第28話 告白
山頂での戦いは一方的だった。
何度目かも分からない爆発に呑み込まれ、涼花は無様に地面を転がる。
辛うじて致命傷は避けているが、対処に慣れるまで傷を負いすぎたせいか、全身が酷く痛んだ。
「お前……なんでまだ生きている」
土煙の向こうから、ゆっくりと歩み寄ってくる女。
捻れた二本の角に、黒に染まった大翼。真紅の髪は、女の燃え盛る怒りを映し出しているよう。
悪い冗談のようなその姿。絵本の中から飛び出してきた悪魔そのものだった。
「コソコソと……なにか小細工しているな?」
小細工といえば、その通りだろう。女の爆炎を操る不可思議な力は圧倒的だ。
細工が無ければ、既にこの身は焼き尽くされている。
だが、それを正直に教えてやる義理もなかった。
「別に。ただ、運が良かっただけ」
「……面倒な」
エステアが舌打ちして、指を鳴らす。
途端に何もなかったはずの宙空に、莫大な熱量を秘めた火球が現れた。
彼女が指を振るえば、火球はそれに従って凄まじい速度で飛来する。
──魔法のような、不思議な力。目にするのは三度目だ。
指先一つで全てを燃やし尽くしてしまう、エステアの力。
植物に意思を与え手足の如く操る、フレミアの力。
そして、水と氷を生み出す──私の力。
爆炎に飲まれる寸前、自身を水の殻に閉じ込め、熱と衝撃から身を守る。
相殺しきれなかった爆風も、地面に転がればやり過ごすことができた。
「どうした、反撃してみろ」
「無茶を言うね……」
ずっと隙を窺っていたが、エステアは慎重に距離を保ったまま、こちらに近づいてくる気配はない。
この距離から彼女を仕留めるには、こちらも魔法のような力で対抗する他ないだろう。
だが、楓と陽菜が、いつこの山頂に辿り着くか分からない。
使う時は最小限に、決して人に見られぬよう──そういう、姉との約束だった。
再びの爆発。爆炎に呑まれ、朦朧とした意識のまま思い出す。
──いつだったか、この身に宿る不思議な力に気がついた私は、嬉々として姉の前で披露した。
この力があればもっと魔物を殺せる、姉も喜んでくれるに違いないと。
しかし、姉の反応は、期待していたものではなかった。
姉は酷く真剣な顔で、私に言い聞かせた。
この力は恐ろしい物だから、滅多なことがない限り、決して使ってはいけないと。
もし他人に見られれば、私は皆から恐れられる魔女になってしまうと。
「もういい」
エステアの声に思考の海から引き戻される。
気づけば目の前には巨大な火球が迫っていた。
咄嗟に防ごうとするが少し遅れ、爆発の衝撃をもろに喰らい吹き飛んだ。
「その程度の力と覚悟で、私の妹を殺したのか……!」
血の涙を流して、こちらを睨みつけるエステア。
その顔に浮かぶのは、怒りと、失望と、悲しみ。
その姿を見ていると、胸が苦しくなると同時に、最低な思考が脳裏をよぎった。
──こんな事を思う資格はない。それは酷く最低で、独善的で、醜悪な嫉妬。
でも、分かっているけど、少しだけ。
フレミアが羨ましいと、そう思ってしまった。
もし死んだら、姉はここまで悲しんでくれるのだろうか。
涼花には、姉の泣いている顔を想像することは出来なかった。
「死んで、あの子に詫びろ」
エステアが両手を空に掲げる。
その頭上には、これまでの比ではない、恐ろしいほどの熱量を秘めた巨大な火球。
十分距離は離れているのに、その熱波はこちらまで伝わってくるほどだった。
対抗するには、こちらも派手に力を使うしかないだろう。
だが、もしもを思うと、凍りついたように体が動かない。
この後に及んで尚、楓に、陽菜に、知られてしまうのが恐ろしかった。
そうだ、覚悟なんてない。
ただ、姉が喜んでくれれば、それで良かった。
ただ、誰かに愛されたかっただけだ。
「涼花さん!」
ふと、呼び声が聞こえた。聞き慣れた、近頃はずっと傍で聞いていた声。
山頂を駆け上がって来たであろう、肩で息をした少女が横目に見えた。
いつもなら、彼女を見れば安堵が胸を満たす。
ただ、タイミングが最悪だ。今だけは、その姿を見たくなかった。
駆けつけてくれた事への喜びと、吐き気を覚えるほどの焦燥感。
これで、選択肢は一つになってしまった。
陽菜を巻き込まないためには、エステアを全力で止めるしか道はない。
たとえ、魔女と罵られたとしても──
「私、気づいてしまいました!」
「……なんだ、あいつ」
エステアが不審がって陽菜を睨みつける。それも無理はない。
世紀の発見をしたと言わんばかりの、幼子のような純粋な笑みを浮かべる陽菜。
巨大な火球が宙で渦巻いているような、この状況には不釣り合いだろう。
陽菜の言葉を待つ。
「涼花さん、大好きです!貴女を、愛しています!」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
貰ったのは、単純明快で分かりやすい、愛の言葉。
「だから、こんな所で死なないでください!もっと、涼花さんとやりたいことがあるんです!」
ありきたりで、絵本で幾度となく見たような、告白。
でも、それが自分に向けられる日が来るなんて、思ってもいなかった。
顔を真っ赤にして全力で叫ぶ陽菜の姿が可笑しくて、少し笑ってしまう。
少なくとも、こんな命のかかった修羅場で叫ぶようなことではないだろう。
いつかの路地裏でも、こんなことがあった気がする。
いつだって、彼女は死なせてくれない。
優しくて、一生懸命で、少し強引な──愛おしい少女。
「陽菜……私が魔女でも、愛してくれる?」
問いかけながらも、彼女ならこんな悩みは、笑い飛ばしてくれるような気がした。
らしくない楽観的な考え。こんなの、似合わないだろうか。
でも、いよいよ自分も、馬鹿になってしまったらしい。
なんでもないことのように、陽菜が微笑む。
それだけで、全てが報われる気がした。
「私は、とっくに知っていましたよ。貴女の、美しい力を」
涼花が指を鳴らせば、あたりの空気が軋み、凍りついた。
立ち込めていた霧も雪に変わり、ゆっくりと降り積もっていく。
「なっ……!お前──!」
今思えば、姉の懸念は尤もだ。
エステアとフレミアと自分の、そして魔素の力。
直感でしかないが、おそらくこれらは同種のものだ。
人が持つべきではない、まさしく“魔”の力。
それを操る己は、文字通りの魔女に他ならない。
だけど、もう大丈夫だ。
誰に疎んじられても、自分を想ってくれる、ただ一人がいるなら。
──私は、魔女になったって構わない。
「見ててね、陽菜」
腕を掲げれば、頭上に冷気が渦巻いていく。
──もっと、鋭く、そして、冷たく。
あまりの低温に空気が悲鳴を上げ、地面が凍りつきひび割れる。
しかし、少しも寒さを感じることはなかった。全てが、己の意のままにあった。
前方に立ち尽くすエステアを見つめる。
彼女は呆然としたような眼差しをこちらに向け、足を止めていた。
「ばいばい」
「──くそったれ!」
エステアが我に帰ったように腕を掲げるが、もう手遅れだった。
その腕が振り下ろされるより早く、氷の槍が彼女を貫いた。




