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璃理恵の翼  作者: 植村夕月
第0章 翼を手に入れた少女、璃理恵
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5、璃理恵の翼

   5、璃理恵の翼


 どうして璃理恵が死んだのか、どうして死んだはずの璃理恵と言葉を交わすことができるのか。分からないことばかり起きて俺の頭の中にたばこの煙のように不快なものが漂う。

 胃袋は何かがつっかえたような感じがする。吐きそうなほどではないにしろ、続かれると困る。

 気晴らしにどこか遠くへ出かけようかな。

 休日の朝七時半は、俺以外の家族は全員寝ている状態だ。というより俺以外にいるのは妹だけだ。父も母もやはり帰ってきていない。

 俺は妹の寝室へ向かった。俺の部屋の隣、扉に木製のプレートが掛けられている。彫刻刀で不器用に『美月』と彫られていた。中学の技術で使われた木材の余りを使ってのものだ。

 あんまりいい出来でなかったし、彼女自身『こんな下手に掘ったやつ使わないから』といっていた。しかし、なんだかんだ言って今日までこういう風に使われ続けていた。

 何だかくすぐったいな。

 俺は人差し指でひっかくように頬を擦った。

 いつも人に甘えてばかりで、心配な奴だ。食事とか用意するのはいつも俺だし、家事もちゃんとできるわけじゃない。俺は半分親代わりなんだ。だから朝食を用意せずに出かけるとか何だか心配だ。

 俺は扉をノックする。

 中から、ジャージ姿の美月が出てくる。眠たそうに眉を擦っていた。

「まだ早いのに、一体何?」

「俺、少し遠くへ出かけるから、悪いけど食事のほうは用意できない。自分で何とかしろよ」

 炊事のことは自分で何とかしろ、なんて突然言ったから美月は機嫌を悪くした。何か愚痴を言うのではないかと構えていると、彼女は特に何も言うことはなく。

「分かった。気をつけて。それと遅くなるんだったらちゃんと連絡してよね」

 俺は妹の普段と少し違った反応に驚きつつも、頷いた。

 自室に戻ると、璃理恵の姿はなかった。どこへ行ったのか少し気になったが好都合だ。速やかにジャージから普段着に着替えてしまおう。

 俺は財布と携帯をポケットに突っ込む。部屋の片隅には大きなリュックサックが置かれており、その中身を確認する。必要なものは一通り入っていた。かなり重たいそれを背負って部屋を出た。妹が玄関から見送ってくれた。

 家を出て駅の方へ歩いていると、ふと横側から鈴を転がしたように綺麗で可愛らしい声が聞こえた。

『可愛らしい妹さんだね』

 俺の傍らには、璃理恵が制服姿の璃理恵がいた。朝起きた時にはいたけど、着替えている時から家を出る時まで姿が見えなかった。一体どこにいたんだろうか?

「まあ、我儘なのが欠点だな。それより、お前はさっきまでどこに隠れていたんだ?」

『別にどこにも隠れてはいないよ。私にとって安全な場所は君だけだし』

 そういって璃理恵は顔を赤くすると、いや、あの、特に何のこともなくて、とあたふたしだした。

 まあ、璃理恵がそんな風になるのも分かる。言われた俺自身、心臓の鼓動が一段と大きくはねたのだから。

 まったく、変なことを言う。

 歩く俺の左側には公営マンション、道路を挟んで右側は新築された家が立ち並んでいる。

 交差点の信号が赤だったので俺はその場に立ち止った。車が一台も道を通っていない。歩道を歩む人の姿も見られなかった。信号なんぞ気にせず道路を渡ってしまってもいいんじゃないかって。でもそんな気分じゃなかった俺は馬鹿正直に信号を守った。

 青になって向かいのたこ焼き屋を通り過ぎ、道を直進。

 緩やかに続く坂を上っていくと、道が十字に分かれていた。俺の右側は、土塀に瓦や蔵といった古家が立ち並んでいる。酒屋があれば、銅板に重要文化財なんて刻まれた家もある。

