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第32話 凸凹

純白の壁面に覆われた、広大な吹き抜けの空間。

そこには、雪のように白い羽毛に覆われた、人の頭部ほどの大きさの球体が無数に浮遊していた。

羽ばたきもせず、重力を無視して漂うそれらが、侵入者に気づき一斉にこちらを向く。

ばさり、と音を立てて純白の羽が開かれると、その中心から、赤く充血した巨大な眼球が露わになった。


「陽菜、くるよ!」

「はい!」


無数の瞳が痙攣し、さらに赤く血走ったかと思うと──次の瞬間、灼熱の光線が雨のように降り注いだ。

涼花は即座に前に出て、分厚い氷の盾を展開する。

氷が激しく蒸発し、白煙が立ち込めた。


その煙を切り裂くように、陽菜が飛び出した。

交差する熱線を紙一重で潜り抜け、壁を蹴って跳躍する。

一閃。陽菜の大剣が空中で弧を描き、宙に浮く眼球を両断した。

そのまま彼女は白煙の中を自在に駆けては、目玉の数を減らしていく。


涼花も援護すべく氷の礫を放つが、それは狙いを大きく外し、虚しく壁に当たって砕け散った。

魔法のような力といえど、当たらなければ何の意味もない。

とうに分かっていたことだが、今の動体視力では、空を自在に飛び回る相手を捉えることは難しかった。

ふよふよと、こちらを馬鹿にするように宙を漂う目玉たちに腹が立つ。

そもそも、羽ばたきもしないのに何故浮かべるのか、その羽は飾りなのか。

細かいことを気にし出せばキリがない胡乱な生物たち、それが塔の魔物であった。


「上! 囲まれるよ!」

「分かってます!」


陽菜は床を、壁を、天井を足場に、重力を無視するかのように自在に駆ける。

迫りくる熱線の雨を紙一重で潜り抜け、大剣を振るうたびに、不気味な眼球が破裂し、体液を撒き散らす。

その動きは、かつて自分が教えたもので、今の自分にはないものだった。


「なんでこんなことになっちゃったかな、ほんと……」


この場を支配するように舞う陽菜を眺めて、一人ごちる。

今の自分に、あんな動きはできない。

それどころか、少し階段を登っただけで息が上がる始末だった。

1年ほど前から姿を見せ始めた不調の兆しは、今や一般人と大差ないほどにまで、涼花の体力を奪い去っていった。


魔物退治しか能がなかったのに、これではいよいよ取り柄が、と自嘲する。

かつて全身を突き動かしていた暗い熱や鬱屈とした衝動、そういったものがさっぱり冷めてしまったようだった。

強敵を前にした高揚感も、時を置き去りにして駆ける開放感も、全てが過去のもの。

映像としては思い出せるのに、当時の感情だけが再生されない。

どうしてあんなに楽しむことができたのか、それが理解できなかった。

それにこんな現状すら、しょうがないか、なんて楽観的に考えてる自分がいて、もう色々と手遅れだった。


一通り片付け終わった陽菜がこちらに戻ってくる。

その頬についた返り血──血と言っていいのかは分からないが──を洗い流してやれば、嬉しそうに顔を綻ばせた。


「お疲れさま」

「涼花さんこそ。どうしましょう、今日はここらで休んでいきますか?」


こちらの体調を気遣うように、陽菜が休息を提案する。

確かにすでに息も絶え絶えだった。

肺は悲鳴を上げ、足は棒のようになり、立っているのすらやっとだ。

この状況で、疲れたから休みたいと言えば、陽菜はきっと、優しく許してくれるだろう。

でも、そんなこと、言えるわけがなかった。


「いや、陽菜が大丈夫なら、もう少し行こうよ。今日中に65層まで戻っておきたいな」

「……はい、わかりました」


陽菜が少し不服そうに頷く。

気遣われているのは分かっていて、それでもこれ以上足を引っ張ろうものなら、罪悪感で死にたくなるだけというのも間違いない。

それに、あまり時間をかけすぎると、せっかく倒した魔物も復活しかねない。

基本的に、目玉のような大量に出てくる魔物は、弱い分復活が早い。

前回から、コロニーに戻って、3日ぶりの遠征。

手強い相手が復活するにはまだ余裕があったが、弱い魔物といえど何度も相手にするのは御免だった。


「よっしゃ、いこう」


気合を入れて一歩を踏み出す。

その足取りがふらついたのを、陽菜は見逃さなかった。


「……お姫様抱っこでも、しましょうか?」

「ちょっと陽菜、お婆ちゃんじゃないんだから」


……いくら足でまといでも、その扱いは、あんまりだった。


§


