第8話 衝突
三十分ほど進み、一駅を通過したあたり。
既に五度ほどオークの群れと遭遇していたが、一行に大きな負傷はなかった。
大盾を軽々と操る花田は、攻撃を引き受けるだけにとどまらず、その質量を生かした押し潰しや、盾による叩きつけなど、大柄な図体に反して器用に戦いを進めていく。
彼が作った隙を逃さず、敵の大半を討ち取るのは藤堂だった。
黄金の騎士剣で攻撃をいなし、返す一太刀で確実に仕留める、卓越した剣技。
ギルドの中でも精鋭を選んだというエレナの言葉に偽りはなかったらしい。
その後ろを涼花が固めれば、一行が押されることはなかった。
「一匹抜けたぞ!」
藤堂の声とともに、一匹のオークが前衛を抜ける。
「私が出る」
返事と同時に、涼花は走り出していた。
迫るオークは、自らの倍近い体躯を活かし、その小柄な影を叩き潰そうと拳を振り下ろす。
しかし振り下ろされる拳よりも更に速く、その懐へと滑り込む。
巨体の拳が頭上をかすめ、空を裂く──致命的な隙。
すかさずその腹部を刀で貫く。
魔物とはいえ、オークの身体構造は人間とそう変わらない。
刀を引き抜けば、肝臓を貫かれ急速に血を失ったオークは、大きく痙攣し崩れ落ちた。
「わーっ、やっぱりすごいですっ!」
「大袈裟だよ、桃華」
涼花は刀についた血を振り払う。その身には、返り血一つもない。
一応パーカーを羽織っていたが、豚の血で服が汚れるのは御免だった。
「いえ、桃華さんの仰る通りです。勝手ながら随分と軽装な事を心配していたんですが……まったくの杞憂でしたね」
「強いだけじゃなくて、戦い方まで芸術的!これはもう、最強ですよ!」
綾乃と桃華が手放しで称賛する。はしゃぐ二人の様子に、涼花は顔を背けた。
「ふふ、照れてるんですか?」
「しかも可愛いなんて、もう無敵ですね!」
「……うるさい。ふざけてないで、先行くよ」
足早に歩き出す涼花。その背を追いかけるように、桃華と綾乃が笑い声を弾ませる。
藤堂はその様子を黙って見つめる。その瞳にはどこか影が差していた。
§
進むごとにオークはその数を増していき、討伐した数は優に百を超えていた。
想定よりも事態は深刻だった。これだけの数のオークが地上に溢れ出した場合、コロニーまで被害が及ぶ可能性がある。
これまで地下で大人しくしてくれていたのは、幸運としか言いようがない。
流石に進み続けることはできず、一行はふたつ目の駅で小休止を取っていた。
地上に繋がる階段の吹き抜けから、弱々しい陽の光が差し込んでいる。
「流石に数が多いな……」
壁際に腰を下ろした藤堂が、荒い息をつく。
最も多くの敵と刃を交えた彼女の声には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。
その鎧はオークの返り血と傷で汚れ、肌の見える箇所には痛々しい擦過傷が走っている。
物資を確認していた綾乃が手を止め、心配そうに藤堂を見やった。
「魔素もかなり濃くなってきましたし、ここらが潮時でしょうか?」
「いや、あと一駅は行ける。もう少し休んだら出発しよう」
「でも、かなり傷も多いですし……」
綾乃がその身を案じるが、藤堂は静かに首を振った。それはどこか頑なな様子であった。
「ここからは私が前に出ようか?」
そう提案した涼花の声音に、疲労の色はない。
戦闘の機会が藤堂より少なかったという事もあるが、何より大きいのは、二人の戦い方の違いにあった。
相手の攻撃をいなし堅実に押し返す藤堂に対し、涼花は常に初撃必殺。
いまだ傷一つ負っていないその姿に、藤堂の表情が険しくなる。
「心配はいらない。これしき、どうということはない」
「別に、無理する必要ないでしょ。そもそもこの配置がおかしい」
涼花の言葉に、藤堂の目つきが敵意を帯びた。
ゆっくりと立ち上がり、二人の視線がぶつかる。
「マスターに任されてると言っただろ。この程度の傷で撤退するようじゃ、顔向けできない」
「そんなに見栄張ってどうするの」
これを言えば揉めそうだと、涼花には分かっていた。
だが、藤堂の瞳の奥に宿る、焦りと、嫉妬。爆弾を抱えたままこの先に進むのは御免だった。
「それは、どういう意味だ」
「はぁ……」
こちらを睨みつける藤堂の眼。覚えのあるそれに、吐き気がこみ上げてくる。
姉に幻想を抱き、自らも英雄にならんとする狂信者の眼。
これは、ある種の同族嫌悪だった。
「そんなにエレナの評価が大事かって言ってんの」
そして、藤堂の反応は劇的だった。拳をわななかせ、今にも殴りかかりそうな勢いで声を荒げる。
「お前が……!お前に分かるわけがない!」
桃華が怯えたように後ずさるのが見えた。あたりに張り詰めた沈黙が落ちる。
「落ち着け、二人とも」
沈黙を破ったのは、花田の低い声だった。
「藤堂、呑まれすぎだ。綾乃、飴はあるか」
「はい、あまり数はないですが」
花田は、綾乃から受け取った飴玉を藤堂の口に押し込む。
藤堂は最初こそ軽く抵抗していたが、次第に強張っていた肩から、ゆっくりと力が抜けていく。
飴玉──鎮静作用のある薬剤は、ハンターの必需品であった。
しばらくすれば、ばつの悪い様子で、藤堂は涼花に向き直った。
「すまない、取り乱した……」
「いいけど……とにかく、次からは私も前に出るから。私も、挑発して悪かった」
魔素による精神汚染──その最たる症状である、衝動の増幅。
人によって表出する衝動はそれぞれだったが、藤堂の場合は分かりやすい、英雄願望。
姉のもとで育った涼花に嫉妬の目を向ける者は多く、こうした衝突も一度や二度ではなかった。
ひとまず双方謝罪してこの場は収まったが、涼花は内心で嘆息する。
──やはり、ハンター同士の人間関係なんて、ろくなもんじゃない。
今さらながら、今回の仕事を引き受けたことを後悔する。
どうして同行を許してしまったのか。今更、何に期待しているのか。
皆で仲良く魔物退治なんて、自分に上手くやれるわけがなかったのに。
こうして誰かと衝突するたびに、あらゆるしがらみとか、人間関係、そういった全てから足を洗ってしまいたい衝動に駆られる。
一人が好きな訳ではなかったが、誰かに嫌われるよりは幾分かマシだった。
思考が良くない方向に向かっていることを自覚し、懐から飴玉を取り出す。
八つ当たりのように噛み砕けば、わざとらしい甘味が口内に広がった。
心を無に、頭の中を空っぽにするよう努める。
飽き飽きとしたその味もいつものこと。こうして衝突が起きるのもいつものこと。
あと一駅分進んで帰るだけだと、自分に言い聞かせる。
そうして歩みを再開した一行。
その先には深い暗闇が大口を開けて待ち構えていた。




