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第9話 譫言

コロニーの西端に位置する、古めかしくも厳かな寺院。

そこは単なる宗教施設ではなかった。

傷病者の治療から孤児院の運営に至るまで、コロニーを支える欠かせぬ存在であった。


寺院に併設された、孤児院として使われている建屋の一室。

窓から注ぐ柔らかな夕陽の光の中、ソファに腰を下ろし、小さな足を前後に揺らしているのは、亜麻色の髪を腰まで伸ばした少女。

その翡翠の瞳はどこにも定まらず、ただ思いを巡らせていた。


少女──陽菜の心に浮かぶのは、地下鉄へ向かった涼花のこと。

彼女の実力は知っているが、今回は特に危険な任務と聞いている。

心配は拭えなかった。


──そろそろ、戻ってくる頃だろうか。

約束をしている訳では無いが、彼女が仕事から帰る日には一緒に夕飯を食べることが多かった。

今日も家を訪ねてみようか、そんな事を考えながら帰りを待つ。


その向かいには、栗色の髪を揃えた二人の姉弟──遥と湊が座っていた。

いつものように物思いに沈む幼馴染の姿に、二人はあきれたような視線を交わす。


「……なぁ、陽菜。やっぱり一緒に来ないか?」


不意に放たれた湊の言葉に、陽菜はぱちりと瞬きをした。


「……?どこにですか?」

「どこって……訓練所だよ。やっぱり一緒にハンターやろうぜ」


陽菜の目がわずかに見開かれる。

涼花に話をねだっては困らせてきた陽菜だ。ハンター興味がないといえば嘘になる。

しかし、幼馴染の提案にはどうしてか心を惹かれない、そんな自分が不思議であった。


「急に言われても……そもそも、私じゃ足手まといですよ」

「そんなことないって。昔はよく一緒に剣の練習してただろ?陽菜ならすぐ1人前になれるって」


湊はいつもの調子であっけらかんと言ってのける。


「大袈裟ですよ」

「ううん、私も湊と同じ意見だわ。せっかく才能があるのに、勿体ないもの」

「遥まで……」


確かに陽菜は、ハンターになることを目標に、二人と一緒に剣の訓練をしていた時期がある。

自慢ではないが、昔から器用なほうではあったので、今でも人並み以上には剣を振ることができる筈だ。


「うーん……でも、寺院の仕事に穴を開ける訳にも行きませんから」


断る理由の全てではないが、これも嘘ではなかった。

この寺院は、三人が共に育った家のような場所だ。

今では湊と遥は寺院を出てギルドに入り、陽菜だけがここに残っている。

代わりの人手がまったくないわけではない。しかし育ててもらった恩を思えば、簡単に投げ出せるものでもなかった。


「まあ、無理にとは言わないけどさ」


でも──と遥は続ける。


「陽菜の人生なんだから。やりたいことやらなきゃ、もったいないわ」

「やりたいこと……」


陽菜は小さく呟き、視線を落とす。

先日、涼花にも同じような事を言われた。

けれど、その涼花は、陽菜がハンターになることを望んでいない。

彼女の願いを裏切ってまで、自分は剣を握りたいのだろうか。


昔と違って食べる物にはそこまで困らず、寺院の仕事があって、たまに涼花の元へ行き世話を焼く日々。

無気力に生きていた昔に比べて、ずっとずっと満たされた日々だ。

これ以上を望むのは傲慢と言えるのではないか。


再び思考の海に潜った陽菜。再び部屋に沈黙が落ちる。

──しかしその沈黙は、すぐに慌ただしい足音に破られた。


「陽菜ちゃん、すぐ来て!急患よ!」


扉が勢いよく開かれ、巫女服の少女が息を切らして飛び込んでくる。

その声に、陽菜の瞳が途端に真剣な色を帯びた。


§


大慌てで部屋に駆け込んできた先輩の後を追い、陽菜が向かったのは治療室。

そこには、全身を血に染めた焦茶の髪の女がベッドに横たえられていた。