終わりの見えない螺旋階段を、這うようにして登り切る。

視界いっぱいに広がるのは、既に見飽きた純白の吹き抜け空間。

幸い、3日前に掃討したばかりのこの階層に、まだ魔物の気配は戻っていないようだった。

涼花はその場に崩れ落ちるように膝に手を突き、荒い息を吐き出した。肺が、痛い。


「はぁ……つい、た?」

「はい、お疲れ様でした。本当に」


顔を上げれば、涼しい顔で周囲を警戒する陽菜の姿。

涼花とは対照的に、その呼吸はひとつも乱れていない。

頼もしいと同時に、今の自分との差を見せつけられるようで、少しだけ恨めしかった。


「だいたい、この階段、長すぎでしょ。もう、意味わかんない」


悪態をついてみるが、返ってくるのは自分の荒い呼吸音だけ。

きっとこの塔を作った人間は、登る側の苦労など微塵も考えていなかったに違いない。

それでも、恨めしげに天井を睨んでいるうちに、暴れていた心臓の早鐘も、ようやく落ち着きを取り戻し始めていた。


「はぁ……ちょっと待ってね、今かまくら出しちゃうから」

「お願いします。ゆっくりでいいですよ」


この広大な吹き抜けに、隠れる場所はない。

そのため、専ら活動の拠点となるのは、魔法のような力で作った“かまくら”だった。

力を行使しようと、深く息を吸い込み、意識を集中させる。

──その、無防備な瞬間だった。

脇腹に、つん、と鋭く柔らかな衝撃が走る。


喉の奥から、自分でも聞いたことのないような甲高い悲鳴が飛び出した。

驚きのあまり飛び退いて振り返れば、陽菜が驚いた様子で自分の指を見つめていた。


「ちょっと……!」

「あっ……!すみません、つい」


──つい、なんだ。息も絶え絶えな様子が、つい面白くてか。

近頃ではこうして陽菜が悪戯してくることが増えた。

そんな一面も可愛らしいとは思うが、稀にされる心臓に悪い悪戯には困らされていた。


「もう、意外と難しいんだからね。集中しなきゃ出ないの」


嘆息して、呼吸を整える。

大切なのはイメージ。もし魔物が出たとしても、絶対に壊れずに、二人を守る、安全な場所。


──脳裏に浮かぶのは、昔、姉と二人で作ったかまくら。

あの頃の姉はまだ、太陽のように笑う人だった。

ろくに言葉も話せなかった幼い自分には、あの笑顔だけが世界の全てであり、道標だった。

姉が笑えば良いことで、姉が悲しい顔をすれば、自分まで泣きそうになった。


そんな姉と、二人で笑いながら作ったかまくらは、姉も自分も不器用なもんで、酷く不恰好だった。

それでも、白いドームの中、姉の膝の上。

大きな上着に包んでもらえば、どんな困難からも守ってくれるような、絶対的な安心感があった。

人目がないからと言い訳をして、こっそりかまくらの中に雪を降らせて遊んだ光景を、今でも鮮明に覚えている。


最近、こうして過去に思いを馳せることが増えた。

魔法のイメージを固めようとすると、どうしても浮かんでくるのは昔の記憶。そしてその傍らには、いつだって姉がいた。

魔物退治の日々に埋もれてしまった、遠い日々。


「はぁ……」


少し感傷に浸りすぎた、と涼花は首を振る。

どれもこれも、一昨日、姉が留守にしていたせいだと思う。

別に、顔が見れなくて寂しいとか、そういうのではないが、流石に数ヶ月も顔を見ていないと、元気にやってるのか気になってしょうがなかった。

面倒な仕事を手伝ってあげてるのだから、せっかく帰った日ぐらい、顔を見せるのが礼儀じゃないだろうか。


何にせよ、回想は十分だ。

腕を振るい、純白のドームを形成していく。

粉雪が舞い、思わず目を閉じる。

再び目を開ければ、目の前には巨大なかまくらが姿を現していた。

あの日の記憶をなぞるようにでこぼこと歪な形。

10年以上も昔の思い出を引きずっている自分に呆れないでもないが、これなら壊れることはないだろうと諦める。


「お待たせ、陽菜」

「……はい」


陽菜は返事こそしたが、目の前のかまくらをじっと見つめたまま動かない。

その瞳には、感嘆や安心とは違う、どこか複雑な色が揺らめいている。

涼花が魔法を使えば、大抵陽菜の反応は驚くか、喜ぶかだったが、今回は少し様子が違う。

──もしかして、でこぼこすぎて、壊れないか不安にさせてしまっただろうか。


「……作り直す?」

「いえ、なんでもないです。入りましょう」


陽菜は何かを振り払うように首を振り、涼花の手を取った。

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