閑話 すき、きらい、すき 下
数年もすれば、街はコロニーと呼ばれる城郭都市に姿を変え、城壁の外には魔物と名付けられた悍ましい怪物たちが跋扈するようになった。
ギルドなる胡散臭い団体が結成され、ハンターと呼ばれる野蛮人達が街を彷徨く。
なんだかゲームみたいなくだらないその呼び名が、馬鹿馬鹿しい現実によく合っているのが少し気に入り、気づけば私もその一員になっていた。
子供を戦わせるなんて終わっていると思ったけれど、精神が成熟していない方が適合しやすいとかなんとか。
結局、訓練所を飛び級で卒業する頃には、そんなことはどうでも良くなっていた。
「楓、またバディと揉めたのか」
金髪を散らかした女が、呆れたように笑う。
街を救った英雄で、最強のハンターで、ギルドの代表。
しかし、とてもそうは見えない、ズボラな女。
仮に本当だとしても、英雄なんていけすかないことこの上ない。
けれど、この人だけは、他の大人たちのように、私を割れ物のように扱ったり、無理に笑顔を向けたりしなかった。
濁った灰色の瞳が、ただ静かに私を捉える。
同情も、憐憫も、期待すらもない、空っぽの瞳。
それが不思議と心地よい。
「だってあいつ、弱いのに年上だからって偉そうだもん」
気づけば同年代どころか、年上にも、張り合いのある相手はいなくなっていた。
どいつもこいつも、どうしてもっと上手くやれないのか、不思議で仕方がない。
「はぁ……お前にもっと協調性さえあればなぁ」
「小言はいいから、早く次のバディ紹介してよ。もっと強い人で、出来れば同年代で」
弱い奴は、大抵が臆病で、足手纏いになるから嫌いだ。
弱い癖に偉そうな大人は、もっと最悪だった。
「また、無茶な注文を」
「いないならいい。一人でやるから」
無茶を言っている自覚はあるが、足を引っ張られて死ぬのは御免だった。
「待て楓。一人、紹介してやる」
「強いの?同年代?」
「ああ、お前より年下で、腕はすこぶるいい。お前次第では、紹介してやってもいい」
背を向け立ち去ろうとしたところを呼び止められる。
そんな奴、訓練所にいただろうか。
しかし、本当なら是非紹介して欲しいし、むしろ今まで教えてくれなかったことに抗議したいぐらいだ。
「でも、約束しろ。繊細な奴だから、今までみたいに雑に扱ったり、八つ当たりするのは禁止だ」
「別に、わざと雑に扱ってる訳じゃないし」
「約束が守れないなら、この話は無しだ」
酷く真剣な顔で、女が脅す。そんなに念を押されなくても分かっている。
自分だって好きで衝突を起こしているわけではない。
円滑に行って、魔物をもっと殺せるなら、それが一番いいに決まっている。
「分かったから、紹介して。でも、どんな子なの?」
ただ、全てがどうでも良さそうなこの人が、こんなに誰かを気遣うのが珍しくて、少し興味が湧いた。
「そうだな……私の、妹みたいなもんだよ」
いつもとは違う、どこか穏やかな表情を見せる女。
どうしてか、置いてけぼりにされたような気がして、気にいらなかった。
§
第一印象は、手のかかるお子様。
初対面ではエレナの足にしがみついて離れないし、少しコロニーの外に出ればやれ疲れただの、足が痛いだの喚く。
後から、自分と三つしか違わないと聞いた時は驚いた。
その知性は優しい目で見ても、5歳児ぐらいにしか見えない。
それでも、すこぶる腕がいいという前評判だけは嘘ではなかった。
試しに戦わせてみれば、それまでの間抜け面が嘘のように、冷たい目で魔物を殺した。
「なんで、こんなに、豪華?」
「豚を3匹討伐したお祝い。結構凄いことなのよ?大人でも豚に勝てない奴らは多いんだから」
いきつけの定食屋に入って、頼むのは二人分のハンバーグ定食。
今日は特別にハンバーグが2枚、そして卵まで乗せたご馳走だ。
いつの間にか、仕事の帰りは涼花と食事をすることが日課になっていた。
どうやらエレナと一緒に住んでいるらしいが、あの人はあの人で多忙の身。帰らない日も多いらしい。
こいつは放っておくと、血まみれのまま帰って布団に入りかねない。
私生活はどうあれその腕は大したものだし、自分と志をともにする彼女を、少しは気に入っている。
多少面倒を見るぐらいは仕事の一環として受け入れていた。
それに、叔母のいるあの家で食事をするよりは、涼花と食べた方が幾分かマシだった。
「豚って、オークのこと?」
「そ。あんな奴ら、豚でいいの」
口いっぱいにハンバーグを頬張る涼花を眺める。
ソースが口の周りにべっとりついて、間抜け面に拍車がかかっていた。
仕方なしにナプキンで口元を拭ってやる。
くすぐったそうに身を捩る彼女を見て、なぜか落ち着かない気持ちになる自分が、少し不思議だった。
今思えば、妹の面影を重ねていたのかもしれない。
お馬鹿で、手のかかるお子様で、間抜け面。
それでも、彼女に小言を言いながら一緒に過ごす日々は、あの日から最低だらけの人生の中で、唯一悪くないと思える時間だった。
§
さらに数年もすれば、涼花の精神も少しは成熟して、昔ほど手がかからなくなった。
