25、璃理恵の扇 NO1
璃理恵の扇 その1
巫女装束姿の女の姿が露わとなった。その女の顔を目にした瞬間、影平さんは形相を変えた。酷く切迫したように見えたのだ。
「影平、さん」
俺が声を掛けようとする。その時、彼は巫女のほうへ走っていった。
左手袖口から何やらキランと光るものが見えた。それを手に影平さんが、彼女の首のほうへ左手を伸ばす。
巫女は、陰になって見えていなかった左手を、その手に向けてふるう。
鈍い金属のぶつかり合う音が響いた。
ドスと刀の切先より飛び散る火花が女の顔を照らした。
見覚えのある顔。俺は思わず声を上げた。
「新宮さん!」
その声に反応した彼女は、こちらをキッと睨みつけた。
隣にいる璃理恵はそんな彼女を見て、酷く動揺していた。
「どうして、あなたはなぜここにいて、そんなものを振り回しているの?」
その問いに答えるものは誰もいない。
影平さんは、璃理恵の母を部屋から突き飛ばし剣戟の巻き添えにならないようにする。
「シグも下がっとき」
雀崎はそういうと、肩に下げている長ぼそい袋を下ろす。それの中に手を入れて、すっと引き抜いた。
それの正体を知った俺は、彼女の手を掴む。
「お前まで、何しようとしてんだよ?」
事態を飲み込めない俺は、雀崎にそう聞いた。
「愛華を追い払う」
雀崎は右手で柄を握り、鞘を引き抜いた。
彼女は新宮に肉薄すると、胴の部分に突きを入れようとする。それを髪一重で避けた新宮は、雀崎の刀を振るう手を左足で蹴り、隙を作る。そして背後より彼女に剣を振るおうとした。
それの邪魔をするように、影平さんのドスが新宮の刀の軌道をそらす。
影平さんが、床に手をついている雀崎のほうへ駆け寄った。
「雀崎殿、大丈夫か?」
「ええ、なんとか」
雀崎の声を聴いたとき、何だか違和感を覚えた。酷く疲れている、苦しそうな声だった。
目を凝らせばわかる。
彼女は、あまり動いていない風に見えたが、酷く息を切らしていた。
新宮愛華は、形成が不利であると感じたのだろうか。
雀崎が再び刀を構えようとした時、彼女は部屋を飛び出すと夜の闇に紛れ込んでいった。
「彼女は私が追う。雀崎殿は彼らを」
影平さんは、逃走した新宮愛華を追っていった。
「どうして、なの。なんであの子はこの家に入って母を……」
半ば放心状態の璃理恵。
彼女は新宮愛華とほとんど話をしたことはない。直接的なかかわりこそ少ないが、彼女によって助けられることも多々あった。俺の中からでも、彼女の人となりを知っているだろう。
璃理恵は彼女に恩を感じているとともに、ある疑念を抱いていた。
璃理恵は時折こういった。
――『新宮さんは、何だか怖い』――
新宮愛華が見せる情の一切を欠いた顔。
死神のように恐ろしく、美しかった。
それを見た時、俺は彼女が違う位階の存在ではないかと思った。璃理恵も同様だったのだろう。だから彼女に対しての警戒を解くことはなかった。
雀崎は、床に座り込んでいる璃理恵の肩にそっと手を置いた。
「リリー、ゆっくり息を吸うて、吐いてー」
璃理恵は彼女の言うとおりに、深呼吸を繰り返した。
幾分か落ち着いた彼女は、雀崎に新宮愛華のことについて聞いた。
「話したいのはやまやまやけど、とにかくここから出えへんか?」
璃理恵、雀崎と共に歩道を歩いていた。車が二、三台結構なスピードを出して走り去っていく。人通りは少なく街灯に照らされていても、心許なかった。
「愛華は神社に務めとるってこと聞いたやろ」
「あの子、巫女さんをやっているそうだな」
「そや、でその巫女さんと陰陽師も至上任務は同じや。土地の安定を願っとる」
「なら、どうしてさっきみたいに武器振り回して衝突なんてことになるんだ?」
雀崎の話から当然沸いてくる疑問だ。
新宮は、雀崎同様に俺たちに危険が迫った時は助けてくれた。魂と肉体が分裂して、半分死んでいる璃理恵もちゃんと助けてくれた。
だから少なくとも敵じゃないって思っていた。
「任務の『領域』の違いが原因やな」
「『領域』?」
「そう、お社の巫女さんは基本的に鳥居の中を守っていればいい。対して陰陽師は、それ以外の土地を守ることになってる」
「その話だと、まず巫女さんが神社の外出てまで、何かをするってことはないのが普通なんやろ。ならどうして?」
巫女さんが、神社の中を守っていればいいなら、その外で何が起きようとわれ関せずを貫き通すことすら可能なのだ。住民により密着している陰陽師が、問題の解決を図ればいいのだ。
逆に、巫女さんが何らかの要因で行動を起こすとしたら、雀崎の言いようから――。