 璃理恵は、歩いていくなかで道の両側にある家をジーと見ていた。

『前にお寺が見えるけど、お寺までの道の両側にある家が妙に古くていいね』

「古くていい?」

 言っている意味が分からなかった俺は首を傾げた。璃理恵は苦笑しながらも、俺の疑問に答えてくれた。

『歴史を感じさせていいなって。とても味があるじゃない』

「そういうことな」

 璃理恵は目をキラキラさせていた。こういう歴史を感じさせるものを好んでいたとは知らなかった。

 俺たちの目前にある寺は建立されて約千年を迎える。この寺を中心として町は発展していった。その最初がこの両側にある古い日本家屋なのだ。

 普段はこの寺を通って、駅のほうへ向かった。ただ、今回は寺を逸れて駅の方へ歩を進めた。どうしても通りたくなかった。意識的にも無意識的にも。足が真っ直ぐに寺の門へ進むことを拒否したのだ。それは恐怖からくるものだったのだと思う。背筋が凍りつくような感覚が走った。この拒否感はおそらく、俺が人の生き死にで当然の道理に逆らっている背徳感からくるものだろう。死者と会話して並んで歩く。そんなことは許されていない。

 聖域で堂々とそんなことはできない。

 この様子では寺や神社には当分通えないな。

 俺は寺の先には商店街があって、その先には比較的交通量が多い道路がある。そこを横断すればすぐそこに駅がある。

 俺は財布を取り出し切符を買った。

『時雨クン、そんなにいらないよ』

 機械から吐き出される切符を手に取ると、傍らで佇んでいた璃理恵が静かにそういった。

 俺はその言葉の意味を察すると、無性に怒りと悲しみがわいた。璃理恵が生きていた時と同様に切符を買ったけど、当の彼女はもう死んでいて手に握りしめているものの無意味さに怒りを覚えた。それは璃理恵が生きていて何の変りもないって、俺が錯覚していること。そんなおめでたい思考に怒りがわいた。そして同時に彼女はもう失われた現実を再び知らしめられたことによる悲しみ。

「ああ、間違えてしまったよ」

 俺は歯を食いしばって、そういった。

 ホームに降りると丁度電車が到着していた。俺たちは慌ててそれに乗り込んだ。車内はがらんどうになっている。扉のすぐわきの座席に俺は座り、彼女はその隣に座った。電車に揺られ続けること二十分、すっかり眠りついた璃理恵は俺の肩へ頭を載せていた。車外の風景は田園と林に山。先ほどまで家ばかり目についていたのに、ほんの少しで移動すれば田舎だ。

 車掌が間もなく駅に着くことを告げた。

 俺の今日の目的地。列車が静かに停車すると俺は席を立つ。璃理恵は指で目を擦っていた。熟睡していたから、起きるのが少しつらいのだろう。

『ねえねえ、今日はどこへ行くつもりなの? こんな田舎までさ』

 無人駅のホームに降り立った俺は、彼女の顔を見た。そしてある方を指差しながら言った。

「山登りをしよう」

 彼女はポカンとしていたけど、しばらくして額に指をあてていた。困ったやつと言わんばかりの反応だ。

『ああ、そういうことか。君が背負っているリュックサックがバカでかいのはそのためだね。でも私は心配だよ。冬が近づく今の山登りは危険も多いし』

「大丈夫。俺が昇ろうとしている山は、今までにも何度となく昇ってきた。登山ルートはしっかり頭の中に入っている。それに装備もちゃんと用意してきたからな。危険な登山っていうのは、登ろうとする山をろくに知らず、装備もしっかりしていない奴だよ」

 俺は駅の改札口に設置された小さな箱に切符を入れて駅を出る。

 駅の周辺は少ないながらも民家が見受けられた。道路はアスファルトで整備されているが、もうボロボロで地面が凸凹していた。

『ど田舎だねえ。この駅、電車は一時間に何本来るんだろうかな?』

「二時間に一本だ」

『……マジですか。ちゃんと帰る時間考えて行動しないとまずいよ!』

「それくらいはしっかりやってるよ」

 以前この駅で電車を乗り過ごし、丸二時間暇を持て余したことがあった。誰もいないホームで呆けているこの辛さはもうこりごりだ。

 周囲が田んぼや畑しか見えなくなった。道路もアスファルトから地道へと変わった。畑にはトラクターが無造作に置かれていて、放牧場にはホルスタインがモーモー鳴いている。

 璃理恵は牛の様子を笑顔で見ていた。

『牛さん、可愛いね。ああ、なでなでしてあげたいな』

 璃理恵は柵越しから眺めていると、数頭牛がこちらの方へ寄ってきた。のんびりのんびりとした動作だ。彼女は一番手近にいる牛の頭を撫でようと手を伸ばした。彼女の頬は高揚している。早く触れたいという願望が彼女の細い体全体より発せられていた。白くてか細い指が牛に触れようとした。触った、と彼女は思っただろう。

