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璃理恵の翼  作者: 植村夕月
第1章 璃理恵に穿たれた楔
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15、美月の願い NO2

   15、美月の願い NO2 


 マスターは喫茶店の外まで出て、俺達を見送ってくれた。

「にしても、本当にお代はよかったのだろうか?」

 新宮さんも俺も、お代を払っていない。話が終わって席を立った時に千円札を取り出そうとすると、店主が「今日はサービス」といって受け取らなかった。

「ふふ、真面目な方ですね。おじさんがそう言ったのだからそれでいいじゃ、ありませんか」

 車が一台通れるぐらいの狭い道を俺たちは歩く。傍らをランドセルを背負った小学生がわいわい騒ぎながらかけていった。

「元気で可愛らしいです」

 彼女は子供たちに笑顔を向けると、彼らは手を振ってきた。彼女も満面の笑みで手を振り返す。

 こんな様子を見れば彼女は誰ともでも打ち解けられるような気がする。

 もうすぐ夕食時だから、家からいろいろな料理の匂いがする。肉じゃがの匂いや、焼き魚にこれはすき焼きの匂いだろうか、贅沢な。冷えた鼻先からは寂しさから涎の代わりに鼻水が出た。

 俺は慌ててポケットからティッシュを取り出して鼻を拭く。

「大丈夫ですか。寒いですから風邪には気をつけないと」

「大丈夫大丈夫」

 細い裏通りから大きな道へ出る直前だった。先を歩いていた新宮さんはふと立ち止まるとくるりと振り返った。彼女の表情は逆光によって見事に隠れてしまった。冷たい風が吹き抜けていく中、彼女はあることを口にした。


「不幸に、気をつけてください」


 そういうと彼女は走り去っていった。

 不幸に気をつけろ、という彼女の言葉には若干思い当たる部分はある。およそ、瘴気に関わる羽目となった俺は、不浄と接する機会が多くなるからそれに襲われないようにという意だと解釈した。

 しかし、どうやらそれは違うみたいだった。

 俺はサラリーマンや主婦らに交じって横断歩道で信号待ちをしていた。疲れて少しぼんやりしていた。周囲が一瞬ざわつき、悲鳴が聞こえた。

 ふと下を向いていた顔を上げた。すると乗用車が猛スピードでこちらに突っ込んでくる。頭が真っ白になった。足も、手も微塵と動く気配はない。皮肉にもガソリンの切れた車のようになっている。

 目の前の車、そしてそれを運転する人間。

 ゆっくりゆっくり、動く。車と俺との間は二メートルもない。運転手は恐怖にに顔をゆがめた。迫りくる車を見て思う。


――『不幸に、気をつけてください』――


 優しさと美しさを印象付けた新宮愛華が唯一、それらすべてを取り払ったかのように冷たく告げた。太陽を背に顔が全く見えないそのさまは、まるで死神のようだった。

 こういうことを言ってたんだな。


 俺は瞳を閉じた。


 ふと体が何かに接着される感覚を覚えた。横からのもので、俺は体ごと右側へ飛ばされた。車は俺の左側を通って電柱に激突した。煙を出してスクラップと化したそれに目をやっっていたが、横から嗚咽がした。

 制服にある少女がしがみついていた。誰か分からなかったが、声を聴いてそれが妹のものだとわかった。

「何やってんの! もう少しで死んじゃうじゃないッ。あんたが、兄ちゃんが死んだら、アタシはどうなっちゃうのよ? ねえ、教えてよ」


 ――『不幸に、気をつけてください』――

『アタシはどうなっちゃうの?』


 新宮愛沙の言葉と、幼い美月が俺としたある約束を思い出す。しばらく呆けていた頭は、徐々に思考を取り戻し、しがみつく美月を抱き返した。

 すぐに何か言葉をかけてやりたかった。とにかく心配をかけた。それを誤りたい。

 だけど、それは無理だった。

 強烈な恐怖心が、俺の言葉を奪った。

 警察と消防に、救急車が来るまで俺たちはそこで座り込んだままになっていた。

 

 警察の聴取が終わって、家に帰宅した後の俺は夕食を作る気になれなかった。全身の骨がボロボロに砕けたように、リビングの椅子から微動だにしない。考えることも放棄して、ただ眼を開いているだけ。

「兄さん、大丈夫? やっぱりあの時に病院へ送ってもらった方が……」

「怪我はない。だから病院に行く必要もない。それより、晩飯、無理っぽい」

 美月は目を細めるも瞼をけいれんさせ、眉は垂れている。唇はきゅっと結んで、何かに耐える様子だった。彼女はこちらに背を向ける。

「いいよ。私がコンビニで弁当買ってくる。ゆっくりしといて」

 美月がかってきた弁当を黙々と食べて、その後はどちらとも話すことなく自室へ無かった。


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