2
塔は高く、天までそびえたっているようである。
その頂上に生い茂る樹、"王"の目覚めを知らせるというアリシアの花をその冠に抱く樹こそが街に降りそそぐ花びらの元であった。
ふわりふわりと風に乗りながら舞い落ちる半透明のそれはとてもこの世のものとは思えない。さらに不思議なことに降り積もった花びらはどうやら伝承の通り夜をこすことができないらしく、一晩のうちにすべて消え去ってしまうのであった。
気候はおだやかであたたかい太陽の光が街を包んでいる。
魔法がかけられているとはいえ、鎧を着込み銃を背負い右手にほうき左手にちりとりを持ったアレンには少々暖かすぎる気もしたが、業務に支障が出るほどではなかった。
"王"護衛部隊もとい千年部隊の当面の任務は街の警備およびアリシアの花びらの回収が目的であった。
一晩で消える花なんて回収してどうするのかと疑問に思ったがどうやら特殊な魔法液につければ消えることはないらしい。観光客向けのみやげものに加工されたり酒に浮かべられたりするそうだが、イザベラによるとアリシアの花は塔の封印と同じく様式の異なる魔法の組成によって成り立っていることがわかっておりその研究が回収の主な目的だという。
人通りの多い通りの隙間を縫ってはほうきではいて回収、ちりとりがいっぱいになったら通りの端にとめている台車に運ぶという何とも地味で過酷な作業であった。
アレンは考える。
この市場にいる人の何人が"王"の存在を心から信じているのだろうか。この論議はずいぶん前からなされているが、先ほどイザベラから話を聞いたアレンにはまた別の意味を持ってこの問いは頭をもたげてくるのだった。
おとぎ話が現実になる、しかもそれはもう決定されているという奇妙な宙に浮いた感覚が微熱を帯びてアレンにまとわりついていた。アレンはこの場で叫びだしてしまいたい錯覚に陥いる。
みんなは"王"がもたらすという幸福に何を期待しているのだろうか。
ふと、アレンは一人の視線を感じた。
「……お兄さん何してるの?」
声と視線の先をたどると年端もいかない少女であった。
「掃除だよ」
「掃除……」少女が不思議そうな顔をする「サボってるの?」
「えっ?」
足元を見るとほうきが宙をかいていた。考え事に夢中になってしまっていたらしい。取り繕うように慌てて周りを見回した。どうやら買い物に夢中でアレンを気にするような人など少女以外いないらしい。
「お兄さんおもしろいね」少女がその長い髪を揺らし笑った。
恥ずかしそうに頭をかき、辺りの適当な花びらを探し、少女から逃げるようにその場を離れた。
「ねぇ! お兄さんあれはなに?」
後ろから先ほどの少女の声がした。ついてこられたようである。少女の指がさす方にはレーラズ伝統のお菓子の屋台があった。アレンも小さい頃よくその甘い匂いにつられたのを思い出す。
「マネッケというお菓子だよ。小麦とか卵とかをまぜて焼いたものに甘いシロップをかけて作っているんだ」
「へー! おいしいの?」
そりゃあもう、とアレンが自慢気に語るも屋台に興味津々の少女の耳には届いていない。
「食べたいの?」アレンが訊ねると少女は素早く首を縦に振った。
◆
夢中でマネッケをほおばる少女はまだアレンの後ろをついてまわっていた。
「……なんでついてくるんだ」
「お兄さんおもしろそうだから」
生まれてこのかたできるかぎり真面目に過ごしてきたアレンはそのようなことを言われるのが珍しく少したじろいだ。
「僕はおもしろくなんてないよ」
「おもしろいよ、さっきから花びら集めてまわってるのとか」
「お仕事だからね……そういえば君はどうしたの?」
マネッケを食べ終えた少女は満足そうに唇についたシロップをなめる。