そして、魔物を殺すことに関しては、いつの間にか私よりも上手になっていた。
誰より一番槍で魔物を殺し回った私も、最近ではすっかり涼花に合わせる助攻。
自分よりも優れた才能に少しの嫉妬は覚えたけれど、涼花は楽しそうだし、自分も結果的に魔物が殺せれば満足だった。
──涼花が重傷を負うまでは。
「涼花っ!涼花!しっかりして!」
その日はやけに自分の調子が悪かった。
いつもなら一撃で急所を貫けるはずの魔狼──ワーグに手こずり、それは彼らに囲まれる失態を招いた。
何とか二人で処理していったが、最後の一匹が捨て身で涼花の腕に噛み付く。
涼花は冷静にワーグを振り回して地面に叩きつけ、膝で首の骨を折って仕留めたが、彼女の右腕は血まみれだった。
ふらついて地面に座り込んだ涼花に駆け寄り、容体を確認しようとする。
彼女は自分の傷を眺めながらも、いつも通り笑っていた。
「楓、私は平気だよ……?」
「なんで。なんで、笑ってんのよ」
「だって、ちゃんと殺せたし……」
その時、初めて己の思い違いに気づいた。
ずっと、自分と涼花は同じだと思っていた。でも、違った。
何もかもを失って半ば八つ当たりのようにハンターに逃げた私と、最初から魔物を殺すことに喜びを見出している涼花。
きっとこの子は、魔物を殺せれば自分はどうなってもいいと思っている。
理解した瞬間、彼女を抱きしめていた。
そして、自身の中に芽生えた感情に気がついてしまった。
──この子を失うことが、酷く恐ろしい。
気づけば私は、すっかり弱くなってしまった。
その日から、私の中で何かが変わった。
それは優先順位と言えるし、大げさに言えば生き甲斐と言ってもいい。
信念が揺らいでいくことへの不安はあったけれど、決して不快ではなかった。
とにかく涼花が死なないように立ち回る。魔物を殺すことは、もう二の次だった。
ただ困ったことに、涼花はどんどん強く、戦い方もより苛烈になっていく。
任される仕事も、最前線の危険な任務ばかりになっていった。
「あんた、また無茶ばっかり……いい加減にしなよ」
「だって、楓もいるし、大丈夫じゃん」
「……ばか涼花」
何でもないことのように言い放つ涼花の額を、指で弾く。
きっと彼女には分からない。その無垢な瞳で信頼を向けられる重圧を。
自身の無能が、いつか彼女を殺してしまうかもしれない恐怖を。
そしてある日、糸が切れるように限界が訪れた。
ある朝目覚め、いつも通り鍛錬に向かおうとした私は、槍が握れないことに気がついた。
何度も試したけれど、手が震えてまともに力が入らない。
無理に握れば、胃のなかのものが込み上げてきて、トイレに籠もり何度も吐いた。
私はもう、戦う気力を無くしてしまった。
「悪いけど私、涼花と組むのやめるから」
「……そうか」
エレナが悲しげに目を伏せる。しかし罪悪感はなかった。
それどころか、近頃、涼花と上手くいっていないらしい彼女に、苛立ちすら覚える。
「だからもう、涼花に危険な任務は無理だから。他の奴に回して」
「楓、お前は……」
「別に、そういうのじゃない。魔物を殺すのにも飽きただけ」
諦めてしまえば、己への失望と、それに勝る安堵を得た。
少なくとも、己の無能が涼花を殺す心配は、もうしなくていい。
けれど、街で涼花を見かける度に何度も思い悩んだ。
暗い表情で、すれ違う度に目を伏せる彼女に、何度も胸を引き裂かれた。
それでも、私に出来るのは彼女を見守ることだけだった。
そんな後悔に苛まれる日々の中で、見知らぬ少女と歩く涼花を見つけた。
人間離れした、天使のような少女が涼花に笑いかける。
けれど、そんなことはどうでもいい。
──あの頃のように、間抜け面で笑う涼花から、目が離せなかった。
しばらく立ち尽くして見送って、不思議と涙が溢れた。
隣に立つことが自分でないことへの嫉妬は、もちろんあった。
けれど、それ以上に、安堵と喜びからくる涙だった。
──私の選択は、決して間違いじゃなかった。
彼女が笑ってくれるなら、己の後悔も苦しみも、全てがどうでも良いと思えた。
そして、そう想えることへの喜び。
この世の不条理を呪うだけだった自分にも、誰かの幸せを願う心が残っていたらしい。
この涙は、心からあの子の幸せを想う事ができたという、何よりの証左だった。
それからというもの、あんなに身の入らなかった仕事にも、徐々に復帰することができた。
勿論、以前のように最前線で魔物を殺すことはできなくなったけれど、それで構わなかった。
誰かを守るためなら不思議と体が動いて、それが何より誇らしい。
ずっと、生きる意味を探していた。
家族みんな灰になって、最低な私だけが残った。
大好きだった母が、私を抱きしめたまま冷たくなっていく瞬間は、今でも夢に見る。
世の中は腐っていて、人間なんて一皮剥けば、ケダモノと変わらない。
そう思う気持ちは、今でも変わっていない。
それでも、母が繋いでくれたこの命と、あの子に貰った綺麗なこの気持ちで、私も誰かを救うことができたなら。
汚れ腐ったこの地で生きるのも悪くないと、そう思えた。




