第九話 調べましょう
「うう、沁みるぅ」
璃晴はたまらないといった様子で顔を和ませ、卵焼きに手を伸ばした。
「この卵焼きもふわっふわで絶品。お醤油たらすと、ご飯が進むわ!」
早くもおかわりをよそっている璃晴を見て、香織は笑った。
「よかった。すっかり体調も良さそうですね」
「うん。もう大丈夫。でもあたし、実際に具合が悪くなって確信したわ」
「何をです?」
「これは絶対に『王家の呪い』なんかじゃない」
璃晴は卵焼きにお醤油をたらして、湯気上がる白飯の上に載せてじっと見つめた。
「誰かが『王家の呪い』のせいにして、毒をばら撒いているのよ」
「あの……昨日から思っていたんですが、『王家の呪い』って何なんですか?」
「後宮に伝わる伝説よ。とある王と妃の悲恋物語。身分の低い女が後宮の秩序を乱すとき、呪いが発動するって言い伝え。今回、あんたが後宮へ来るのと同時に、次々に侍女や女官が倒れているの。皆、原因不明で、病を患っているわけでも怪我をしているわけでもない。これは『王家の呪い』にちがいない、って話になったわけ」
「そうだったんですね。確かに、それならわたしが疑われても仕方ないかも……」
「あんたって、つくづく変わってるわね。そこは納得するとこじゃないでしょうが」
璃晴が呆れ顔で卵焼きとご飯を次々に口に運んだ。
「納得というか、時期が一致しているなと思って。ただ、『王家の呪い』が後宮に伝わる伝説が元なら、わたしは王の妃ではないので変ですよね」
「そう。冷静に考えればそうなのよ」
お味噌汁を飲み干し、ふう、と息をついた璃晴が、きまり悪そうに香織から視線を逸らした。
「でも、このあたしだって最初は次々と人が倒れていくのを見て『王家の呪い』だって信じちゃったんだけどね」
そんな璃晴の様子を見て、香織はお茶を淹れながら言った。
「昨日、璃晴さんはわたしに『王家の呪い』を一緒に解決してくれって言いましたよね。でも璃晴さんは、これは呪いなんかじゃないって思ったんですよね」
「そうよ。ただの体調不良よ。でも、まったく原因がわからないの。だから、絶対誰かが毒をばら撒いているんだわ。それを全部、新参者のあんたのせいにしようとしているのよ。卑怯よ。許せないわ」
鼻息荒く璃晴は言う。香織は微笑んだ。
「璃晴さんて、良い人なんですね」
「あ、あたしが?!」
「わたしのこと、気遣ってくださってるんですよね」
璃晴の顔が真っ赤になった。
「ち、ちがうわよっ! あんたのためじゃなくて佳蓮様のためだって言ったでしょっ! こんな卑怯なことが紫蓮宮で起きているって知ったら、佳蓮様がどんなに悲しむか」
確かに、それはそうだろうと香織も思う。
佳蓮は正義感が強い。自分の宮でこのような不可解な事件が起きていると知ったら、怒ったり悲しんだり、大変なことになるだろう。
その様子を想像しただけでも香織は心が痛んだ。
「調べましょう」
「へ?」
「次々と人が倒れる原因を調べるんです。毒かどうかも含めて」
「う、うん。でも……実はあたし、どうやったいいのか見当もつかないわ」
頼り無げに視線を彷徨わせた璃晴に、香織はにっこりした。
「大丈夫です。わたしに考えがあります」
♢
「背筋を伸ばして! 肩を張って! 盥がぐらついておりますよ!」
今日も公主教育は続く。
水を張った大きな盥を頭の上に載せる。昨日、盥を乗せていた場所はうっすら腫れていたので、今日は盥を乗せるのが一層辛かった。
しかしぐらつけば水がこぼれて絨毯や衣装を濡らしてしまう。
女官や侍女たちに迷惑がかかるので、それは避けたいと必死に痛みをこらえ、香織はぐっと腹に力を入れて立つ。
姿勢を保ったところで、部屋の隅をちら、と見る。
そこには女官が一人。璃晴ではない。
(璃晴さん、うまく抜けられたのね)
また誰かが具合が悪くなるといけないので、今日の公主教育はできるだけ少人数で――そう、香織は玲栞に申し出ていた。
玲栞は一瞬嫌な顔をしたが、結局は香織の意見を聞き入れてくれたようだ。
そして璃晴には、この時間にいくつかのことを調べてほしいと伝えてあった。
(同時期に多くの人が倒れるには、何か原因があるはず。毒の可能性もあるけど、それだけじゃない気もする)
後宮にきて香織は気になっていたことがある。
女官や侍女たちが、なんだか元気がない。
そのことが今回のことと何か関係しているのではと直感が訴えている。
「香織様! 腰が引けておりますぞ! 水がこぼれてしまいます!」
「っ!」
びしっ、と痛い音が響いた。じーんとする痛みに香織は思わず顔をしかめる。玲栞は大振りの木笏を持っていて、ちょっとでも香織の姿勢がずれると打ってくるのだ。
「昨日と同じだと、貼り合いがありませぬかなぁ? 香織様は見かけによらず、強い性格と見ゆる」
意地の悪い笑みを浮かべた玲栞が女官に視線を向けると、女官が椅子と水差しを持ってきて、香織の横に立った。
「さあ水を足せ。香織様が満足されるように、な?」
玲栞に指示された女官が、水差しを傾けようとしたときだった。
「あらあら、玲栞様。それは少し厳しいなさりようではありませんか」
柔らかい声と共に、女官が入ってきた。
紺色の絹襦裙や刺繍入りの帯は玲栞と同じく女官の中でも高い地位にあることを示す。女官を二人従えていた。
玲栞は舌打ちでもしそうな表情で相手を睨んだ。
「……紫珠殿か。何用か。見ての通り、今は手が離せぬのだが」
(この人が、璃晴さんの言っていた紫珠様なのね)
香織は室内に進んできた紺色の襦裙姿を見る。色が白く、小づくりに整った顔立ちは柔らかく、絵の中の仙女を思わせる。
険しい顔を一層険しくした玲栞に物怖じもせず、紫珠は微笑んだ。
「それは失礼しました。わたくし、香織様にお目にかかりたくて参りましたの」
柔らかい微笑みと目が合う。香織は目を瞬いた。
「わたし、ですか?」
「はい」
紫珠は、盥を頭上に載せたまま立っている香織の前で深く拱手した。
「改めまして、わたくし、尚儀局尚儀、紫珠と申します。術師様と香織様の婚礼の儀を担当させていただきます」
「なっ……紫珠! 公主教育が終わるまで待てと申したではないか!」
「ええ、存じておりますわ。でも、今朝方、内侍官よりこれが」
紫珠は懐から良質そうな料紙を取り出し、玲栞に恭しく差し出す。
乱暴にそれを開いた玲栞が顔色を変えた。
「王からの勅令……」
「急ぎ、術師と公主・香織の婚礼支度を進めよ、とのことですわ。おわかりいただけました? わたくしども尚儀局としては、動かないわけにはまいりませんので」
困ったような笑みの紫珠が傍らの女官たちに頷くと、女官が二人がかりで香織の頭上の盥をそっと床に下ろした。
「何をする! 勝手なことを!」
「申し訳ございません。これも王命ですのでご容赦を。さ、香織様」
顔を真っ赤にして怒りに震える玲栞を前に、何事もなかったかのように優雅に微笑む紫珠に促され、香織は呆然と部屋を出た。




