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2.旨い話もそうそうない。

 実は今日の夜も「アルバイト」が入っていた。二夜連続である。この業界はどうも景気が良いらしい。

 ただし、先日とは違って、今夜は僕の単騎指名だった。すなわち、大した仕事じゃない、ということなのだろう。なにしろ僕が一人で出来ることといっても、そんなものはほとんど無いのだ。皆無に等しい。同年代の人間に比べて、多少体術の心得があって、拳銃の使い方を習得している程度であって、そういう人間は世代を超えればたくさん存在している。残念ながら、僕の場合は、ただの大学生の割合の方が圧倒的に強い。

 別にこういう依頼は構わない。僕は。

 そう思いながら、ソファの上で寝ころびながら料理のテキストを読んでいる由比を見遣る。

 しかし、彼女は違う。僕の単騎出撃を、とても嫌がる。

 そこにどんな理由があるのか、僕の知るところではなかった。

気遣いから来るのか、心配から来るのか、向上心から来るのか、本能から来るのか。

 彼女の生い立ちを考えれば何となしにその気持ちがわからなくもなかった。それを言葉で確認したことは無いので、実際のところなんていうのは、やはりわからないのだが。

 どうしてごちゃごちゃとこんなことを考えているのかといえば、そこに問題があるからだった。つまり、今日の仕事のことを「言うか、言わないか」。

 言えば、きっと面倒なことになるだろうことは見て取れた。恐らく三時間はねちねちと愚痴を言われ続けるだろう。

 勿論、言わない、という手もある。これは諸刃の剣のようなもので、当たり前だが、ばれたら痛恨の一撃となる。

 天秤にかけてどちらか、ということだ。もちろん、今の僕の心境は後者に思いっきり傾いているのであるが……。

 日が傾いて、赤味がかった光が窓から室内を照らし始めていた。

 椅子から立ち上がってベランダへ向かう。

 最上階の七階だけあって眺めはそこそこ良かった。都会というには烏滸がましいこの街には、これぐらいが丁度良いのだろう。毎月の出費の多くを占めるだけの価値はある。

 これから本格的に夏が始まり、そして、夏が終わる。

 大学三年生などというのは、嫌でも将来のことを突きつけられる。大学というモラトリアムを謳歌していた彼ら、僕たちは、知っていた筈のその事実に、どうしてか突然直面する。するような、気がする。理系と文系でも違いはあるのであろうが。

 どこの研究室へ行くのか。大学院に進学するのか。内部進学するのか、外部進学するのか。就職するのか。ここに残るのか、地元へ帰るのか。結婚はどうするのか。

 きっと、入学当初から入念に準備しているという人間も、三十人に一人は居るだろう。

 そして、入学当初から諦観していたという人間も三百人に一人は居るかもしれない。

 僕はきっと後者の存在なのだろう。

 そこまで考えて、少し反省する。さっき大学からの帰り道に考えていたことを、また考えている。

 違う違う。議題は妹様に許しを請うか、請わないかだ。

 陰鬱な気分になる。腹はとっくに決まっていた。

 僕の気分を落ち込ませる要因はもう一つあった。近頃見る夢である。

 最近ではそのことを口に出してしまうほど僕にストレスを与えていた。

 それがどんな夢なのかと言われると、少し困る。僕はその内容をほとんど覚えていなかった。

 ただし、何かに追われるとか、殴られるとか、殺されるとか。そういった類の悪い夢ではないようだった。

 一人の若い女の子が現れる。そのことだけはぼんやりと覚えていた。

 ……夢見が悪くて、女の子が一人。そう聞くと、一人すぐさま思い浮かぶ女性が文字通り近くに居るわけだが(本人に言えば酷く憤るであろう)、どうも彼女でもない。

 覚えているのはその程度である。夢の内容もわからずにストレスを抱えるというのは滑稽かもしれないが、それが事実であり現実であった。

 夜が怖い。

 そんな子供みたいな感情に、しかし、自分自身は同意的だった。

 だから、基本的に夜に依頼される今のアルバイトは、まさに今の僕にとって好都合でもあった。仕事をしていたら忘れられる。そうして夢さえ見れないほど疲れて、意識を沈めてしまいたい。そのおかげで朝寝坊した挙句、由比に小言を言われる結果になろうとも……。