「私はアリシア」不意に塔の頂に生える樹の名前が、先ほどまで自分が集めていた花の名前がでてきてアレンは面食らったがすぐに名前だと理解した。花の名前を子どもにつける親はめずらしくはない。それに今の問題は親の方である。
「そうじゃなくて、君の親はどこにいるの?」
「……わかんない」ちょっとの間を置いてアリシアと名乗った少女が答える。
「迷子か」しまった、とアレンは思う。少女と出会ってから時間が経ちすぎている。人々は市場の商品に夢中で子どもとはぐれてもしばらく気づかないだろう。
「ねぇお兄さんの名前はなんていうの」
「僕はアレン。そんなことより君の親をさがさないと」アリシアって呼んでよという少女の声を無視してアレンは考える。
アリシアの服装を見る限りレーラズ国に住んでいる訳ではないようだった。白い外套のようなものを頭からかぶっている。マネッケも知らなかったしおそらく外国からの観光客だろう。周りを見渡すがアリシアと同じような服装の人はいない。
「ねぇ! アレンってば!」
突然呼び捨てにされアレンはムッとする。
「なんだい」
「私迷子じゃなくて、旅をしてるんだって。だから最初から一人」
「そんなすぐバレる嘘を言うもんじゃありません」
「……まぁ嘘だったとしてどうするの」
アレンしばらく考え込んでから「仕方ないな」とつぶやいた。
◆
「……というわけなんです」
「それでこの子を預かってほしいと」
はい、と答えアレンはアリシアの頭をぽんぷん叩く。子ども扱いするなとアリシアが怒るがおかまいなしだ。
アレンはアリシアを神父様の元へ連れてきていた。親が見つかるまでの間孤児院のほうで預かってもらえないかと相談しにきたのだ。
「事情はわかったし、孤児院のほうに空いてる部屋があるけど……アリシア、君はいいのかい?」
「神父様はこの子どものいうことを信じるのですか」アレンが不満そうに言った。
「アレンもたいがいにしなさい。たしかにこの子が旅人だと信じるのは難しいけれど信じようとしなくてどうするの。外国の子なんだろう、幼いうちに旅をさせるだとかそういう風習のある国だってあるかもしれないじゃないか。ほら、可愛い子には旅をさせよとも言うし」
アリシアがそうだそうだとアレンを睨みつける。
「ですが神父様っ! 迷子だったとしたら親はとても心配してるはずです! 僕は今すぐにでもこの子を親元に帰してあげたくて」
神父がそっとアリシアにまなざしを向ける。
「アレンは君のことを心配してくれているんだよ」
「そうなの? 私はてっきり人のこと嘘つき呼ばわりばかりするから勘違いしていたみたい」
「不器用だけど優しい子なんだ」アレンがすねたようにそっぽを向く。「ところで旅人さん、今夜の宿は決まっているのですか?」
「それがどこもいっぱいで」アレンは子ども一人に宿を貸すやつがあるかと言いたかったが神父に視線でなだめられた。
「ならばうちをお貸しできますが、どうですか? ほかの宿と違って街の中心ですし」
アリシアはしばらく考えた後「じゃあ、そうしようかな。もうそろそろ日も暮れてきて宿なんて見つからないだろうし」と孤児院への宿泊を決めてしまった。
「三ツ星のサービスはできそうにありませんが暖かいスープならご用意できますよ」神父がうやうやしく頭を下げる。
「うん、気に入った」どこまで本気なのかわからないアレンをよそにアリシアは神父についていく。
事の流れにあっけにとられてアレンがしばらく教会の庭でぽかんと口を開けていると、神父が戻ってきた。
「アレン、これを」神父がアレンに何かを手渡す。アリシアの写真だった。「これを街の掲示板の人探しのところに貼っておきなさい。アリシアの特徴はちゃんと覚えているね?」
「は、はい!」さすがは神父様だとアレンは感心した。
「とはいっても本当に旅人かもしれないけどね」
「そんなまさか」
「アリシアの服、民族衣装のような気はするけど私も見たことのない服だから」