「気付いたみたいやな。そや、愛華の神社の鳥居内に入り込んできよったんや」
それを聞いて、璃理恵宅を出てから一切口を開いていなかった璃理恵が口をはさむ。
「でもそれが理由だとして、行動がかなり大胆というか、早いというか」
「それは、神社側が慌てとるからやな」
「慌てているって?」
道を曲がり、信号を待つ。
ふと思った。この方向は俺の家に向かっていて、雀崎の家からは反対側にある。
「なあ雀崎、そろそろ引き返さないといけないんじゃないか?」
「何を言ってるんや?」
「何を言ってるってのはこっちのセリフ。ここからだとお前の家反対だろ」
「わかっとる。それより、話の続きをするで」
――雀崎曰く、土地とは普段から何らかの問題を抱えていることがある。少々の問題はよくおこるそうだ。対して鳥居の中は神域。邪なものを寄せ付けない属性を有している。土地の安定性は随一という事だ。そんな中に、邪なものが入り込むなんて前代未聞。即刻排除しないといけない。
今回新宮が動かなくなってしまったのはある意味、陰陽師に落ち度があったことは確かで、巫女さんを責めるいわれは一切ない。
新宮も追い詰められているという事だ――。
家の鍵を開けて中に入る。
「はあ、ただいま」
靴を脱いで玄関を上がる。手を組んで伸びをした。
今日はひどく疲れたなあ。ことは何も解決せず、むしろ悪化しただけだ。新宮には明日どんな顔をして会えばいいんだか。
「おじゃましまーす」
さてさて、今日はもうカップラーメン食べたら風呂入って寝よ。
「ふーん、ここがシグの家かあ。あったかい感じがするやん」
?
何だか聞き覚えのある声がする。気のせいかな、さっき道で別れた気がするが。
まあ、確認するまでもないけど、後ろを見ておこう。
「やあ」
知ってた。知ってたよ。帰れ帰れって言っても人のいう事を聞かない、関西弁の女。
「お前は何知れっと人のうち上がり込んでんだよ」
「ん? ちゃんとお邪魔しますっていったやん?」
何かいい返そうって思って、口をつぐむ。電気で照らした結果改めて分かった。雀崎のスカートは、端がズバッと破れて、糸もほつれている。上のカッターも同様にボロボロとなって、ほっぺには切り傷があった。
……こいつ、何でもない風を装って。
「早く上がれ、体中が埃だらけで怪我もいっぱいしてるじゃないか」
雀崎をリビングに連れて、椅子に座らせる。そしてじっとしているように伝えた。
俺は二階に上がって、美月の部屋の扉をどんどん叩く。
「五月蝿い、一体どうしたのよ?」
「美月、お前のジャージと下着を貸してくれ」
用件をそのまま伝えると、ビンタを食らわさせられた。事情を説明して、一階の雀崎のもとへもっていってもらう。
救急箱は俺の部屋から持ってきた。
事態を飲み込めない美月は、目の前で傷だらけになっている雀崎に驚きを隠せない。
「ちょっと、この子どうしてこんなに怪我してんのよ?」
「俺のせいなんだよ」
その言葉だけ、たったそれだけだ。なのに優秀な我が妹は仔細を理解したと言わんばかりに、それ以上何か言うこともなく湯を張った洗面器とタオルを持ってくる。
雀崎をよく見たら、おなかのほうにも傷があった。深いのか血が滲み出ていた。
「美月、俺にできることはないか」
「兄さん動揺しすぎ、別に死ぬほどの怪我じゃない。男の兄さんにできることなんて今はないからどっか行ってて」
俺は妹にリビングから追い出された。
「もう入っていいよ」
妹の許可を得た俺は、リビングに入る。
床には赤く濁った水の入る洗面器、椅子に、ボロボロになった制服が掛けてある。
黒いジャージ姿の雀崎は、俺に苦笑した。
「えらい心配かけたみたいやなあ。すまん」
怪我をしていない風を装っていた。
洗面器を濁らせるほどの出血、頬に大きなばんそうこうが張られている。傷だらけの少女が健気に笑顔を向けてくる。
そんな様子を見て、俺は苦しくなった。
「謝らなくていい。怪我は、痛いか」
「ううん、全然いたあないし」
「ここに来る途中、俺たちにけがを隠していたの辛かっただろ」
「ううん、全然そんなことなかった」
「家に入ってきたのを無神経に咎められて、悲しかっただろ」
「ううん、別になんも悲しない」
痛みなんてない、苦しくもない。そう言い張る彼女。
その様子が、昨日図書館の彼女の姿となぜか重なった。この子は強い。他の女の子よりずっと忍耐強くて、真っ直ぐ。誰に対しても弱い部分なんて見せない。だけど、我慢しているだけ、甘えることを知らなくなってしまった。
どうしてだ?