 しかし手は牛の頭をすり抜けた。

 同時に先ほどまでウサギが飛び跳ねるように元気だった璃理恵は嘘のように元気をなくした。落胆を隠しきれない彼女。

そんな様子の璃理恵を見ていられなかった俺は、彼女の手をおもむろにつかんだ。

彼女は驚きを隠せない。

『……時雨クン?』

「さあ、行こう」

 璃理恵は目を大きく開けて俺を見ていた。そして俺の意図を察してか微笑みを浮かべた。

「ありがとね」

 俺は何も言わなかった。

 

 歩いている道の高低差が激しくなっていく。それにつれて、田んぼや畑といったものから、純粋に木ばかりが目に付く。道は細くなっていく。道幅は人二人分くらい。途中、登山コースを示す立札が見えた。

 一時間くらい歩き続けたか、俺たちは今八合目あたりにいる。

 その時くらいから、妙に息が苦しくなってきた。次第に視界が暗くなる。隊長の急変に危機を感じた。俺は傍らにいる璃理恵の肩をゆすった。

「璃理恵、璃理恵、大丈夫か?」

『……』

 璃理恵はうつろな瞳になっている。俺の声には一切反応しなかった。

 俺の視界はより一層暗くなり、足元より一気に力が抜けた。その場で倒れ込んだ俺は、ぼんやりする意識を必死に呼び戻そうと口内を噛み切る。しかし思ったほど痛みはしなかった。口の中に血がたまっていく。

 クソ、どうしてこんなことに――。

 

 俺が目を覚ました時には周囲は真っ暗となっていた。開いた瞳に最初に映ったものは雀崎飛燕ひえんだった。綺麗な白い肌が月光によって雅に輝く。俺が覚醒したことに気付いた飛燕は、気にもたれかかっていた俺の手を引っ張って強引に起こす。

「一応動けそうやね。璃理恵はアタシが背負うから全力で私の後についてきてや」

「えっと、どういう事?」

 状況を把握できない俺は、彼女に問うた。すると目をキッとさせて、刺々しく言った。

「ええからついてきて。あんたにいちいち説明してられん」

 そういって彼女は璃理恵を背負い登山道を走り出した。

 俺は目まいがまだしているも、切迫した彼女の様子からただ事でないことを察して、飛燕の後をついていく。俺は走りながら後ろを見た。すると、黒いもやもやしたものが俺たちの後を追いかけてきている。数は分からない。ただ大きさは人並み。

「なあ雀崎、後ろの奴は何なんだ?」

「悪霊や、絶対追いつかれるんちゃうで。追いつかれたら詰みや」

 そんなことを言っている矢先に、雀崎は徐々に走る速度を遅した。しまいには足を止めてしまった。

「どうした?」

「前からも来とる、っていうか囲まれとるわ。こんちくしょうめ」

 雀崎から璃理恵を代わりに負ぶってくれと言わた。俺は彼女を背負った。その時に驚いたのだが、璃理恵には重さがあったのだ。だがそんなどうでもいい思考はすぐに消えた。暗くてよく見えなかったが雀崎は刀を背負っていたのだ。それを左手に持つと右手で抜刀した。

「全部、ぜんぶ切り伏せたるわ。シグは動いたらあかんで」

 そういうと雀崎は、人が走る速度と同じくらいの速さで近づく黒い悪霊を袈裟懸けにして斬った。すると黒い靄が霧散した。露わとなったのは、朽ちた肉体に鎧を着た武者であった。

 雀崎はその鎧武者を空いている左手で投げ飛ばし、接触して一瞬ひるんだ悪霊を鎧武者ごと刀で串刺しにする。刀を引き抜くとそこから黒い液が噴き出した。串刺しにした悪霊の後ろは太い樹木となっている。前は樹に後ろは悪霊共に囲まれる。

