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練習用習作集

黒い道

作者: ねーぴあ

「はっ、はっ、はっ…。」


夜の街に喘ぎ声が響く。一人の少女が、闇に追われて駆けていた。


 町の中を彷徨う人型の闇に飲まれると、永遠の眠りにつくことになる。そんな噂を学校で聞いた時、少女はそれを一笑に付した。だが――


(なんであの時、噂の内容を聞き流したんだ! 僕のバカ!)


 こうして、噂は――少なくとも、人型の闇が町の中を彷徨うことは――真実だったと知った以上、もはやあれは笑い話ではないのだった。


「はっ、はっ…あ!」


 がつり、と少女の靴に衝撃が走った瞬間、少女の体は宙に投げ出されていた。


(やばい、転…)


 そう思ったのもつかの間。足が止まった少女の体を、黒い手がつかんだ。悲鳴を上げる間もなく、少女の魂は闇に奪い取られていった。



「…ここは!?」


 少女が目を覚ますと、そこは黒い一本道だった。先に何があるのかもわからない。ただ、道だけが続いていた。


「僕は、どうなったっていうんだ…?」


「よう、新入り。」


 宙に消えてゆくはずの少女のつぶやきに、しかし後ろから答えた者が居た。おびえた顔で振り向いた少女の目は、一人のホームレスを捉えた。


「…あなた、は?」


「俺はケータってもんだ。…あんたは?」


「…僕は、英子だ。…教えてくれ、新入りってどういうことなんだ?」


「新入りは新入りさ。…ここのな。」


 ケータは空を見上げた。


「ここはな、幸福の街なんだよ。ここに居れば、みんな救われるんだ。」


 ケータは言った。


「救われる? …どういうことなんだ、教えてくれ! こんな所にいることの、何が救いだっていうんだ!」


 英子は叫んだ。


「道の外側に手を出しな。それで、何か欲しいものを思い浮かべるんだ。そうすると、思い浮かべた物が手に入る。…こんな風にな。」


ケータは言った。道の中で薄明かりに照らされたその手には、手を出す前にはなかった湯気を立てる饅頭があった。


「食いな。肉まんだ。道の外から取り出したもんは、使ったり時間が経ちすぎちまうとなくなっちまう。」


「…あり、がとう…。」


 ぼんやりした口調で、英子は半分の肉まんを受け取った。


「…食わねぇのか?」


「おなか、いっぱいなんだ。…ごめん。」


 これは嘘だ。内心、英子は怖かったのだ。こんな良くわからない場所のものを、食べることそれ自体が。本当は、今すぐにでも逃げ出したかったのだ。


「逃げ出したい、って面だな。でも無駄だぜ? どんなに逃げても、この道はどこにもつながってねぇからな。」


 ケータはにやりと笑った。


「嘘だと思うなら、前に前に進んでみな。前はあっちだ。」


 英子はうなずき、肉まんを片手に走り出した。しばらく走って振り向くと、ケータがずっと小さく見える。英子はスピードを上げた。


 しばらく走ると、目の前にはスーツ姿の男が後ろ向きに座っていた。


「…あなたは、いったい…?」


 荒い息をつきながら、英子は問いかけた。


「…君こそ何者だ。自分から先に名乗るべきだろう?」


 英子が問いかけると、スーツ姿の男は驚きの叫びをあげながら振り返った。見れば、まだ若い男だ。


「…私は、黒神 英子です。赤紙高校の一年生です。」


 英子は名乗った。スーツ姿の男は、神経質そうな顔で英子の姿をねめ回し、しぶしぶといった様子で口を開いた。


「私は鹿見 洋介だ。…丸福商事で働いている。」


「そう、ですか…。ここでは、何を?」


「何って、見ればわかるだろう! 休んでいるんだ! まったく、変な黒い男に追われて、さんざんな目にあった!」


 鹿見は激高した。英子が顔を引きつらせているにも関わらず、それを気にも留めずにまくしたてる。


「私が何をしたというんだ! 私は帰って、妻と夕食を食べ、ともに眠り、そして会社に向かう…それだけしかしていないんだ! そのつもりだったんだ!」


 薄暗い夜道の中でも、鹿見の顔が赤く染まっているのが、はっきりとわかる。


「はぁ、はぁ…。クソ、のどが渇いた…。」


 ひとしきり喚き散らした後、鹿見は道の外側に手を突っ込んだ。光の中に手を戻したとき、そこには水の入ったコップが握られていた。鹿見はその水をぐいぐいと飲み干す。


「大体、なんで私が上司の怒りを買わねばならないんだ! 全く、これだから…」


 鹿見の顔がますます赤く染まる。生臭い匂いが、英子の鼻を突いた。どうやら鹿見が取り出したのは水ではなく、透明な酒だったようだ。


「畜生が…。」


「あ、あの!」


 英子は鹿見の言葉を遮った。


「私、ここから外に出たいんです! なにか、知りませんか?」


 鹿見は答えた。


「知るか! 私だって外に出たいんだ! でも、この道の外に手を出しても、出口だけは出てこない! どっちかに進むしかないんだ、当てもなくな!」


「え、あ、ありがとうございます!」


 英子は叫び、鹿見を追い越して走り始めた。しばらく走ると、目の前に、一人の修道服を着こんだ女性が見えてきた。女性は、ゆっくりと前に向かって歩いているようだった。


「こ、こんにちは…。」


