第二話 佳蓮、旅立つ
「耀藍に恨まれるぞ。香織に会えない会えないって毎日泣きごと言われてけっこう鬱陶しいんだ」
「まあっ、耀藍様ったら贅沢ですわ! この先ずっと私邸で香織と暮らせるのに、今くらいあたくしに譲ってくださってもよろしいじゃありませんこと?!」
「じゃあ君は香織と期間限定で一緒に暮らせたら今回の旅を諦めてくれるのかい?」
そこで佳蓮は我に返ったようにハッとした。
「そうですわ! こうしてはいられません! あたくしは香織と耀藍様に最高の結婚祝いを持ち帰るのですわ!」
「何も異国まで行かなくても……二人の結婚式には君も出席するんだよ?」
「もちろんですわ! その御式で誰よりも素晴らしい結婚祝いを披露するのはあたくしですわ!」
「ぜんぜん余の話聞いてないよね……?」
そのとき野ネズミのような女官が入ってきた。亮賢の姿を見て跪拝する。
「王、ご機嫌麗しゅう。佳蓮様、万事準備整いましてございます!」
「ご苦労様、乙。ちょうどお兄様と香織に見送りをしてもらっていたの」
「いや見送りっていうか、どっちかというと止めていたんだけど? ねえ香織」
話を振られて香織は言葉に詰まってしまう。
佳蓮の気持ちは嬉しいが、彼女が異国へ行くことに関しては心配が尽きない。
「佳蓮様、お気持ちはとても嬉しいですが、それだけで充分というか……芭帝国の内乱も収束に向かっているとはいえ、その余波は周辺諸国にまだ及んでいると聞きます。わたしは佳蓮様と乙さんの身が心配です」
行かないでください、という願いをソフトに訴えたつもりだったが、佳蓮は恍惚とした表情でわなないた。
「んまああああ!! 聞いた?! 乙!」
「はいっ、お聞きしましたとも!」
「我が妹はなんて謙虚で純粋で優しいの?!」
「素晴らしい妹君であらせられますとも!」
「これはもうたとえ火の中水の中に入ろうとも最高の御祝いの品を手に入れてくるしかありませんわ!!」
「どこまでも御供いたします!!」
佳蓮は武人風の衣の裾をさっと翻し、拱手した。
「ではお兄様、いってまいります。あたくし人生初の海を見てまいりますわ!!」
げんなりした顔の亮賢など気にも留めず、佳蓮は香織の手をしっかりと握る。
「香織の顔がしばらく見れないのはさみしいけど、しばし我慢しますわ! 必ず世界一の結婚祝いを手に入れて戻ってきますわね!」
「は、はい……あの、佳蓮様、どうかお気を付けて」
勢いに呑まれてしまってそれだけ言うのが精いっぱいだったが、勇んで小走りに出ていった佳蓮に香織の言葉が届いたかどうかはわからない。
「あの、亮賢様。佳蓮様は海のある国へ行かれたのですか?」
「まったく、どんな結婚祝いを手に入れるつもりなんだか……どうやら蓬莱国へ行くつもりらしいよ」
「蓬莱国とは、大陸の東にある国でしたね」
呉陽国の東にある海に面した小国、それが蓬莱国だ。
芍薬宮の応接室に掛けられた地図で見たことがある。かつお節や昆布などの海産物がくるという東峰国の南にあったのでよく覚えていた。
「佳蓮様の御気持はとても嬉しいのですが、申し訳ないし心配で……大丈夫でしょうか?」
「言い出したら聞かないからねえ」
亮賢は苦笑したが、励ますように香織の肩をたたいた。
呉陽国の王であり、ともすれば妃嬪かと見紛うほど綺麗なこの青年が自分の兄だというのは、いまだ実感がない。
「まあ、ああ見えてかなり剣は使えるからね。乙も護衛もいるし、大丈夫だと思う。香織は何も気にせず花嫁準備をしつつ、吉日の報を待っていてくれ」
♢
「あら?」
準備された馬車の傍に、見覚えのある女官が控えていた。
「玲栞、見送りにきてくれたの?」
「もちろんでございます。佳蓮様、道中くれぐれもお気を付けあそばしませ」
玲栞は深々と頭を下げてから、敬愛する公主に微笑みかけた。
「ところで佳蓮様。佳蓮様の御留守の間、紫蓮宮を香織様に使っていただいてはいかがでしょう?」
「あたくしの宮を? もちろんかまわないけど、どうして?」
「さしでがましいようですが、香織様は公主教育を受けられた方がよろしいかと存じます。いずれ後宮の中は王の妃嬪で賑わいましょう。そのときに、香織様が恥ずかしい思いをなされないためにはお嫁入前の今が好機ですわ」
後宮ではさまざまな行事や日々の社交がある。妃嬪は基本、お妃教育を受けた貴族の子女ばかりだから、彼女たちと対等に付き合うには教養や作法を学ぶ必要がある。
「確かにそうね……香織が軽んじられるのはあたくしも嫌だわ!」
「左様にございましょう。尚宮であり紫蓮宮女官長でもある私めが公主教育の御準備を整えさせていただきますわ」
「さすがね玲栞! それは心強いわ!」
「紫蓮宮で学ばれれば、佳蓮様の御道具類をお使いになることになりますし、姉妹の絆も深まるのではございませんか?」
「姉妹の絆が深まる……? それは良い考えですわ! 是非そうしてちょうだい!」
佳蓮は懐から手のひらほどの金板を取り出し、玲栞に渡した。
蓮の花が見事に意匠された美しいそれは殿舎の鍵。これを所持する者がその殿舎の一切の権限を持つことを意味する。
「あたくしの留守中、香織のことを頼むわね!」
「御意に」
恭しく鍵を受け取った玲栞の手を、佳蓮が両掌で包む。
「香織には紫蓮宮の中で自由に、何でも好きに使ってもらってかまわないわ! ああっ、そうだわ、褥などはあたくしが帰るまで取り換えずにそのままにしておいてちょうだいね?」
「……は?」
「あとお化粧道具とかも香織が使った物はそのままの状態で保存しておいてちょうだい! 茶器とかもなるべく洗わないでほしいわっ!」
なんだかおかしなことを言い出している佳蓮だが、そこは敬愛する公主のことなので玲栞としては真面目に受け応える。
「佳蓮様、おそれながらさすがに茶器は洗うかと」
「うーん、ま、仕方ないわね! とにかく香織が心地よく過ごせるよう取り計らってちょうだい!」
「かしこまりました」
玲栞は垂れた頭の下で口の端を上げた。
「紫蓮宮の中にて、大切に大切に御教育申し上げますわ」