 依頼主とメールで連絡を取り合いながら、僕は車を運転していた。

 今日の舞台もやはり街の隅っこ、現世から見放されたような寂しげな界隈だ。このような設定は、この仕事のお決まりのようなものだった。

 地価の急落によって開発が中止されてしまった元学園都市。今ではその広大な土地と、途中から手がつけられていない鉄筋が剥き出しの無骨な廃墟が点々とし、夜にはあまり人が寄り付かない。寄り付く理由もない。あくまでも、普通の人にとっては。

 それが好都合な人種も居るということだ。大別するのであれば、僕も好都合な人間の一人だろう。

 指定されていた建物の近くに着く。適当に車を止めて降りると、頭上には満点の星空があった。大人げないと思いつつも、心が躍るのを感じる。

 徒歩でさらに建物に近づく。そんなものがあるのかはわからないが、模範的な廃墟だった。三階建て、コンクリートと鉄筋があらわになり、窓ガラスも割られている。だいぶ大きな建物で、小さな病院のような印象を受ける。一階の正面には、少し大きなガラスの両押し戸があったが、やはりそれも割られていた。

 なにより電灯が無いので、暗く視界が悪い。

 ただ、それも明るい月のおかげか、目が慣れてくればさほど問題ではなかった。

 室内は煩雑としていて、足の踏み場に注意しながら歩みを進める。誰かが勝手に入り込んでいるのか、消火器が転がっていたり、壁には落書きがされていたりと、賑やかなことこの上ない。

 横幅が広くとられている石の階段を昇り、二階へ向かう。

 二階は階段を昇るとすぐ目の前に幾分広いスペースがあった。一階とは違ってそこまでごちゃごちゃとはしていないからなのか、余計に空間を感じる。

 そして、その空間の中心に、蠢く影も確認した。

 どうやら人間が二人居る。一人は床に仰向けに寝ながら、抵抗するかのように身を捩じらせていて、もう一人の人間が、その上に馬乗りになっていた。

 身を潜めて出来るだけ姿を隠す。事前に得ていた情報と状況の合致を判断していく。

 それは聊か儀礼的なものであって、今までその点での問題などは一度も無かった。

 問題は情報の精度ではなくて、もっと自身の恥ずかしいというか、残念な部分を隠すための、まさに儀式そのものなのであった。

 恐怖という感情に打ち勝つための、そんな儀式。

 人を殴ることへの恐怖。人を傷つけることへの恐怖。人に傷つけられる恐怖。

 すぐにでもここから逃げ出してしまいそうな自分の脚を押さえつけるためのその儀式、なのである。

 それは、たとえ目の前で女性が襲われていたとしても変わることは―――

 一際女性の抵抗が激しくなると、男性は女性の衣服を強引に引きちぎった。

「あの、ちょっといいですか」

 そんな声に、男性は心底驚いたように体をびくつかせ、こちらへ振り向いたようだった。

 しかし、それはこっちも同じである。やってしまった。頭に血が上ってしまった。

 もっと冷静に。もっと落ち着いて。覚悟を決めてから。そんな儀式を吹っ飛ばしてしまった。

 男性がこちらを見て何かを叫んでいる。女性に馬乗りなっている姿勢から、すっと立ち上がり、こちらと少し距離を取る。もともとそんなに近くでもなかった距離は、そのために十五メートルくらいはありそうだった。

 一歩づつこちらからその間合いを詰めていく。

「こっちに来るんじゃねぇ!」

 ようやく男性の叫び声が聞き取れた。

 そんな彼の声を無視して歩を進める。床に身を倒しながら、涙を流しながら、何かを懇願するかのような目をしている女性に近づき、後ろ手にテープで固定されていた手を解放する。

 気の毒とは思うが口に張られたテープはそのままにしておいた。声を出されると、面倒である。

「言いたいことは色々とあるかもしれませんが、お話はまたあとでお聞きします。外に出て道路を渡ったあたりの停留所に黒い普通乗用車が止まっていますので、それにお乗りになって待っていて下さい。お飲み物などはご自由にどうぞ」