 英子は後ろから声をかけた。ゆっくりした動きで、足を止めた女性が振り向く。


「はい、こんにちは。」


 英子は驚いた。女性の手元には、たいまつが握られていた。


「あの、貴方も外に出たいんですか? いったい、どこに向けて歩いてたんですか?」


 英子は矢継ぎ早に聞いた。女性はゆっくりとうなずき、答えた。


「ええ。私も、外を目指しているわ。」


 英子の顔が緩んだ。


「こうして明かりをもって、一歩一歩進んでいるの。そうすれば、いつかどこかにたどり着けるでしょう? 貴女も、そうしてみれば?」


 女性は微笑んだ。


「…いえ。僕は、早くここから出たいんです。」


 英子は言った。それを聞いた女性が、片眉を上げた。


「何か、大切な理由でもあるのかしら?」


「…いえ。でも、家に帰りたいんです。僕は、父さんも母さんも好きで、妹との仲も悪くなくて…僕の家は、大切なところなんです。」


「…そう。」


 たどたどしい英子の答えに、女性は笑った。


「なら、これを持っていきなさい。」


 女性はフードをはずし、英子に手渡した。


「貴女に、神のご加護がありますように。」


 片手を振る女性に英子は頭を下げ、前に前にと走っていった。やがて英子の前に、着物を着た老人が現れた。老人の隣には、いろいろな物が積まれていた。


「なんじゃ? おぬしは。」


「え、あ…私は、黒神 英子です。おじいさんは…。」


「儂は黄連 義男じゃ。ちょうどいい。ここから先に通りたくば、儂に何か渡せ。ただし、道の外から取り出したものではだめじゃ。」


「え!?」


 英子は面食らった。手を見ると、自分の荷物と、女性からもらった修道服のフードしかない。


「な、何か価値あるものなんて…。」


「そのフードで構わんわ。わしはもう飽き飽きしとるんじゃ! この道を歩き回ることにな! じゃから、外から迷い込んだ奴らのものをもらい受けとるのよ! すこしは暇つぶしになるからのう!」


 英子は迷った。前に進まなければならない。我が家に帰るのだ。だが…。


「…わかりました。差し上げます。」


 英子は言った。そして、英子はフードを手渡した。


「言っていいぞ。ただし、この道を走るだけではだめじゃろうがな!」


 黄連の声が、走る英子の後ろから聞こえた。


「はっ、はっ、はっ…。」


 英子は走った。走って走って走り続けた。だが、道は延々と続いていた。今までは出会えた人々も、今はいない。不気味なまでに静かだった。


「はっ、はっ、はっ…。」


 囚われている。そんな考えが、英子の頭をよぎった。


「はっ、はっ…。」


 このまま、一生出られないのではないか。このまま…。


「はぁっ、はっ、は…」


 英子は立ち止まった。そして、空を見上げた。案の定、そこには何もなかった。


「…なんでなんだ。」


 英子の口から、絶望にまみれた怨嗟が零れた。


「僕が、何したっていうんだ。」


 止まらない。止められない。


「ここから、出してくれええええええっ!」


 地面に崩れ落ちながら、英子は叫んだ。ここから出られるなら、何をしてもかまわない。そんな思いが、今の英子を支配していた。


「ぐっ…ううっ…。」


 英子の目から涙がこぼれる。まるでたちの悪い呪いか何か――


「呪い…?」


 ふと、英子の頭に引っかかるものがあった。


―――暗闇さんはね、勇気を持ってない人を呪ってるの。だから―――


 そうだ。思い出した。確か、ここから出る方法を噂で聞いていた。それは…。


「この闇の中に、踏み出すこと。」


 家への帰り道を思い浮かべ、ただただひたすらに、闇の中を突き進む事。それがただ一つ、暗闇さんの呪いから解放される手段のはずだ。


(…怖い。この、何も見えない場所に踏み出すのは、怖い。でも…。)


 英子はつばを飲み込んだ。だが、覚悟は決まっていた。


 家に帰る。絶対に。


 英子は、闇の中に一歩を踏み出した。


 走る。闇の中を、ひたすらに走る。どこに足をついているのかもわからないまま、英子はひたすらに駆け抜けた。そして…。


 気がつけば、英子は慣れ親しんだ我が家の前に立っていた。震える手で、呼び鈴を押す。


『はーい。』


 母さんの声だ。帰ってきたのだ、という実感が、英子を満たした。思わず涙ぐんでしまう。


「ただいま、母さん。帰ったよ。」


 英子は、震える声で言った。


『ちょっと待ってて、今開けるから。』


 呼び鈴のスピーカーが切れる。母さんがここまで歩いてくる。待ち時間が長い。玄関の電気がつく。まだ開かないのか。早く、早く。


「おかえり。…きゃ、どうしたの? 英子。いきなり抱き着いてきて。」


 ドアを開けた瞬間、英子は母親に抱き着いた。もうずっと嗅いでいない、しかし安心する母の香り。ただ震える英子を、母親は優しくなで続けていた。


 やがて、英子が落ち着き。暖かな食事を食べ、床に就いたとき。英子は、あの暗い道を思い出した。あの道を、まだ彼らは彷徨っているのだろうか。


「…外に出る方法、教えてあげられなくてごめんね。」


夢の中をさまよう彼らに向けて、英子は呟いた。


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