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第33話 平和

二人でかまくらの中に入り、入り口を氷壁でしっかりと塞ぐ。

外部と遮断された薄暗い空間に、洋燈の明かりが灯った。


「ちょっと待ってね、冷蔵庫も出しちゃうから」


陽菜が背負っていた巨大な鞄を下ろす。

ドスン、と重い音が響き、彼女はその中身──貴重な食料たちを丁寧に並べていく。

その間に、涼花はささっと氷の箱──冷蔵庫を作り上げた。

命を守るためのかまくらと違い、こちらは適当な作りだ。冷えればそれでいい。

陽菜の役割が戦うことなら、涼花の役割は家で、冷蔵庫で、風呂だった。

最初の頃はあんまりな分担だと思っていたが、今ではすっかり板についてしまった。


「は〜、疲れた」

「わっ……!お、お疲れ様です」


どっと疲れが出た涼花は、物資の仕分けに夢中になっている陽菜の背中へと倒れ込んだ。

無防備な背中に抱きつき、肩越しに手元を覗き込む。


「もう大体でいいんじゃない?凍らせちゃおうよ」

「駄目ですよ。食材によっては、冷凍すると味が落ちちゃいますから」


陽菜はそう言いながら、食材を日持ちするものと、冷凍するものとで手際よく分けていく。

こんな窮屈な生活の中でも、彼女は料理の味にこだわる。

それは陽菜の性格をよく映し出していて、だからこそ彼女の料理はあんなにも胸が温かくなるのだろう。

自分にはさっぱり分からない領域なので、食材の管理は陽菜に一任し、先に水浴びを済ませてしまうことにする。


指を振るって水球を生み出し、指を鳴らしてそこに水流を生み出す。

そのまま球体の中に身体を滑り込ませれば、浮遊感と共に温かい水流が優しく肌を撫で、汚れだけを剥がし取っていく。

──イメージするのは、昔姉に洗ってもらった……だから、いちいち感傷に浸りすぎだ。

さっと上がり、全身に残った水気を空中に弾き飛ばしてしまえば、水浴びは完了だった。


「ほら、陽菜もおいで」


物資の整理に区切りをつけた陽菜が、涼花が維持している水球の前に立ち、躊躇わずにその身を踊らせた。

重力から解き放たれ、水流に身を任せる陽菜は、安心しきったように瞼を閉じている。


──怖くないのだろうか。ふと、そんな疑問が沸く。

これは魔法のような力で無理やり形を保っているだけの、不安定な水の檻だ。涼花が集中を切らせば、中の陽菜もどうなるか分からない。

こうして身を預けてくれることの信頼が嬉しくもあり、怖くもあった。


水浴びを終え、水球から出た陽菜に、涼花は軽く指を振るう。

瞬時に水滴が弾け飛び、髪も衣服も、まるで洗濯したてのようにさっぱりと乾いた状態に戻る。


そのまま、慣れた手つきで寝床の支度にかかる。

塔の床は冷ややかな石造りだ。

底冷えを遮断するために厚手の敷物を広げ、その上に二人用の寝袋を重ねる。

荷物を減らすためという名目だが、互いの体温を分け合えるこれは、今や欠かせない安眠の道具となっていた。

洋燈の明かりを絞り、薄暗がりの中で身を寄せ合って潜り込む。


「あれ、今日はそっち向くの?」

「はい、これも修行です」

「なんの……?」


いつもなら胸元に顔を埋めてくるはずの陽菜が、今日はずいぶんと余所所しく背中を向けている。

不思議に思い、その背中をつんつんと指で突いてみるが、陽菜は身を捩るだけで、決してこちらを向こうとはしなかった。

仕方なく、涼花も背中を合わせる形で目を閉じる。


慌ただしい一日だったが、ようやく息をつくことができた。

明日からは、いよいよあの不穏な扉の先に突入する。

待ち構えているであろう試練を考えると、中々寝付けそうにもない。

昔はあれだけ楽しみにしていた強敵との戦いも、今では気が重くなるだけだった。


──33階層の時も同じだった。

扉の先、待ち構えていたのは、無数の目玉が埋め込まれた巨大な輪の化け物。

死闘の末に勝利したものの、そこそこ大きな傷を負い、ひと月近い休養を余儀なくされた。思えば、体の不調を感じ始めたのもあれからだ。

上の階層になればなるほど、試練は苛烈になっている。

今回は66階層。碌でも無いものが待っているのは間違いなかった。

さらに姉の話では、この塔は100階層まであるらしい。

99階層がどうなっているかなんて、想像したくもなかった。


「ねぇ陽菜。これが終わったら、何する?」

「どうしたんですか、いきなり……」


何となく、予感があった。

姉は何も話さないけれど、これが最後だという予感。

姉やエステアの言葉からして、この塔が人類と魔物の双方にとって重要なのは、多分間違いない。

ここにはきっと──


「そういう涼花さんこそ、どうするんですか」

「私かぁ……」


少し考えてみるが、全く思い浮かばない。

自分の想像通りだったとして、平和になった世界で自分が過ごしている所を、どうしてもイメージできなかった。


「私は想像できないけど……陽菜はさ、お店開くのが似合いそう。昼は美味しい料理出して、夜は酒場でも開くの」

「……そうしたら、涼花さんは、用心棒として雇ってあげます」

「また、そんな冗談言ってさ」


以前ならともかく、今の自分に用心棒なんてできないだろう、と思う。

そう考えると、もはや唯一の取り柄すら失ってしまった自分に、何が残るというのか。

陽菜のように得意なこともなく、姉のように賢く人望があるわけでもない。

魔物がいなくなってしまえば、残るのはただ憂鬱で捻くれた、空っぽの女だけだ。

そんな陰鬱な思考に沈みかけていると──不意に、背後で陽菜ががばりと身を起こす気配がした。


「どうした……?トイレ?」


問いかけるが返事はない。

代わりに衣擦れの音が響き、陽菜がのそのそと腹の上に跨ってきた。

布越しに、彼女の体重と体温が伝わってくる。


「もしかして、今日も甘えたなの……?」


陽菜は無言のまま、じっと涼花を見下ろしている。

洋燈の明かりを絞った薄暗いかまくらの中では、逆光になった彼女の表情は読み取れなかった。

ただ、その沈黙が肯定を示していることだけは理解できた。


「まあ、今日もいっぱい頑張ってくれたしね……はい、いいよ」


諦めて襟元に手をかけ、噛みやすいように服をずらしてやる。

陽菜の顔が近づき、熱を帯びた吐息が肌にかかった瞬間、喉元が微かに震えた。

直後、首筋に湿った感触と、微かな痛み。反射的に体が跳ねた。

脊髄を駆け上がるようなくすぐったさに、喉から奇妙な声が漏れそうになる。

慌てて手で口を塞ぎ、漏れ出そうになる声を物理的に押し殺した。

鼻から大きく息を吸い、乱れそうになる呼吸を意識的に整える。


全く、いつものことながら、どうして首を噛みたがるのか、理解ができない。

でも、陽菜がこんな感じなら、丁度いいのかもしれない、なんて思う。

魔物がいなくなった世界で、用心棒は無理かもしれないけれど、陽菜の噛まれ役としてなら、雇ってもらえるだろうか。


思考を遮るように、再び陽菜の顔が近づく。

今度は反対側の首筋に、温かな唇が押し当てられた。

静寂に満ちた塔の中、二人の夜は更けていく。


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