昨日も急だった。この子をとても愛らしく思う。他の誰よりも。
俺は自然、彼女を抱きしめていた。
「は、はわわ。兄さんが知らない女の子と……」
妹が何か言っているが知らない。
「俺に力があれば」
俺に力があれば、璃理恵も、雀崎も傷つかなくて済んだ。
純粋な愛の気持ちと、おのれの無力に対する憎しみが胸の中を渦巻いていく。
徐々に徐々に呼吸が乱れていく。走った後みたいに激しい運動をした後とかじゃない。まるで風邪を引いたときみたいに知らないうちに。
汗が体中から噴き出してくる。
体が熱っぽく、目が潤んで雀崎がぼんやりする。
「シグ……」
彼女は俺の背に手を回す。
溶けてしまいそうなほどに熱くなって、胸を破るほどに大きく鼓動する心臓。肉体にのしかかる疲労感が限界を迎える。
俺の視界は一瞬真っ暗になった。
妙な浮遊感がした。支えになるものなんて一切ない。このふわふわした状態が気になって、ゆっくりと目を開いた。
最初に目に入ったのは青い空だった。雲は何一つない。
太陽は、真横からさしているように見えた。
どうやら俺は雲を背にした状態らしい。何とか真後ろの様子を見てみたい。ぼんやりそう思った。
すると、体が抵抗なくゆっくりと宙を回転した。
反転してみたものは、雲だけ。その合間から大地なるものが見えるわけでもなかった。
俺は探す。
この広大な空に何か、誰かが待っている。そんな予感がした。
必死になって探していると、俺のいる場所より、高いところに人の形をしたものが見えた。
俺は必死にその方へ進む。そこへ行きたいと強く望めば望むほどに、進む速度は速くなる。探し人が近くなるにつれ、速度を落とす。ゆっくりと少女のもとへ進む。
彼女は俺たちの通っている高校と同じ制服姿だった。
ただ顔を認識することはできない。
何か言葉を交わそうとするけど叶わない。
彼女は、光るものを俺の前に両の手で大切そうに差し出す。
俺は、反射的に彼女に向けて手を差し伸べた。
光るものは、とても暖かくて形を成しているものではなかった。ただ、それがとても大切なモノだという事は分かった。だからそれを落とさないように、逃がさないようにぎゅっと胸に抱く。
その様子を見た女の子は、笑みを浮かべて徐々に俺のもとから離れていく。
俺はその子を追おうとした。
でも、ここから先一切前に進まなかった。見えない壁に阻まれて彼女はどんどん先に行ってしまう。空の彼方。青が濃く、黒くなっていくところまで、ずっと先まで行ってしまった。
女の子が離れるとともに、俺の意識も混濁していく。
彼女が見えなくなった時点で、ふっと落ちていく感覚がした。
気が付くと俺は、雀崎の前に立っていた。彼女は椅子から立ち上がった状態で、俺の両手を包み込むようにしていた。
手には何か感触がある。
それに目をやった。
「扇子?」
「扇子やね」
俺は首を傾げた。
雀崎も同じように首を傾げて、再び俺の手に目をやった。そして自分の手が俺の手を包み込むようにして握ってあることに気付くと、ぱっと手を離す。
「ご、ごめん」
「ああ、別にかまわない」
俺は椅子に掛けて、右手に持つ扇子を広げた。白い雲に背景が青の柄をしている。
雀崎の様子が気になって、扇子をテーブルに置いた。一瞬目を離した。その間に扇子はどこかへ消え失せていた。
その様子を見ていた雀崎は何かに納得したようで。
「安心しい。シグはそれを絶対になくすことがあれへんから」
なんて意味深なことを言われても困る。
とにかく雀崎は、俺の部屋のベッドで寝てもらうとして、俺はリビングのソファで寝ることとなった。




