第30話 逆転
陽は西の山々の影に姿を隠し、街は茜色に染まりゆく。
通りにひしめく酒場からは、焼き鳥と炭の香ばしい匂いや、安酒特有の甘ったるい香りが漂い始めていた。
錆びついたシャッターを押し上げる音、店先に提灯を吊るす店主の威勢のいい声。
コロニーの南東部──繁華街の一日が始まろうとしていた。
そんな喧騒と熱気の中を、周囲の空気から切り離されたように、肩を寄せ合い歩く二人組。
薄幸そうな黒髪の小柄な女と、彼女より少し背の高い、亜麻色の髪の美しい女。
混沌とした通りには不釣り合いな女達であったが、彼女達に声をかけるものはいなかった。
数ヶ月おきにこの道を通る二人組は、この辺りではちょっとした有名人。
その人目を引く外見に惑わされ、不用意に付き纏えばどうなるか。
手痛い制裁が待っていることを、ここの住人は身を持って知っていた。
そうでなくとも、己の身長ほどもある大剣を背負いながら、重さを感じさせずに歩く金髪。
少しでも見る目のある者なら、彼女達に手出しすることがいかに無謀な挑戦であるか、一目で理解できた。
黒髪の女がふと足を止める。
その視線の先には、店先に吊られたひとつの装飾──太陽を背に描かれる、天へと突き立つ騎士剣。
感傷に浸るようにそれを眺めて、白い息をひとつ吐き出した。
「そっか。もうすぐ黎明祭か」
ここ洛北コロニーでは毎年、この時期に祭りが開かれることになっていた。
祭りは年の瀬から一週間も続き、最終日には年越しと同時に盛大なパレードが行われる。
それは、かつて亡くなった者達への追悼と、一年に渡り続いた戦いに終止符を打った、英雄への感謝のための行事。
今でこそ形骸化して、皆で騒ぐための行事でしかなかったが、それも平和だからこそと考えれば、そう悪いものでもない。
そして季節はすっかり冬。飾り付けにはまだ少し早かったが、それだけ楽しみにしている者が多いという証でもあった。
「今年こそは、参加できるといいですね」
亜麻色の女が笑いかける。
二人とも、去年は色々と忙しく、参加できなかった。
黒髪は、あれからもう一年が経つということに内心驚く。
「ほんとに、季節とか分かんなくなっちゃうなぁ」
「たまに帰ってくるとはいえ、大半は山の中ですから。しょうがないですね」
二人組──涼花と陽菜は、一年以上に渡り、山小屋を拠点に活動していた。
基本的にコロニーに戻るのは物資の調達のため。
残る時間は"仕事"へと全力を注いでいた。
「エレナ、元気してるかなぁ」
「私も久しぶりに、明日は寺院に顔を出そうと思います」
「うん。物資の手配は済ませとくよ」
お互いにこうして帰った後は、知り合いの所に顔を出すのが通例になっていた。
しかしそうは言っても、涼花にはエレナのところ以外に行く宛はない。
もう一人の知人である楓とは、少し前に再会してからというもの、すれ違えば言葉を交わす程度には関係が戻っていた。
だが記憶のままなら、彼女の住む家には、折り合いの悪い叔母がいるはずだ。
迷惑になるのではと思うと、中々顔を出しづらかった。
「ただいま」
「おかえりなさい、ですね」
そうして二人肩を並べて歩き、家までの道のりも二人ならあっという間。
久しぶりの我が家は、しばらく感じていなかったはずの、湿った木の香りがした。
疲労が押し寄せてくるが、あと少しの辛抱だと首を振って眠気を飛ばす。
今日は帰ってきたばかりで、当然、家には食材もないため外食で済ませている。
あとは風呂に入って寝るだけであった。
浴室に入り、指を振るう。虚空から生み出された水が、勢いよく湯船を満たしていく。
仕上げに指を鳴らせば、それはあっという間に適温へと変わった。
服を脱ぎ捨て、掛け湯をしてから湯船へと浸かる──その前に、念のため脱衣所のドアノブを凍らせることを忘れない。
油断すると、たまに陽菜が突撃してくるためだった。
以前はたまに二人で入ることもあったが、流石に今はそうもいかない。
この一年で、陽菜はあっという間に少女の殻を破り、美しい女性へと変貌を遂げつつある。
いつの間にか、すっかり身長も逆転していた。
そんな陽菜と一緒に風呂に入るというのは、罪悪感やら劣等感やらで居た堪れなくなるのであった。
はぁ、と湯船に深く沈み息を吐き出す。
直後、ガチャガチャとドアノブを回そうとする音が聞こえてきて、涼花は深く嘆息した。
§
先に風呂を終えた涼花は、自室の机へと向かい、使い込まれた紙束を広げる。
そこに描かれているのは、螺旋を描き天へとその身を伸ばす、純白の塔の内部構造図だ。
一年以上前、姉は涼花に、あの塔の調査に全力を注ぐよう命じた。
この記録もその調査の一環。
あんな辺境にある塔を調べてどうするのか。疑問がないでもないが、姉が言うならきっと意味はあるのだろうと納得はしていた。
この二ヶ月で更新した情報を、手元のメモと見比べながら書き写していく。
内部構造はいたってシンプルだ。
広大な空間と、それらを繋ぐ螺旋階段が続くだけ。
普通に登れば何日かで踏破できそうなものだが、試練と言わんばかりに立ちはだかる魔物達が厄介であった。
いや、あれを魔物と呼んでいいものなのかは、定かではない。
獣や人型をした地上の魔物とは違う。
無数の目玉が埋め込まれ、何対もの翼が生えた肉塊。
神聖さと冒涜が入り混じったような異形達をなんと評したらいいかは分からず、二人とも魔物と呼んで通していた。
