第14話・肉親
前書::文中に出てくるアナフィラキシーとは死にいたる可能性のある重篤な急性アレルギー反応のことをいいます。たとえばハチに刺されて急死する人はハチ毒によるアナフィラキシーショックによるものです。
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長い間医療機関にいるといろいろなことに遭遇する。特に印象深かったことを2話続けて話そうと思う。
ある時、知人の知人(面識なし)から「息子が死んだが相談したいことがある」 という。聞けば私が当時勤務していた病院での話だった。その知人の知人は伝手を頼って私にたどり着いたわけだ。
医療過誤の恐れのある話なんか内心関わりたくなかった。もし裁判するぞという話にでもなったらどう接したらいいのだろう、だから対応に悩んだ。それで忙しいからという理由で断ったら電話で話だけでも聞いてくれ、という。
というわけで電話で話した。相談相手が私しかいない人だったのだろう。実話なので焦点は脚色している。
その人の息子さんが私の勤務していた病院で外来受診後、急死されたのだ。その原因について医師から説明もうけたが腑に落ちない、納得できないという。
息子さんは体調が悪くて初診で内科受診。(成人されていたので1人で受診。電話してきた人はその肉親だ。)診察した医師は精密検査をすすめた。いくつか受けたがそのうちの1つが悪かったのだ。造影剤を使う検査だ。
造影検査で息子さんが急死したという。病院から連絡をうけ母親は仰天する。頑丈な息子が死んだ。しかも病気でもなんでもなく、何かの検査を受けただけで。
医師の説明では造影剤が身体にあわなかったから、という。いかに昔の話だったとはいえ、「不運なことでございました…」 というだけではすまない。謝罪も賠償も何もなかったが、その人はそれを求めずに息子は「どうして死んでしまったのか」 が知りたいだけだという。
そして本当に造影剤を使うだけで死ぬことって多いのかどうかも知りたい、と。
医師の落ち度を追求してやる、とか報復や警察沙汰は考えておられない様子。もしそうだったら私はどちらの味方もできないから断ったと思う。病院の事務を通してカルテ開示を求めてくださいと言ったと思う。
当時は電子カルテはなかったが私はカルテをみれる立場にある。だから造影剤に使うに当たり、問診内容に息子さんのアレルギーのことを書いているか、アナフィラキシーショックをあらかじめ予測できるようにその予備検査をしたかどうかぐらいはいえる。話振りからそれで納得される雰囲気だったしもし病院の手落ちがあったとしても私は病院にもこういう話がありましたが、と報告してその対応を仰ぐつもりだった。
だから「カルテを閲覧させてもらったうえで返答いたしますので息子さんの名前と生年月日を教えてください」 というととたんに「それは困る」 という。
急死した息子さんの名前も生年月日も教えてもらえなかったら、どうにもできない。だが口ぶりは本当に困ったようだ。どうしてだろう?
不思議だったがその人の話を聞いていくうちに。
1、ただ息子の死に納得していないことをそこの病院関係者に話して見たかった。
2、医師の説明に納得できないことをそこの職員の1人に理解してほしかった。
3、息子に手荒な扱いとか誤診したわけじゃないよね? と確認したかった。
だけで私に話を聞いてもらいたかったのだ。
病院側を責めてはいないし、造影剤を使っただけで死んでしまう事例が結構あるという事実をしりたかっただけなのだ。それがわかって私はアナフィラキシーショックの話をわかりやすくした。(医師もしたはずだとは思うが) その人はそれで納得して「話をきいてくれてありがとうございました」 という。
最後の最後であっと思ったのはその人は息子がじつは背中や胸に全身入れ墨を入れておられたことを明かしたのだ。
「私の息子はやんちゃでした。息子は実は(以下は察してください)…というわけなので、私にも立場があるのでこの話は公にはしないつもりなのです。だけど息子は息子ですからね、苦しまなかったとはいえまだ若いのに本当にかわいそうな死にかたでしたので…どうもおじゃましました」
