にこりと笑った。両腕を伸ばして、俺の肩に優しく手を乗せた。


「そういうことやさかい、むなくん。あと、よろしゅう」


「はい」


「来年は、あんたが部長よ。みんなを引っ張ってってな」


 偉大な部長から指名してもらえるのは、嬉しい。この上なく。


 でも俺は、部長のようにすごい小説が書けるわけではないし、明文を受験できるほど頭がいいわけでもない。


 それなのに、部長の後任なんて務まらないですよ。


「すみませんが、俺には無理です」


 部長のぼんやりとした表情に影が差す。


「部長は、俺の実力を買い被ってるんです。今回の勝負で、それがよくわかりました」


「そないなことは――」


「だって、今回の勝負で客を集めていたのは、部長と狐塚先輩だけじゃないですか。俺の小説は、ほとんど見向きもされなかった」


 悲しいけど、これが現実だ。俺は部長の足もとにも及ばない。


「部長の期待に応えられるような、部員たちを引き付ける力は、俺にはないです。だから、俺では無理です」


 柚木さんが、悲痛な面持ちで俺を眺めていた。


 部長が天井を見上げる。首をまた少しかしげて、小さく息を吐いて、


「むなくんは、自分のこと、過小評価しすぎてると思うんやけどなあ」


 世を憂う三国志の賢者のように嘆いた。


「前にも言うたけどな。うちは、むなくんの書いた小説が好きなんよ。そら、あんたを買い被ってるとか、贔屓ひいきしたはるわけではおまへん。あんたの書いた小説に可能性を感じるからなんよ」


 そんなことはないです。あなたは俺を買い被ってるんです。


「うちや、さおたんに勝てへんのは、当たり前よ。うちや、さおたんの方が、小説や漫画をぎょうさん書いてるんやさかい。でも、あんただって、今日までぎょうさん、きばってきたではおまへんの」


 部長の京都弁のような口調が、優しく包み込んでくれる。


「漫研に勝とったんだってな。あんたや柚木はんが、きばってくれたお陰や。あんたらが、ええ小説をぎょうさん書いてくれたから、漫研に勝つことができたんよ」


「そう、なんでしょうか」


「そうや。うちが言うんやから、間違おらん」


 部長がにこりと微笑む。また俺の肩を軽く叩いて、


「小説は、書けばうまくなる。あんたなら、うちやさおたんにすぐに追いつくさかい、自分を卑下せいで、もっと自信を持ってな。あんたなら、ええ小説家になれるよ」


 部長らしい穏やかな言葉で激励してくれた。


 部長の言う通りだ。今すぐに部長と肩を並べなくていい。これからがんばって、部長に近づいていけばいいんだ。


 俺は顔を上げた。


「そういうことやさかい、むなくん。文研のこと、よろしゅう」


「はいっ」


 部長の安心し切った顔に、茜色の夕日が差した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