第100話 部長の本心
部長は、人をからかうのが好きだから、話していると、すぐにからかわれてしまう。
それでも嫌だと感じないのは、部長に悪意がないからなんだろうな。
部長はそんな人だし、小説のこともまったく知らないけど、なんだかんだ言っていい人だし、それとなく気を配ってくれる。
だから部長は好きだし、将来に向かって勉強している部長を、今はとても尊敬している。
だけど、女子として好きなのかどうかは、よくわからない。
この人が、俺以外の男子と付き合ったら、俺は烈火のごとく怒ったりするのだろうか。
「さいぜんのパンケーキ、おいしかったなあ」
昇降口から校舎の外へ出る。部長が鞄を肩にかけながら伸びをする。
校舎の前や校庭にも、模擬店や運動部の催し物で賑わっている。
文化祭の陽気でちょっと浮かれた雰囲気が、寂しさを強引に吹き飛ばしてくれる。
「あのパンケーキって、手づくりなんですよね。めちゃめちゃうまいですよね」
「ほほ。女子なら、あのくらい簡単につくれるわよ」
部長が模擬店を覗きながら前を歩く。
「部長なら、あのパンケーキをつくれるんですか?」
「うち?」
部長が足を止めて、「そやねえ」と考え込む動作をする。
「つくれるわよ。その気になれば」
「つくったことは一度もないんですね」
部長の本心をきっぱり言い当てると、部長は「がーん」と口に出して、床に崩れ落ちた。
「むなくん、ひどい。うちのこと、お菓子すらつくれへん、みっともない女子やと思ってるんやわ」
「そんなことは、思ってませんけど」
部長には何を言っても平気だから、今日もつい調子に乗ってしまった。
「部長は、みっともなくないですよ。女子力めっちゃ高いですから、泣かないで――」
「ほんまにっ? そないなら、そこのたこ焼き買うてっ」
部長が急に起き上がって、俺に抱きついて――ちょ、ちょっと待ってください! 顔が、近いですってっ。
「どさくさにまぎれて、俺にたからないでくださいっ」
「はうっ」
堪えきれなくなって、部長の額をチョップした。
「俺は後輩なんですから、金をせびったりしないでくださいよ」
「ええやん。受験勉強をきばってる、おねえはんに、ごほうびをくれたってぇ」
「部長がおねだりしなければ、何かプレゼントしてもよかったんですけどね」
「ほんま? ほな、おねだりせいで待ってるわ」
言うことを素直に従ってくれる部長は、ちょっと可愛い、と思ってしまった。
部長に顔を向けないようにして、学校の裏庭にでも行こう。
「そういえば、二年生のクラスの相席屋が流行ってるんやってなぁ」
「そうですね。さっきクラスの前を通ってきましたけど、廊下に行列ができてましたよ」
「ほんまに? そら、すごいなあ」
「相席屋の模擬店は珍しいですから、みんな興味があるんでしょうね」
「むなくんは、そういうんに、興味はないん?」
部長がとなりに来て、俺を覗き込む。視線を合わせるのが憚れる。
「別に、興味なんてないですよ」
「ほほ。お顔は正直な」
う。なるべく顔に出さないようにしていたのに、あっさり見抜かれてしまった。
「ほな、うちといっしょに行く?」
「行きませんよっ!」
部長にまたからかわれた。
前言撤回。この人はいい人なんかじゃない。人を弄ぶのが好きな、性格の悪い人だっ。
体育館の裏側の道路は、通行人が少ない。二階からライブの音が聞こえてくる。
体育館のそばに、円形の大きな花壇が広がっている。
茶色のおしゃれな煉瓦に囲まれて、赤や黄色の花が空へ向かって咲いている。
花壇のそばのベンチに部長が腰を下ろす。そのとなりに俺も座った。
「勉強は大変ですか?」
部長が細い目で花壇の花を眺めている。
「そやな。辞められるもんなら辞めたいわ」
「受験勉強って、朝から晩までやらないといけないんでしょう? それだけ勉強してたら、嫌になりますよね」
「嫌になるレベルではおまへんわ。問題集なんて、もう今すぐ焼却炉で燃やしたいわ」
珍しく嫌そうな表情を見せる部長の横顔を眺めながら思う。
この人は、なぜそんな思いをして、大学へ行きたいのだろうか。