全身への入れ墨、今では若い人も気軽にタトゥーといってささっとワンポイントで気軽に入れてしまうが当時はある象徴みたいだった。(察してください。書き方悪かったら申し訳ない。全身に入れ墨している人はいわゆる怖い人という認識も強いと思うし逆にその効果を狙って入れる人もいると思う) 親としての世間体を気にしておられたのだ。息子さんとは同居でもないしやんちゃがすぎて絶縁していたという。
アナフィラキシーはまれなことだがそれでも決してゼロではない。急死は非常に残念なことだったが、私の説明で少しは納得されたのだろうか、それ以降何も言ってこられてない。
2つめ。
あるおじいちゃんの話。悪性腫瘍だった。高齢だったので進行も遅い、したがって積極的治療はせず経過観察だった。
ある時そのおじいちゃんと2人だけである場所でゆっくりと話をしていたら(こっちがたま~に時間に余裕があるとき患者さんも無意識に察してくれるのか? 治療スタッフの一員として今後の治療に役立つ有意義な情報を何気なくくれたりもする) ある爆弾発言をした。
「わしのこのガンは実は若い時某県にいたときに原爆にやられたせいだと思ってる」
「ええっ??」
おじいさんの年で原爆にあわなくてもガンになる人はいくらでもいる。なのでどうしてこの話をしだしたのだろう。
「わしが●歳のときだ。爆心地中心近くにいた…誰にも言わんでくれ、あんたにだけ言う」
びっくりして聞いてみるとマジで本当に貴重な証言だった。過去我が国で原爆が落ちたのは2県だがかれはたまたまその爆心地にいたのだ。当時の年も計算したらあってるし場所も正確におっしゃった。彼は全然ボケてないのは知っている。頭脳明晰な人だ。
「わしはその瞬間気を失っていてな。気が付いたらまわりには何にもなくて人間の形らしきものが散乱していた。わしの学友はみんな死んでいた。わしだけが生き残っていた。しかも無傷でな。なんで
生き残ったのか今でも不思議に思う」
どこにいたのか聞くとまるまるのぺけぺけだという。(守秘義務のため書かない) その後の数日は、本人も記憶がとんでしまったという。部分的にしか記憶がない。だが部分的に覚えている記憶は地獄絵図だと。その前後やどうやって他の生き残りの人たちのいるところに行ったのかもよく覚えてないという。
で、何十年か後にがんができたのは当時原爆をうけたせいだ、という。(と本人は思っておられた)
その証明ができるなら被爆者手帳ももらえるはず、だから公にしたら無償で治療も受けられる…というとおじいさんは血相を変えていやそうするつもりは今後も絶対ないという。被爆のせいだとは思うが国に賠償とかは求めないという。
不思議に思って「どうして?」と聞くと私が当時○県にいたことは実はみな知らないから、嫁も子も孫も知らない。
「家族にも黙ってるって、なぜ? 」
おじいちゃんは口ごもっていたが私がいや~言いにくかったらいいですよ、とかえすと衝撃の一言。
「わしが被爆者だとわかると孫娘の縁談に差し支えがでる…かもしれない。だと困る」
「えっ」
「原爆の被害はこの目でみたがそれはひどいものだった、しかしそのあとの生き残った被爆者への差別もものすごかった」
この人はいろいろなものを見たらしいが多くは教えてくれない。すぐ終戦になってすぐ他県に行ったという。そこでお嫁さんと知り合い結婚してそのまま住んで今に至るという。そして子供ができ、孫ができ…だけど貴重な体験をしたおじいちゃんの過去は誰も知らないという。
若い時、あの時、あの瞬間に○県のまるまるのぺけぺけにいたことは誰も知らないんだと。
私はどう答えていいやら、相槌をうっていいやら。
そこへきりよく? 誰かが入室してきたのでおじいちゃんは口を閉じた。そして挨拶して別れた。話はそれきりだ。(こんな重いことを書いて傷付く人がいたら本当に申し訳ない。事実だけ淡々と書く)
当方の知人の民俗学者もどきに彼の名前を伏せてこの話をしたら「すごい生き証人じゃないか!!ぜひあわせてくれ」 といってきた。「そのおじいちゃんの住所氏名を教えてくれ、ご自宅まで伺いたい、取材させてくれ」 とまでいう。
だが今までの長い間に誰にも内緒にされていた経過もあるし何よりも守秘義務がある。私を信頼して言ってくれたのに教えられるわけがない。残念がられたがだがこういう話もあった、こういう人もいらした、ということでここに記録だけしておく。
共通しているのは肉親への愛情だ。