慌てて駆け寄り、その身に刻まれた無数の傷に目を走らせる。

裂傷、擦過傷、どれも深くはない。だが、最も深刻なのは左腕だった。

──いや、正確には、左腕がない。その肩から先は失われていた。


端正な顔を恐怖に歪ませた女は、虚ろな瞳を天井へ向け、譫言のような言葉を繰り返している。


「僕のせいだ……」

「大丈夫ですか?意識はありますか?」


陽菜の問いかけにも、彼女の目は焦点を結ばず、ただ虚空を見つめている。

相当な地獄を見たのだろう。完全に呑まれている様子であった。


「皆死んだ……僕が、弱いから……」


だが、返答を待つ時間はない。陽菜は迷わず治療の準備に取りかかった。


「鎧を外しますね。痛んだら教えてください」

「──ああああ痛いっ! 痛い、痛い、痛い!」


鎧を外し服を脱がすと、そこには白いサラシが巻かれていた。

大きな胸を隠すようにキツく巻き付けられたそれに一瞬意識が行くが、すぐに気を取り直し、改めて容態を確認する。

傷は身体のあちこちにあったが、深いものはほとんどない。

やはり、最も優先すべきは左腕だ。

応急処置はされていたが、このままでは命にかかわる。


「まずは傷を洗います。かなり痛みますが、耐えてくださいね」

「あの女も、死んだ……やっと死んだ、あいつ……!」


女は譫言を繰り返していたが、陽菜は迷わず措置を進める。

次は、通常であれば切断面の整形──しかしこの患者の場合は別だ。

整形の必要がないほど、驚くほど滑らかな切断面。

どれほど鋭利な刃物で切断したのか、陽菜には想像もつかなかった。


次は一番の難所──焼灼処置だ。患者の体をベッドに固定し、先輩が準備していた焼きごてを受け取る。


「焼灼処置をしますね。少しの間、我慢してください」


患者の反応がないことを確認し、陽菜は覚悟を決める。

そして、真っ赤になった焼きごてを患部へと押し当てた。

肉の焼ける音ともに、鼻につく焦げた臭いがあたりに充満する。

あまりの激痛に、患者は獣のような叫び声をあげ、全身を仰け反らせた。


煙が収まると、処置を終えた患部があらわになる。

熱で縮み、赤黒く炭化した皮膚が酷く痛々しい。

あたりには肉の焼ける独特な臭いが未だ残っている。

こればかりは、何度経験しても慣れなかった。


処置を終えた女を、そっと清潔なベッドに移す。

目に見える傷こそ癒えたものの、彼女の目は依然として虚ろなままだ。


「ひとまず、処置は完了しました。先輩、報告に行くので、少しお願いします」


女は相変わらず呻き続け、問いかけにも応じる様子はない。

仕方なく先輩に患者を預け、先生へ報告に向かう。

基本的に腕を認められて任されていたが、流石にこれだけの重症となると報告しない訳にはいかなかった。

だが、部屋を出る直前、思いがけない──致命的な言葉が陽菜の耳に届く。


「エレナさん、あの女はもういません……これからは、私と……」


思考が、一瞬で真っ白になる。気がついたときには、すでに走り出していた。

治療室の外で待っていた遥が、勢いよく飛び出してきた陽菜に目を丸くする。


「ちょ、陽菜!?」

「すみません、処置は終わってます!先生への報告、お願いします!」


陽菜の脳裏に女の譫言がこだまする。“あの女”とは、誰のことか。確証などない。

だが、胸に広がる嫌な予感が、理屈を超えて陽菜の背を押していた。


寺院を飛び出し、やがて息を切らしながら、コロニーの南端に位置する城門にたどり着く。

涼花が向かった場所は知っていた。ここからそう遠くない地下鉄の廃駅だ。

あたりに同行を依頼できそうなハンターがいないか見渡すが、時間が惜しい。


単身で向かうことも考えたその時──血濡れのまま呆然と立ち尽くす、桃色の髪の少女を見つけた。

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