「……親がはやく現れてくれることを祈るばかりです」
「うん、そうだね」
それからアレンは今日の事を話した。偽の"王"の話はもちろんしなかったが。
「では、僕は今日は千年部隊のみんなが歓迎会を開いてくれるというので行ってきます」
「私もそろそろ食事の準備をするよ。今夜はお客さんがきたからね、ささやかながら豪華にしないと」
よろしくお願いしますと頭を下げ、アレンは教会を後にした。
◆
城に戻って警備を夜の部隊に引き継ぎ皆で街の酒場へ着く頃にはすっかり日も暮れていた。
「あらためて! アレンの我が部隊への入隊を祝して!」
「「「「かんぱーい!」」」」
五人分のジョッキがぶつかりあった。照れますね、とアレンは相変わらず頭をかいている。
「イザベラ、あんまり飲み過ぎるなよ。今の乾杯これで四回目だぞ、相当酔ってるな」
「大丈夫だエリック、私は酒には強い」
エリックと呼ばれた男性がやれやれといったように頭を抱える。金色の長髪を後ろで束ね、その風体は貴族のように落ち着きを払っていた。
「エリックはね、イザベラさんの昔からお友達なんだよ」
「そうなんですか……」
マシューと名乗った女の子が話しかけてきた。千年部隊の名付け親である。マシューとは男の名前な気もするが本人はそのあだ名が気に入っているらしい。茶髪のショートヘアの似合う活発そうな人であった。
「アレン君同い年だから本当に嬉しいよ」そういって彼女はジョッキを一気に飲み干す。
「そ、そうなんですか」アレンも困ったように酒に口をつけた。その背中を一人の巨体が叩く。アレンの口から飲んだばかりの酒が飛びだす。
「こら! グスったらなにしてるの!」マシューがあわててテーブルを拭く。
「いやいやあまりにもアレンがお堅いんでな、少し緊張を解いてやろうと」ごめんごめんとグスと呼ばれた大男が悪気なさそうに笑う。
「お酒飲んでるときに背中叩いたらそりゃむせちゃうに決まってるじゃない」
「なんか、すいません……」
「なんでアレン君が謝ってるの! 君も緊張しすぎだよ! バーバラちゃん、アレン君にお酒ついであげて」マシューが呆れたように笑っている。
「ん」アリシアと同じくらいだろうか、バーバラと呼ばれた少女がテーブルの向かいからお酒をついでくれる。
「あ、ありがと」なぜこんな幼い子が部隊にいるのか不思議であったが、みんなごく普通に接するのでアレンもそれに習うことにしている。
バーバラが大きなとんがり帽子の中をごそごそと探り、何かの瓶を取り出した。
「おぉバーバラいいもん持ってんな」グスが俺にも入れてくれよ、と自分のジョッキを前に押し出した。
花びら……?
「アリシアの花びらさ。夜になっても消えないようにした花びらに魔法で味をつけてる。バーバラの手作りで、酒に浮かべるとおいしいよ」
花びらは普段よりさらに透き通っていて、赤やオレンジに薄く光りながら瓶の液体の中を舞っていた。
バーバラが三枚ほど取り出しアレンのジョッキに浮かべる。
「……どうぞ」
「いただきます」ジョッキに鼻を近づける。さわやかな果実のような香りがした。甘い、でも軽やかな甘さだった。程よいタイミングで甘さが引いてアルコールのじんわりとした熱さが舌に心地いい。「おいしい」
アレンの言葉を聞いてバーバラの頬が少し赤く染まる。
「桃とライチのベースにちょっぴり生姜いれてみた。……あとは内緒」
「すごいねバーバラちゃん!」
「そりゃあバーバラはうちのじまんのまほうつか……い……」気が付けばイザベラが机に突っ伏している。
「だから一気に飲むなと言ったのに」エリックが頭を抱える。「まったく、歓迎会だというのにすまないなアレン君」
「イザベラさん飲むといつもこんな調子なんですよね」
イザベラを囲むみんなをみてこの先も頑張ろうとアレンは感じた。
イザベラがつぶれた後も夜はまだまだ長い。