第20話 花園
長かった樹海を抜けると、その先には廃墟が広がっていた。
涼花も、樹海の先の景色を目にするのは、これが初めてだった。
これが、大侵攻以前に人々が暮らしていた街並み。
倒壊した数多の建物に絡みついた植物の蔦が、確かな年月を感じさせた。
陽光に照らされる朽ちた残骸。瓦礫の山を覆い尽くすように広がる草原。
自然の無常さと、人類の営みの儚さ。
どこか美しいその光景に目を奪われながらも、廃墟の中を進んでいく。
地図を頼りに進んでいき、やがて目的地と思しき場所に辿り着いた。
果てなく続く白い石塀と、古めかしい木造の城門。
「ここ、だよね」
「みたいですね……」
手元に地図を広げれば、覗き込んだ陽菜が同意を示した。
やはりここで間違いないらしい。思い切って城門を押しこむと、軋んだ悲鳴を上げながらも、ゆっくりと開いていく。
その先には、想像だにしない景色が広がっていた。
「わぁ……」
視界を埋め尽くすほどの眩い黄色──あたり一面に咲き誇る花の園であった。
花園には木の板で作られた一本道が敷かれ、その先には古めかしい屋敷のような建物が見えた。
「これ全部、福寿草ですよ……!」
陽菜が瞳を輝かせ、はしゃぐように花畑を見渡す。
その様子を眺めながら、涼花も進んでいく。
やがて、陽気な鼻歌が聞こえてきた。
歌声を頼りに木道を進んでいくと、見えてくるのは屋敷の全貌。
屋敷というより、寺院と言った方が的確だろうか。
寝殿造のように配置された古めかしくも荘厳な建物と、中央には風情のある庭園。
庭園には厳かな空気を纏う老樹が聳えており、植物の蔦で編まれた木製のブランコがぶら下がっていた。
──そこに腰掛け黄色い髪を揺らした、幼い顔立ちの少女。
ご機嫌に歌を口ずさんでいた彼女も、こちらに気づいたようで動きを止めた。
少女と涼花の視線が交差する。
「え……?」
「えっと、」
あたりに気まずい沈黙が落ちる。
しばし、固まった少女は咳払いを一つして、優雅に一礼をした。
「ようこそ、わたくしの花園へ。わたくしは、フレミアと申しますわ」
「ご丁寧にどうも。私は涼花で、こっちの子は陽菜」
再び沈黙が落ちる。
こういう時、何と言えば正解なのか、涼花はいつも分からなかった。
「えっと、歌、上手だね」
少女のこめかみがぴくりと震えた。どうやら不正解だったようだ。
やがてフレミアと名乗った少女は観念したように嘆息した。
「はぁ……最悪ですわ。こんな姿を見られるなんて」
「いや、まあ、楽しそうでいいんじゃないかな、うん」
涼花は精一杯フォローを入れるが、少女は恨めしげな眼でこちらを睨む。
「そもそも、どうしてここまで来ているんですの」
「えっと……最近、近辺で異常が発生しててね。それでその原因が……あれ?」
姉はなんと言っていたか。
その原因が知性を持つ魔物で、ここに居ると、そう言っていたのではないか。
「そうではなくって、どうやってここまで来たのか。そう聞いているんですの」
「どうやって……?」
意図の掴めない少女の発言に、首を傾げる。
そんな涼花の姿を見て、可笑しそうに少女の口が綻んだ。
──花の咲くような純粋な笑み。
「だって、樹海で始末できたと思ったんですもの」
その無邪気な言葉に、涼花と陽菜は凍りついた。
慌てて距離を取り、陽菜を庇うように立ち塞がる。
「はぁ……気に入りませんわね。そういう人間の自己犠牲とか、大嫌いですの」
フレミアが悪意のない純粋な笑みが、憎悪を帯びて歪んでいく。
ようやく涼花も気持ちを切り替えた。この少女は間違いなく魔物──人類の敵だ。
「それに貴女達の間抜け面、なんだか嫌いですわ。見ているだけで苛立ちが止まりませんの」
「あっそ。さっきの音痴な鼻歌に比べたら、随分マシだと思うけどね」
刀を抜き、少女を真っ向から睨み返す。
挑発を受け、フレミアの瞳に苛立ちの炎が宿った。
「ああ、その口ぶりも気に入りませんわ。私の前から──」
フレミアが指を鳴らすと同時、大地が轟音とともに揺れ始める。
それは次第に大きくなり、地面が割れるような亀裂が走った。
フレミアが手を振り上げる。
彼女の傍に聳えていた老樹が、巨大な根を足のようにして立ち上がっていた。
その枝葉は生き物のように揺らめき、こちらを威嚇している。
「──消えてくださいまし」
フレミアが手を振り下ろすのを合図に、大樹が枝葉を地面に叩きつける。
あたりに轟音が響き、戦いの火蓋が切って落とされた。
§
涼花と陽菜は散開して、大樹から距離を取る。
幸い挑発した甲斐はあったようで、大樹の狙いは涼花だった。
涼花の腰ほどもある、太腕のような枝を紙一重で躱し、素早く刀で斬り付ける。
だが、斬り口はたちまち塞がり、何事もなかったように再生した。
「やっぱ効かないか……!」
大樹が枝葉を大きく振り回せば、無数の鋭い葉が涼花めがけて降り注いだ。
襲いかかる葉を最小限の動きで躱し、刀で弾きながら距離を詰める。
狙うべきは大樹の背後にいるフレミア。
しかし、あと少しで刃が届くということころで、大樹の腕が涼花の刀を遮った。
「きゃっ……!」
「邪魔くさい……!」
目前に迫った切先に、フレミアが短く悲鳴を上げる。
本体はおそらく脆いが、それを庇うように立ち回る大樹が厄介だった。
涼花は舌打ちしながら、一度後退した。
「陽菜、大丈夫?」
「はい!この程度、なんともありません」
陽菜の方にも攻撃は飛んでいたが、無事に対処できたようで安堵する。
やはり成長が速い。才能があるとは思っていたが、想像以上だった。
本格的な訓練をつけるのが、今から楽しみだった。
そのためにも、今ここで負ける訳にはいかない。
「あの大樹が厄介ですね」
「うん、斬っても大して効いていないみたい」
おそらくフレミア自体の戦闘力は皆無だ。
だが近づこうにも、大樹がその巨体を振り回して邪魔をする。
図体が大きいというのは、それだけで驚異だった。
普段であれば、多少傷を負うことは覚悟の上で、突っ込んで仕留める。
しかし、今は本調子ではない。道中受けた傷──右腕の痺れが残っていた。
それに、無茶をすると、また後で陽菜が怖そうだった。
「涼花さん、駄目ですよ」
「うん、分かってる。でも、どうしようかな……」
一つ案はあった。しかし、それを実行するには陽菜の協力が不可欠だ。
成長したとはいえ、陽菜を危険に晒すことにはまだまだ抵抗があった。
──それにこの案は、その上で陽菜には見られないように動かなくてはいけない。
「涼花さん。2人で、勝ちましょう」
念を押すような陽菜の言葉に涼花は苦笑する。
──全く、自分の考えはそんなにわかりやすいのだろうか。
だが、そうだ。この子は守られるだけの少女ではない。
2人で“良いこと”をしようと、そう言ってくれたのだ。
「……そうだね。よし陽菜、ちょっと一仕事頼むよ」
「はい!任せてください!」
目を輝かせて喜ぶ陽菜の様子が少し可笑しくて、釣られて笑ってしまうのだった。




