第5話 日常
商店街やギルドが位置する中心部、大通りから外れ少し南西に歩けば、そこにはコロニーの居住区エリアが広がっている。
その一角にある古びた2階建ての一軒家が涼花の住まいだった。
涼花は長年姉の仕事を手伝っていたが、その分の報酬もしっかり貰っている。
この家もそのひとつで、元はエレナの所有物だったが、今では涼花に貸し与えられていた。
質素な家とはいえ暮らすには十分で、一人にはむしろ広すぎるほど。
玄関を開けた途端、嗅ぎ慣れた匂いが鼻をくすぐる。
この匂いはクリームシチューだろうか。
昨晩から何も食べていなかった胃が、きゅるきゅると音を立てたような気がした。
涼花の嗜好を研究し続けてきた陽菜の料理の腕は、プロにも引けを取らないほどだ。
中でもシチューは絶品で、以前自分が「シチューが好き」と口にした際には、それからしばらく毎食のように出てきて、研究が続けられたこともあった。
陽菜の料理には、彼女の素直さとひたむきさがよく表れているように思う。
「ただいま、陽菜」
「おかえりなさい。ちょうど良かったです、もう出来上がりますよ」
キッチンの扉を開ければ、藍色の無地のエプロンを身につけた陽菜が出迎える。
相変わらずシンプルな装いだったが、陽菜の持つ明るい色と、エプロンのコントラストがよく映えていた。
「これ、お願いします。熱いので気をつけてくださいね」
陽菜に手渡された皿を食卓に並べていく。
料理のできない涼花にできる手伝いは、これぐらいだった。
食卓に並ぶのは、シチューをはじめ、涼花の好みに合わせて丁寧に作られた料理の数々。どれも、店では味わえないほどの美味だった。
空腹の涼花は言葉も忘れ、無心で料理に向き合った。
こちらを満足そうに眺めながら、陽菜が口を開く。
「それで、どうでしたか?ギルドのほうは」
「どうって、まあいつも通りかな。人は多いし、エレナは横暴だし、途中で帰ろうかと思ったよ」
冗談交じりの言葉に、陽菜は苦笑する。
「もう、またそんなこと言って……昨日の報告に行ったんですよね。実際、地下鉄はどんな様子だったんですか?」
陽菜の質問に、涼花は少し身構える。
この後の話の流れはなんとなく予想することができた。
近頃は鳴りを潜めていたが、陽菜のハンターへの興味はなくなっていなかったらしい。
それは涼花の悩みの種であった。
「陽菜……やっぱりまだ、ハンターに憧れてるの?」
「私は別に、ハンターに憧れているわけでは……」
陽菜は否定するが、歯切れが悪い。
ハンターに興味を示す陽菜と、遠ざけようとする涼花。
陽菜の幼馴染がハンターになってすぐは、特に顕著だった。
「ハンターなんて、ろくなもんじゃないよ。危ないし、街の皆からは疎まれるし」
「そんなことは……ハンターの方達のおかげで魔物に怯えず暮らせているのに」
「昔は魔物の脅威が身近にあったけど、今は平和だからね」
14年前に起きた"大侵攻"と呼ばれる災害。
突如として出現した魔物と、精神を蝕む魔素と呼ばれる瘴気に、多くの人類は抗う術を持たなかった。
しかし、魔素に適合し戦う力を得た者たちが現れ始める。
後にハンターと呼ばれる彼らは、当時の人々にとって英雄そのものであった。
しかし時が立つに連れ、人々は魔物の脅威を忘れ、粗野な者が多いハンターは、今ではすっかり街の嫌われ者。
戦い疲れた後に浴びせられる、疎ましいと言わんばかりの視線──陽菜にあんな思いをさせる訳にはいかなかった。
「陽菜には、もっと他にやりたいことを見つけて、幸せになって欲しい」
幾度となく繰り返してきたやり取り。
しかし、軽い憧れでハンターになり、取り返しのつかない傷を負うものを何人も見てきた。
陽菜の悲しげな表情に心が痛むが、意見を変えるつもりはなかった。
「ごめんね、わがまま言って。でもやっぱり、陽菜には危険な目に遭って欲しくない」
「……はい」
「まあ、大丈夫。地下鉄も封鎖して、近いうちに討伐隊を組むってさ。私も呼ばれちゃったし、すぐに片付けてくるよ」
不安げな陽菜を元気づけるように、明るく振る舞う。
桃華のことは、あえて言わなかった。同年代の少女を連れて行くとなれば、陽菜を危険から遠ざける説得力など、なくなってしまう。
それでも、陽菜だけは。自らの内に孕む矛盾から目を逸らして、話を切り上げる。
「ほら、暗い話はおしまい。それより、このシチュー美味しいよ。いつもありがとうね」
「……はい。今日は、少し甘口にしてみたんです。涼花さん、朝はしんどそうだったので」
些細な不満はあれど、大きな不安はなく。少女たちは穏やかな日常を重ねていくのだった。