 逃げられない状況。

 俺の背中や脇、額からどっと汗が噴き出した。

 何とかして助け出したい。でもこんな人外を相手になんてできない。恐らくすぐに切られるなり殴られて死んでしまう。なんで、何で、俺は。

 俺は自身の無力さに打ちひしがれていた。ただうつろな目で彼女を見る。

 悪霊共の一体が彼女めがけて槍を突き出した。

 そのモーションから脳裏に絶望的なヴィジョンが浮かんだ。残酷な様子を見たくない。そう思って目を閉じたかった。耳をふさぎたかった。でもそんなことはできなくて、俺はただ恐怖していた。そしてその恐怖は雀崎がぶち壊した。

 彼女は背後より迫る槍を逃れるように前方へジャンプ、飛んだ先の樹でさらにジャンプした。二段ジャンプによって、悪霊共の包囲から逃れた彼女は手近なそれの首を跳ねる。悪霊は一斉に後ろに振り向き、雀崎へ各々の武器で仕掛ける。真一文字の斬りには後ろに飛びのいて、それのスキを突くように真っ二つに斬った。槍には軽やかに避け、刀を軽々と振るう。大剣を振り回す輩は大きく空振って、地面に得物を食い込ませた。雀崎がそいつを踏み台に悪霊の中へと飛んでいった。彼女の身のこなしはまさしく舞っていた。そう感じさせた。

 そうやって見とれているうちに、悪霊がこちらにも寄ってきた。

 にげる場所なんてない。ならダメもとで。

 俺は璃理恵をおろす。

「うおおおおおおおおおおおおおおおお――」

 悪霊を右こぶしで殴った。

 そいつは首をポンと首を後ろに向いてそのまま倒れた。

「へ? 今ので行けたのか?」

 俺は拳に目をやった。

 周囲から呻き声が徐々に大きくなっていく。これは決して倒した奴らが放っているものではない。さらに集まってきているのだ。

 悪霊の群れから一段と高く飛んだ雀崎は俺たちに駆け寄った。

「無理、多すぎ。どうにかして逃げへんと」

 でも逃げることすらできない。

 絶望的な状況下に置かれているなか、異様に落ち着いた声が聞こえた。蜂蜜のように甘く、日の光のように明るくて暖かいものだった。

『時雨クン、飛燕ひえん。私にどうしてほしい?』

 璃理恵の存在によって現状を覆すことができないのは分かっている。なのに、この妙な力強さと自身は何なんだ?

 雀崎も同じように思っているのだろう。目を大きく開けて彼女を見ていた。

 先ほどまで眠っていた璃理恵は立ち上がって、その瞳は翠に輝いていた。

 気が付くと俺は言っていた。

 雀崎も同様に。

「「俺たちがここから逃げるだけの力が欲しい」」

 璃理恵はこくりと頷いた。

 すると璃理恵は俺を羽交い絞めにした。さらに雀崎に、

『私の足首をちゃんとつかんでね』

 雀崎がそうしたのを確認すると、璃理恵は空を見た。木々に隠れて星はあまり見えない。

 璃理恵の背中からもこもこと蠢いて、一気に服の背面を突き破った。そして白く輝く大きな羽が露わとなった。

 その羽で大きく羽ばたく。重力によってか体を引っ張られる感覚がした。

 今まで見えなかった空には、月が輝いていた。

「璃理恵ってすごいな」

『いえいえ、そんなことはありませんよ!』

 率直にそう思った。璃理恵は照れて顔を赤くしている。

「ほんと、リリーやるねえ」

 雀崎からも率直な賞賛に璃理恵は顔を隠したいだろう。でも今は俺を抱えているから手を離せない。

「ああ、気持ちええなあ。こんな風に空を飛んでるなんて、夢みたいや」

「ほんと」

 俺が同意すると、雀崎は何やら笑い出した。

「それにしてもシグはかっこ悪いな。女の子に抱えられとるわ」

「うっさい」

 月明かりに照らされながら、俺たちはしばらく空を飛ぶという事を愉しんだ。 


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