第21話 衝動
涼花は再び大樹に接近し、その周りを飛び回る。
迫る枝葉を躱しながら、大樹を切りつけていくが、やはり効いている様子はない。
だがそれで構わない──重要なのは気を逸らすこと。
「何度やっても無駄ですわ!」
フレミアはまるで音楽団の指揮者のように大樹を操っている。
涼花はフレミアの動きを観察しながら、さらに深く踏み込み、大樹の懐に入り込んだ。
「血迷いましたの!」
フレミアが笑い、嬉々として腕を振り下ろす。
大樹がその巨大を使って涼花を押しつぶそうと、地面へ倒れ込んだ。
──しかし、それは涼花の狙い通り。
大樹に攻撃を仕掛けることなく、涼花はその元から飛び退いた。
「陽菜!」
「待ってました!」
合図を受けた陽菜が、倒れ込んだ大樹に向けて、何かを投げ入れる。
途端に大樹の枝葉から火の手が上がった。
「なっ、なんて野蛮な……!」
消毒用のアルコールと布を使った、即席の火炎瓶。
フレミアの表情が怒りに染まる。
「そんな小火、無駄ですの!」
確かにそれは、大樹の巨体に比べれば、小さな火種に過ぎなかった。
火をかき消すように大樹が暴れる。
しかし突如、ぱちぱちと、気泡が弾けるような音が連続して響いた。
燃える大樹の表面から、無数の気泡が湧き出し、あたりに雨上がりのような青臭い匂いが立ち込めた。
「な……」
「ばいばい」
涼花が指を鳴らすと同時、不自然に火の手が大きくなり──大爆発を引き起こした。
§
あたりには水蒸気が立ち込め、天高く舞上げられた大樹の残骸が降り注ぐ。
「何が……!」
陽菜も驚いたようで、爆風から身を庇いながらも、その光景を眺めていた。
「うぅ……」
爆風によって、大樹の元から派手に吹き飛ばされたフレミアが、呆然と身を起こす。
ふらつきながら地面に手をつくその姿は、隙だらけであった。
懐まで距離を詰めた涼花が、フレミアの右腕を斬り飛ばす。
「いっ……!」
そして、短い悲鳴を上げる彼女の腹を、容赦なく蹴り飛ばした。
大きく弾き飛ばされたフレミアが地面に転がる。
「右腕、これでおあいこ。そろそろ降伏したら?」
倒れ伏すフレミアに、一応降伏を呼びかける。
フレミアは右肩を押さえつけて、こちらを睨みつけた。
「なんの真似ですの……」
「いや、まあ殺すのも可哀想かなって」
フレミアはこちらを殺すつもりだった。当然、彼女は殺されても文句は言えないだろう。
しかし、一応フレミアとは意思疎通ができる。
それに、この少女を殺すところを、陽菜に見られるのは嫌だった。
願わくば、このまま無抵抗に降伏を。しかしその考えは甘かったらしい。
俯いたまま、ゆっくりとフレミアが立ち上がる。
「また綺麗事を……あなたたちは、人間は、どうして」
顔を上げたフレミアに、涼花は息を呑む。
少女の瞳には果てしない憤怒が渦巻いており、血の涙が溢れ出していた。
「わたくしの姉様を──殺したくせに!」
悲鳴のような、泣き声のような、慟哭。
周囲から黒い靄が集まり、鮮やかな黄色の髪には黒が混じっていく。
美しい花園を無遠慮に踏み潰すような、冒涜的な光景だった。
渦巻く魔素の中、俯く少女の額から伸びる2本の歪な角が酷く痛々しい。
「死ね」
フレミアが涼花を指差す。
莫大な量の魔素による奔流が襲いかかるが、涼花は動けない。
憎悪と悲嘆に支配されたフレミアの姿から、目が離せなかった。
「涼花さん……っ!」
魔素に飲まれる直前、横合いから飛び込んできた影に突き飛ばされた。