「変なことを聞くんですけど、部長はどうして、そこまでして大学へ入りたいんですか。
将来になりたいものでもあるんですか?」
部長が真剣な面持ちで見つめ返す。
普段の人を食った様子やふざけた態度が、虚像なのかと思えてしまうほど真面目な表情で。
「うちはな、むなくん。文学の勉強がしたいんよ」
文学の、勉強――。
「うちの高校やて、それなってに勉強はでけるけども、もっとな、高度なことを教わりたいんよ」
部長の口から、文学という言葉が出るなんて、予想したこともなかった。
「大学にいかはったからって、うちが劇的に変わるわけではおまへんし、偉い文豪とかになれるわけでもない。そないなことは、もちろんわかってるけども、ちびっとでもな、うちが成長でける進路を選びたいんよ。そやし大学に行きたいんよ」
あなたは、俺が考えている到達点よりも、はるか先の夢を見ていたんですね。
「こないなこと、さおたんに言うたら、どやされるさかい、ちゃんと言うてへんけど、むなくんは怒れへんさかい、聞いてもろてもかまへんかな。聞かされても、なんも面白くないけどな」
部長は、文学に興味なんて持っていないんだと思っていた。
でもそれは、この人の表面的な姿しか見れていないから、そう勘違いしているだけなのかもしれない。
「すごい、ですね。部長が、そんなことを考えてたなんて」
喉が急速に渇いて、なんだか痛む。空気はちっとも乾燥していないというのに。
部長が照れくさそうに苦笑して、
「そないな真面目な顔をされると困るわ。さいぜんみたいに、けなしてや」
さっきの言葉をなかったことにしたいみたいだけど、俺にそんなことはできないですよ。
「部長は、どこの大学へ行きたいんですか。あんなに勉強してるんですから、目指してるのは、偏差値のかなり高い大学ですよね」
部長が、また真剣な面持ちで顔を少し伏せる。
「言うのが嫌でしたら、無理には聞きません。差し支えなければ、教えてもらえませんか」
部長は眉尻を下げて、子どもにおねだりをされる母親のような顔をしていた。
強烈な日差しが、首の後ろをじりじりと焦がす。頬を伝った汗が、シャツの襟に流れ落ちた。
部長が決然と顔を上げた。
「うちはな、明文に行きたいんよ」
明文って明宝文化大学のことですか。有名な進学校の学生が選ぶ、難関大学だ。
うちの学校から明文に入学した卒業生は、ひとりもいないだろうな。
「明文って、文学部がレベル高いんですよね」
「そうなんよ。そやし勉強きばってるんやけどもな。あそこ、めっちゃややこしいんよ」
「ややこしいって、問題のことですか?」
「そうや。ややこしすぎて、頭がおかしくなるわ」
「明文は偏差値がかなり高いですからね。簡単には受からないですよ」
そんな難関大学を目指してるのだから、文化祭の勝負なんかにかまっている暇はないんだ。
今日だって、俺なんかのために貴重な勉強時間を割かせてしまった。
「なんか、すみません」
「すんまへんって、何が?」
「だって、部長の貴重な勉強時間を、俺なんかのために減らしちゃったんでしょう。明文に行きたいっていうことがわかっていれば、俺も邪魔はしなかったんですが」
「ほほ。むなくんは、ほんまにええ子な」
部長の屈託のない笑顔に、どきりと心が跳ね上がる。
「そないなつまれへんこと、気にせいでええよ。うちかて勉強ばっかりで疲れとったんやさかい、ええ気分転換になったわ」
「そうですか」
「むなくんが、どうしても、うちに謝りたいって言うなら、そやな。さいぜんのたこ焼き、やっぱり奢ってや」
「それは、ちょっと考えさせてもらってもいいですか」
体育館の向こうから、チャイムの音が聞こえてきた。
スマートフォンの時計に目を落とす。
十一時五十分!? まずい、そろそろ部室へ行かないと、午後の当番に間に合わなくなってしまうっ。
「そろそろ部室へ行かなくてもええの?」
「はい。もう行かないとまずいです。ですので、俺はこれで失礼します」
「そうか。午後の当番きばりや」
「はい。部長も受験勉強がんばってくださいっ!」
挨拶と同時に踵を返す。校舎に向かって走った。