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第三話 『おしのび』の許可、下りました!



 せめて庭院の花に水をあげさせてほしいと頼みこむと「少しだけでございますよ」と女官たちはしぶしぶ柄杓と水桶を渡してくれた。

 香織は庭院へ出て、柄杓で水をかけたり灼けた葉や花弁を摘んで芍薬の手入れをした。


「見事ねえ」

 思わずうっとりしてしまう。咲き誇る芍薬は迷宮を作るように乱れ咲き、庭院を埋めつくさんばかりだ。


「宮の名に冠されるだけあるわ。とっても綺麗」

 大輪の花の間をそうっと静かに歩く。うっかり花を散らすことがあってはいけないとゆっくりした動作で水桶に手を伸ばしたとき、大きな手がひょいと水桶を持ち上げた。

「やっと見つけました」

 芍薬の影から、ひょっこりと出てきた官服の長身姿は。


「鴻樹様!」


 本来、王の私的空間である内廷やその最奥にある後宮は男性厳禁だが、宦官と王の許可を得た護衛や側近は出入りができる。


「庭院にいらっしゃると聞いたのに気配がないのでお探ししましたよ。なぜそんなに忍び足で?」

「だって、さかさか歩くと花にあたって傷付けてしまいそうなので」

 鴻樹は目を丸くして笑った。

「香織様らしい。そのお優しさに女官たちは半泣きでしたが」

「えっ?」

「香織様が働きたがるので畏れ多いと」


 鴻樹は宰相だが物腰も柔らかく気安いので、女官たちは鴻樹がやってくると喜んでいろいろな話をするようだ。


「あはは……皆さんを困らせたくはないのですが、どうしても動きたくなる性分で」


 殿舎の近くまで戻ってくると、白玉晶はくぎょくしょう四阿あずまやで数人の女官が茶の用意をしていた。


「せっかくですので香織様とお茶をいただこうと思いまして」


 さりげなく人払いをした鴻樹に香織は従った。話があるのだろう。

 女官たちが去っていくのを待って鴻樹が言った。


「おそうざい食堂の厨に立つ件、各方面の手配ができましたよ」

「本当ですか?! じゃあ」

「ええ。西の広場の整備が終わり次第、おそうざい食堂も再開します。それを機に『おしのび』を始めてはいかがですか?」


 王城へ入る前に鴻樹に頼んだのだ。

 王城に入った後もおそうざい食堂に通わせてほしい、と。

 毎日少しの時間でいい。おそうざい食堂の厨で料理を作ってお腹を空かせた人々に喜んでもらいたい、食べてくれる人々のうれしそうな顔が少しでも見たい、と。

 一国の王女、しかも蔡術師の花嫁という立場で頻繁に城下へ行くことがどれほど難しいかは香織も理解していた。もしかしたら無理かもしれない、と覚悟もしていた。

 しかしその願いを叶えるべく、鴻樹は奔走してくれたらしい。


「ありがとうございます!」

「香織様の料理は国同士の和平にも一役買えるほどのものですから」


 鴻樹は微笑む。芭帝国との会談で、物流と商人の安全確保を訴えるために会談の場で香織が料理を提供し、それが多大なる功を奏したことは記憶に新しい。


「おそうざい食堂は、もはや建安になくてはならない食堂です。おそうざい食堂に通っていた人々には現在、西の広場の炊き出しを利用してもらっていますが、おそうざい食堂の早期再開を求める声が多いんです」

「そうなんですか?!」


 つい顔が緩んでしまう。人々がおそうざい食堂で食べたい、と思ってくれることがこんなにもうれしいなんて。


「もちろん心配なこともありますし、御身分柄、我慢していただくこともあるでしょう。それはご了承願えますか?」

「それはもちろんです!」


 身を乗り出した香織に、鴻樹は大きく頷いた。


「ならば何も問題ありません。商人が建安へ戻りつつある中、西の広場の整備と共に食堂の厨にもさらなる整備や席の増加を施し、万全を期して再開できるようにしてあります。あとは香織様が存分に料理の腕をふるっていただければ」

「何から何まで、本当にありがとうございます。鴻樹様には何とお礼を申し上げていいか……」

「あはは、御礼なんていりませんよ。あっでも強いて言えば、私おにぎりが大好きでして。特にあの、昆布の佃煮が入ったやつとマニ族の塩で握ったやつがもうたまらなくてですね。考えただけで涎が……あっ、失礼しましたっ、つい心の声がダダ漏れに!」


 珍しくあたふたする鴻樹。香織は驚き、すぐに弾けるように笑った。


「なんだ、そんなことでしたらすぐに言ってくれればいいのに! 今すぐにでも作ってまいりますよ!」

 立ち上がりかけた香織を鴻樹があわてて制する。


「ちょ、あのっ、もう少しここにいていただきたいというか」

「?」

「お引止めするように頼まれていまして……ていうか遅いな! 仕事の段取りはして差し上げたはずなんだが――」


 そのとき、殿舎の彼方から黄色い悲鳴が上がった。

「佳蓮様が戻ってこられたのかしら……?」

 つい先刻のことを思い出すが、先刻よりも騒ぎが大きい。それに乙が準備万端だと言った以上、忘れ物で戻ってくるとは考えにくい。

 王であれば、静粛なはず。騒ぐのは不敬だからだ。


「もしかして……」


 こちらに移動してくる黄色い歓声の中心にいる人は。


「どうやらいらっしゃったようですね」

 鴻樹が腰を上げたとき。



「香織!!」

 懐かしいとすら思えるほど久しぶりに感じる、その声は。

 女官たちが去り、現れたその長身は。


「耀藍様……!」

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