地面を転がり、慌てて顔を上げると、そこには魔素の渦に飲まれる陽菜の姿。
やがて魔素はその体への吸い込まれ、陽菜は地面へと倒れ込んだ。
「陽菜っ……!」
我に帰った涼花は慌てて駆け寄り、その体を揺する。しかし反応はなかった。
「無駄ですわ。もう手遅れですの。綺麗事なんて捨てて、本性を見せてくださいまし!」
「なっ……!」
涼花の顔が蒼白に染まる。
ゆっくりと身を起こし、虚な目でこちらを見下ろす陽菜の姿に、あの日の桃華が重なった。
恐怖か、憎悪か。涼花には陽菜の衝動が予想できなかった。
憎悪に囚われた陽菜に殺されるならまだいい。
しかし、もし陽菜が恐怖に呑まれてしまったら。
そう考えるだけで、全身が凍りついたように動かない。
陽菜は虚な目のまま、両手を涼花に向けてゆっくりと伸ばす。涼花は目を瞑った。
──ああ、この子に殺されるなら。
抵抗せず、されるがまま陽菜に押し倒される。
陽菜の顔が首元に近づいてきて、吐息が少し擽ったかった。
皮肉なもので、それはいつか自分が鬼にした殺し方と同じ。
きっと化物の最後には、丁度いいのだろう。
涼花は目を閉じてその時を待つ。陽菜の口が近づいてきて──
──かぷり、と涼花の首を噛んだ。
「えっ……ちょっ、いたっ……!」
想像していた衝撃も、肉を裂く激痛もない。
ただ、小さな歯がちくりと皮膚に食い込む、くすぐったいような感触。
涼花は身を捩るが、陽菜は止まらない。
そのまま無言であむあむと、涼花の首を噛み続けた。
「ちょっと……!くすぐったいって!」
「な、何をしてますの……!」
遠くで目を白黒とさせているフレミアの姿が目に入る。
訳のわからない状況に、頭が沸騰しそうであった。
「ごめんっ!陽菜……!」
「きゅぅ……」
あまりにの羞恥に耐えきれず、陽菜のうなじを叩き、昏倒させる。
あたりに気まずい沈黙が落ちる。涼花は咳払いした。
「ふ、ふん。残念だったね。陽菜に、そんな醜い衝動はないってさ」
「なんですの……それ……」
少し震えた涼花の言葉。フレミアは呆然とするが、すぐにその表情が憤怒に染まる。
「とことん──気に入りませんわ!」
「そう。でも、それは私も一緒」
陽菜をそっと地面に寝かしつけ、ゆっくりと立ち上がる。
もう、彼女を殺す理由は十分だった。それに今なら、陽菜の目もない。
「もう、容赦しないから」
「何を……」
──そうだ、何を怖がっていたのだろう。
陽菜は4年も一緒にいて、こんな自分の居場所になると、そう言ってくれたのだ。
よく知らない誰かを重ねて、決めつけてしまうなんて最低だった。
涼花はゆっくりとフレミアの方に歩いていく。
「このっ……!」
フレミアが涼花に向かって腕を振り下ろす。
地面から現れた無数の蕾型の魔物が、涼花へと襲いかかる。
──しかし、それらは涼花に届く寸前で、凍りつき動きを止めていた。
「なっ……」
陽菜がこうまで自分を慕ってくれる理由は分からない。
でも、もう大丈夫だ。誰から疎まれ、化物と言われても。
ただ一つ、帰る場所があるなら。
フレミアの目の前で立ち止まる涼花。気づけば、周囲には霜が降りていた。
「ねえさ──」
涼花の刀が、フレミアの胸を貫いた。
§
あたり一面に広がる福寿草の花園。
凍えるようにして横たわる少女の胸からは、夥しい量の血が流れていた。
少女は呆然とした眼差しで涼花を見上げる。
「なんで……」
「ごめんね……おやすみ」
涼花は無慈悲に、少女の首を斬り落とす。
少女の体は黄色の光へと変わり、天へと昇っていった。




