第一話:電脳侵入
VRW運営管轄の公共エリア。数多く存在するその中でも比較的小さなエリアにある青年がいた。
暗闇に溶けてしまいそうなほど黒い髪を若干長めに伸ばした青年だ。
全身を漆黒のコートで覆い尽くしている。ほとんど暗闇と同化していそうだ。
中性的な美貌を持つ青年は、嬉しくてたまらないと言った様子で網膜に映し出される数字を眺めていた。綺麗な口唇を笑みの形に歪めるその姿はまるで悪魔のように見える。
クレジット:100,762,000 C
所持する金額の大きさに青年は高笑いが出そうになる。
それもこれも、先日受けた運営からの依頼の報酬のおかげだった。
報酬額はまるまる1億。
何の情報を強奪したのかまで知らせない徹底ぶりだったのが気になったが、振り込まれた数字を目にした途端そんな些事はどうでもよくなっていた。
青年の名はレイヴン・ヴェルナリウス。と言っても、青年は幾つもの名前を使うのでそれが本名なのか偽名なのか誰も知らない。ただ、本人は好んでレイヴンの名をよく使っている。
最近は『強奪屋』の異名で名を上げる電脳侵入者だ。
(さて……このクレジットでどうしようか? 蒐集物保管の領域が無くなりつつあったし……とりあえず領域の増設をするかな)
レイヴンの趣味は情報の蒐集だった。
武器、防具、服、装飾品、宝石、物理法則、架空技術。
多種多様な情報を蒐集する。レイヴンが今まで手にしたクレジットのほとんどが、それらに注ぎ込まれている。今回手にした1億の収入も同じ末路を辿るようだ。
レイヴンが1億の運用計画を立てている最中、彼のいるエリアに接続がかかる。
(……こんな時間に、こんな場所に接続するもの好きがいるとはね。邪魔しちゃ悪いし、退散するとしますか)
深夜2時近く。この何も無い空っぽのエリアに接続するもの好きが多少気になったものの、レイヴンは個人所有の電脳へと帰るための準備をする。
「――待ってください。レイヴン・ヴェルナリウス」
空間が若干ブレて現れたのは白いボロ布を纏う人影だった。
頭まですっぽりとボロ布で覆った人影は女性のような高い声でレイヴンを引き止めた。
思わずレイヴンは接続するのを中断してしまう。
「……俺に何か御用かな?」
「『強奪屋』と名高い貴方に、依頼をお願いしたいのです」
レイヴンの形の良い眉がぴくりと跳ねる。
だが金銭的に余裕のある今、レイヴンは依頼を受ける気は無かった。
「悪いね。今はクレジットは潤沢だから依頼を受ける気は無いよ」
「知っています。――元々、クレジットで依頼をお願いする気はありませんでした。聞くところによると……情報蒐集をなさってらっしゃるとか」
意外な一言を聞いてレイヴンは若干ながら驚く。
親しい人間のごく一部しかしらない趣味を、目の前の依頼人が知っていることがレイヴンには意外だった。
「へぇ……現物支給か。それならやってもいいけど。ただ、等価以上でないと認めないよ」
奪う情報と等しいか、それ以上の情報と引き換えに依頼を受ける。
より多くの情報を手に入れたいレイヴンにとっては、クレジットで依頼を受けるよりこちらのほうが好都合だった。
「奪って欲しいのは、ある個人研究所に運び込まれた『完全再生能力』の架空技術情報です」
「再生系統の最上位か……報酬の情報は?」
「これでお願いします」
そう言って差し出されたのは宝石の情報のように見えた。
掲げるようにして持つ依頼人を見て、相手の背が低いことにレイヴンはようやく気づいた。
ボロ布の奥に隠れている素顔は完全に闇に溶け込んでいる。
情報の検分をせずに見つめるレイヴンを不審に思った依頼人は声をかける。
「あの……私が何か?」
「いや、なんでそんな格好なのかなーって思ってね」
「――趣味です」
「……そうですか」
返答の前に出来た間で依頼人が怒りの感情を抱いたことを察知する。
野暮なことを聞いたとレイヴンは反省しながら情報をじっくり観察する。
それは球状をした銀色の宝石だった。金属のような色を持っているのに宝石だと感じさせるもの。
特別な力は何も無いように見えるそれをレイヴンは興味深そうに観察し続ける。
やがて感心したような声を漏らしたレイヴンの表情は嬉々としていた。
「ふむ、特別な何かは無いようだが……不思議と惹かれる宝石だ。何処でこれを?」
「……黙秘します」
「そうか。――これを報酬として受け取ることでいいんだな?」
「はい。ですが、条件があります」
「……聞こうか」
嫌な予感を押し殺しながらレイヴンは静かに聞く。
依頼人が出した条件は、思いもよらぬものだった。
「今からすぐに、ここから不正侵入してもらいます」
「――はぁ? あのな……無茶に決まってるだろうが」
呆れて物も言えないという様子でレイヴンは苛立たしげに髪をかきあげる。
だが、依頼人はまたも予想外な一言を発した。
「既に接続地点の特定は済んでいます。あとは目標の地点データも準備しています。――まだ何か必要でしょうか」
「………………」
今度こそレイヴンは言葉も出なかった。
接続地点の割り出しが済んでいる以上、どんなに腕が悪くても不正侵入することが出来るだろう。だが、そこまでして何故自分を今直ぐに送りたいのか。それだけが気にかかった。
「この依頼を受けてもらえるのであれば、報酬であるこの宝石情報を報酬として先払いさせてもらいます。受諾なさるのであれば、受け取ってください」
「……せめて明日というのはどうかな?」
「却下させてもらいます。選んでください――これを受け取って今すぐに依頼を遂行するか、この情報を諦めて帰るか。……ですが、一つ言わせてもらえば――今を逃せばこの情報は絶対に手に入らないでしょう」
レイヴンには依頼人の言うことがよく理解出来た。
漠然と確信する。今、この時を逃せば、自分は永遠にそれを手に入れることは出来ないと。
そして葛藤する。ほぼ間違い無く罠があるという危険と報酬を秤にかける。
だが、未知の情報という時点で答えは決まったようなものだった。
「オーケー、受けてやろうじゃないか。接続地点を教えてくれ」
レイヴンが銀色をした宝石情報を受け取ってそう言うと、依頼人は安堵と共に失礼な言葉を吐いた。
「ふぅ……てっきり持ち逃げするつもりなのかと思いました」
レイヴンのこめかみに若干の血管が浮き出る。
イライラした様子で口を開く。
「俺にだってプライドくらいある。――強奪するのは仕事のときだけだ」
「流石は『強奪屋』と言っておきますね」
「うるさいよ。ほら、とっとと教えろ。『完全再生能力』の架空技術情報を奪ってくればいいんだろう?」
「えぇ。絶対に奪ってきてください。頼みますよ?」
「あぁ、任せてくれ」
そう言うと同時に網膜に接続地点が投影される。
アガツマ個人研究所の最奥部直通。ますます怪しいが今はとやかく言う場面ではない。
(どうせバックアップは取ってる。罠なら罠で、腹括ってやろうじゃないか)
覚悟を決めて不正接続する。――問題は無さそうだ。
「電脳侵入」
視界が歪み、世界が輪郭を失った。