 足のテープを剥がしながら女性にそう伝える。彼女は少しばかり逡巡しながらも、すぐに階段の方へと走り去っていった。

 男性の方へと振り向く。部屋の中心から離れて窓に近づいたおかげで、その姿がよく見て取れた。

 どこからか取り出したのか、両手でしっかりと握られている大き目なナイフもしっかりと光輝いている。

「――――!」

 相変わらずよく聞き取れない叫び声をあげている。相当混乱しているのだろう。

 そんな彼の狂気じみた罵倒に、心の隅が反応する。怖い、怖い……。

「最初は忠告をしておきます。その後、警告を行います。警告後にもこちらに危害を加えるようでしたら、」

 と、そこで男性がこちらへ突っ込んできた。急に詰められた間合いに右足を半歩下げ、体を捩じらせて反応する。突き出された刃物をすんでのところで避ける。

「……まず武装解除をして下さい。こちらへ投降していただければこちらから暴力を振るうことはありません。話し合いで、」

 ぶん、と耳の近くを切っ先が過ぎていく。

「……それでは、警告へ移ります。このまま抵抗を継続するのであれば、こちらも所定の手段と権利を行使して、鎮圧活動を開始致します。それでもなお、こちらへの抵抗を、」

 今度は足を切りつけるかのように男性の姿勢が落ちる。ただ闇雲に切りつけているわけではないようだ。上、中、下と分散して狙ってきている。

「残念です」

 警告は受け入れられなかった。ここからは実力行使になってしまう。

 心底残念に思う。しかし、この手の仕事で、警告までで話がついたことは今までになかった。

 少し考えれば、互いに最も利益のある都合の良い選択は明確なのであったが、囚人のジレンマのようにそれを選択することができない。ナッシュ均衡を選択できない。

 手に冷や汗をかきながら、切っ先を避けていく。僕の右腹を狙ったであろう直線的な軌跡を避けながら、男性の右手を捕える。そのまま腕を捻り男性の体を床へねじ倒した。

甲高い音を立てて転がるナイフを部屋の隅へ蹴りやって、うめき声をあげる男をうつ伏せにし、さらに右腕を捻りあげていく。

 そうして、あっさりと今日の仕事は山場を越えた。それでもなお、手の汗は引かなかった。

「こちらも仕事ですので……」

 上着のポケットに仕舞ってあったガムテープを使って腕を後ろ手で固定していく。

 その間も男性があまりに激しく抵抗するので、仕方なくガムテープが仕舞ってあったほうとは別のポケットから小さなナイフを取り出した。先ほど男性が持っていたものと比べればおもちゃのようなそれであったが、この状況下で目にした男性は悪くなっていた顔色をさらに悪くさせる。

「やめてくれ、やめて、ほんと、違うんだ!」

 地べたに顔を擦り付けながら、必死に懇願する男性。

 どの口が、言っているんだ?

「ええ、そうですね、僕もこんなことはしたくないです」

 務めて冷静に言葉を発する。恐怖と、そして今ではそれよりも強く自分を支配する怒りを抑えるために。

 段々と月が高く昇ってきていたのか、今ではちょうど二階のこの室内を月明かりが照らしている。

 周囲に何もないからなのか、とても静かな夜だった。

「ですが、先ほどの女性はどう思っていたんでしょうね?」

 その言葉を聞くと男性はまた元気になった。

「まって! 俺じゃねぇ、違う! 聞いてくれ!」

 何が違うだって?

 何を聞けだって?

 チャックのついたビニール袋に入れていたガーゼを取り出し、男性の鼻と口元を覆う。

「話を聞くのは僕の仕事じゃありません」

 そう、それは僕の仕事ではない。

 男性の意識が無くなったことを確認して、背中に担ぎ上げる。

 煩雑とした瓦礫に気を付けながら廃屋を出て、車へと戻る。

 後部座席に、肩を抱いて女性が座っているのが見えた。

 ドアを開けると、彼女は勢いよく顔をあげ、そして、僕の肩でだらんとしている男を見て小さく悲鳴をあげた。

「そ、その人……」

「大丈夫です、生きています。それに、今は薬で寝ていますから、貴方に危害が及ぶことはありません」

 そう言うと女性は安堵の表情を見せた。

「災難でしたね。とりあえずこれから警察へ行きます。この男性を後ろに寝かせたいので、助手席へ移ってもらっても構いませんか? こんな男に膝枕するのも嫌でしょう?」

 若い容姿とはいえ、乱暴されかけていた年上の女性を気遣う方法というのは、僕の人生経験ではよくわからなかったが、そんな手探りの中のジョークに女性はぎこちなく笑って頷いた。心の隅で、ほっとする。救われた、とさえ思った。


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