第13話・尊敬できる医師
今回は私の尊敬する医師の話を。
すばらしい医師というのは、なんでもできるということではありません。
謙虚で研究熱心、だが患者の気持ちを常に考えながら治療に当たられているということ。当たり前のことです。大多数の医師がそうだと思う。クローズアップされないだけで。目立たないだけで。
そうでなくなるのは自分で開業して自分の儲けや大勢の従業員の給料や銀行返済がいつも脳裏にこびりついた状態で治療するようになるとヘンな医者になっていく…。
そういった面では自分の給料が最低限保証し、制限ありとはいえ研究費も出る国公立の病院もしくは大学付属病院の医師の方が純粋で治療に没頭できるだけリーチがあるといえる。
(だが功名心あふれて研究優先のあまり患者の気持ちを考えなくなる人も残念ながらいる。もしくは研究費や開発費を負担してくれる製薬会社の意向に沿う研究や都合のよい意見しかいわない医者とかもいる。)
患者は診察の時間だけ忙しい医者の時間を自分のために裂いてくれていると思って簡潔明瞭に自分の知りたい事や聞きたいことをしゃべってください。
(話慣れていない人は何度も同じ話をされますので。超忙しい時はそれでは困る時もありますので)
すると医者はこれからの治療方針と将来起こりえる予後を患者もしくはご家族と相談の上、良い関係を築きつつ短い診察時間や治療時間を共有できます。また看護師や他の医療スタッフとよい交流も保てます。医者と患者の相性も当然あるがよりよい縁があればそれにこしたことはない。
疑問があればすぐ聞けるという雰囲気作りも医療側にとっては義務だと思っている。モンスターな患者は困るがいずれみんないつかは死ぬ身、いつ病気になるやら、事故にあうやら。
いつ医療をする側から受ける側になるかは誰だってわからない。双方の思いやりが必要だと思う。
ただ正直で思いやり深い医者はジレンマというものに陥る。時間はいくらあっても足らないし、患者はいっぱいいるし、やらねばならないことは山積みだし。自分の勉強時間はないし。新人の頃のピュアな気分は薄れてくる。看護師もそうなっていくのは同じ。そうしていくうちに自分ができるのはここまで、と思い切って割り切って働くか、どうせやるならできるだけ儲けようと思うか。それも自由だし人に言うことでもない。患者にだってわからない。
だが私の尊敬する医者はもうちょっと自分の時間があればいいなあっと思いつつ、気になる患者へは毎日顔を出し、外来では愛想よく、多少疲れていても笑顔を出す。それで充分に尊敬に値すると思う。
なおかつ余裕のある人は、日常のルーチンワークをこなしつつ、自分の研究時間もひねり出して論文を出す。そういう人も多いです。
仕事が趣味と言いきれる人はなお上を目指す。彼らの目指すものは何か。誰もが最高の医療を目指すが最高な医療ってなんだろう。
長生きすることだけ人生ではないが、治療を受けるのは日々の日常を苦痛なくこなせるようにしたいからみんな病院に行くのだ。
それを受け入れるヒエラルキーのトップにいるのが医者だ。
その責任は重いが日々黙々とこなしている医者にこそ尊敬するに値する。鳥はそう思っている。
ある退官する医師の最終講義を聞いたとき、私は彼が将来のこの病気はこう治療できるようになるだろうと展開予想を述べたのを聞いた。もう70歳近いのにその目は少年のようにきらきらと輝いている。今後の遺伝子治療の研究の大切さと危うさも訴えられている。
あわせてまだ治療が確立してなかった時代に前衛的ともいえる手法に「いいです。その治療、受けます。私で役立つなら」 とサインして治療に臨みそして亡くなっていった患者たちにも尊敬と感謝を。そうおっしゃられた。
過去を振り返りつつ、将来の医療のより遠くかつ高みをめざして話す彼に長年医療に携わってきた彼の自負と自責と希望を感じて聴講者は全員拍手を惜しまなかった。私も年老いて本当に引退する時は自信をもってそう明言する医療者でありたいと思います。