一応それらの特徴も書き残そうと筆を走らせるが、自分の絵心の無さが恨めしい。
紙の上に現れたのは、実物以上に悪夢めいた落書きだった。
これは後で陽菜に頼もうと決意し、気を取り直し他の情報を記していく。
出現した魔物の数、討伐数、物資の残量。
そして──自身の体調や精神状態に変化はないか。
特に最後の項目に関しては、事細かに記録するよう姉に厳命されていた。
そうして、今日の記録は65階層まで。
66階層への階段を登った先、そこに鎮座していた巨大な扉──近づくだけで肌が粟立つような、濃密な気配。
物資が底を見せ始めていたこともあり、今回はそこで切り上げてきたのであった。
書き終えたあたりで、風呂から上がった陽菜が部屋に入ってくる。
丁度いいと切り上げベッドに腰を下ろせば、すぐに陽菜が隣へと座った。
触れ合った肩から、彼女の体温を感じる。
陽菜は随分とさっぱりとした様子で、その頬は赤みを帯びていた。
しっとりと束になった亜麻色の髪からは、甘い香りが漂ってくる。
指をひとつ振るって、その湿気を飛ばしてやれば、嬉しそうな様子で肩にもたれてきた。
山中では涼花の力を使って水浴びはしていたが、流石にじっくり風呂に入る余裕はなかった。
こうして満足そうな陽菜を眺めていると、不便な暮らしを強いてしまっていることへの罪悪感が込み上げてくる。
自分のせいで塔の攻略が長引いている事を考えれば、尚更だった。
「ごめんね。もっとわたしが動ければ……」
「いいんですよ。サポートしてくれるだけで、十分助かってますから」
そう言って微笑んだ陽菜が、涼花の肩にぐりぐりと頭を押し付ける。
しかし、余計に不甲斐なさで胸がいっぱいになった。
「いつもごめんね、付き合わせちゃって。別に陽菜が頼まれたわけでもないのに」
「もう、またそんなこと言って。これが、私のやりたいことですよ。それに──」
陽菜は言葉を切って、涼花の頬を突く。
この後の展開は予想できて、涼花の心臓が小さく跳ねた。
「ちゃんと、ご褒美も貰いますから」
声とともに、ベッドへと押し倒される。
何か言おうと口を開くが、意味のある言葉が出てくることはなかった。
首筋に陽菜の顔が近づいてきて、吐息が酷く擽ったい。
身を捩るが、両腕は頭の上。陽菜の片腕に縛られていた。
身長だけなく、いつの間にか腕力も逆転してしまっており、びくともしなかった。
そもそも、抵抗する気も別にないのだから、抑えなくてもいいのに、と思う。
「陽菜って時々、甘えん坊だよね」
「うるさいですよ」
いつからか、陽菜に頑張ってもらった日は、ご褒美と称して、彼女のいう事をひとつ聞くのが習慣になっていた。
そして彼女は大抵、こうして自分に甘えることを選ぶ。
しかし、それも最近では少し問題があった。
陽菜は昔の感覚で甘えているのだろうが、彼女は色々と成長してしまっている。
子供から大人へと移ろう、そういう時期。
こうして甘えるには、彼女は綺麗になりすぎていた。
だから、この絵面はあまり良くないのでは、と思ってしまう。
色気のない自分とは対照的に、締まるところは締まりながらも、程よく肉付いた身体。
そんな状態で密着するもんだから、何がとは言わないが、色々と良くなかった。
「好きです、涼花さん」
首筋に顔を埋めた陽菜がぽつりとつぶやく。
──だから、そういう心臓に悪いのはやめて欲しい。
そう言われるたびに、自分の脳はぐるぐると、終わりの無い問いを繰り返してしまうというのに。
鼓動は早まりながらも、頭はいつだって冷静だった。
「うん、私も……うん」
好き。と言葉にするのは難しかった。
彼女が言えば尊い言葉も、自分が口にすれば陳腐なものになってしまいそうで。
本当は、好きという言葉の意味も、よく分かっていないのだった。
──これがもし男女で、結婚でもすれば、好きというのが目に見える形になるのだろう。
しかし、彼女も自分も女同士。
好き、という言葉は日常に溢れていて、特別な意味を持たせるのは難しかった。
流石に、シチューが好き、とは違うという事は分かる。
しかし、陽菜も好きだが、楓も、エレナだって好きだ。
そこには一体どんな違いが。大きさの違いでしかないのか。
どうすれば彼女のように、綺麗な響きを持たせることができるのか。
大体、陽菜が自分をどう好きなのかも、いまだによく分かっていっていなかった。
愛している、好きだとは、幾度となく言葉をもらっているが、それはどういう。
あの幼馴染達に向ける好きとは違うのか。
違ったとして、やはりそれは大きさだけの違いなのか。
しかし、自分をどう好きなのか、なんて恥ずかしくて聞けるはずがない。
それに、自分に女としての魅力が備わっているとは、微塵も思えなかった。
「いっ──!ちょ、ちょっと陽菜。今日は駄目だって」
思考の海に沈んでいたのが気に食わなかったのか、陽菜に首を噛まれてしまう。
ここ最近、特に戦闘のあった日の陽菜は、何かと首を噛みたがった。
いつもの山小屋なら構わないが、明日も街に出かけるのに噛み跡を残されるのは非常に困る。
そもそも、この子は色々と、分かってやっているのだろうか。
これは好きの中でも、その、そういう好きな相手にやるのが普通ではないのか。
「なんで噛まれたか、考えておいてください。おやすみなさい」
「ちょ、ちょっと」
そう言い残して寝返りを打つ陽菜の背を眺める。今日も中々寝付けそうになかった。




