第19話 傷痕
鬱蒼とした森の中を、川に沿って南下し続けてから、すでに1時間ほどが経過していた。
道中でリザードやオークなどには時々遭遇したが、全て涼花があっさりと片付けてしまった。
陽菜は少しもどかしいものを感じながらもその後ろをついていく。
体力作りのため──そう言って涼花が選んだ、陽菜の身長ほどもある大剣。
ハンターになった祝いにプレゼントして貰ったそれも、未だに重りとしての役割しか果たしていない。
ここ数ヶ月で少しは動けるようになってきたが、力の差は歴然だった。
彼女は一息で間合いを詰め、オークの太い首を細い刀身で両断する。
どうすれば人間にそんな動きができるようになるのか、陽菜には想像も付かなかった。
そうして順調に進む2人の目の前に立ち塞がるように、森の中から現れたのは、見慣れぬ魔物。
人の腰ほどの大きさの花の蕾から蔦のような手足が生えた、悍ましい姿──それが10匹ほど。
「植物型の、魔物?」
「陽菜、下がってて」
涼花もやはり初めて目にしたようで、警戒したように刀を構え前に出る。
その指示に従い陽菜が下がろうとした途端──魔物の姿がぶれた。
「はやっ……!」
矢のような速度でこちらへ飛来する魔物。
涼花は危なげなくそれを躱し、すれ違いざまに真っ二つに切り裂いた。
それを見た残りの魔物が次々と飛びかかるが、その悉くが切り裂かれていく。
魔物の群れは、次第に数を減らしていった。
そして残された最後の一体が飛びかかり──
涼花の刀がそれを真っ二つにした途端、その姿が爆ぜた。
あたりに撒き散らされる、黒い靄──高濃度の魔素。
「涼花さん!」
「来ないで!」
思わず靄に呑まれた涼花に駆け寄ろうとするが、彼女に制止され足を止める。
「……っ!」
鋭い風切り音のあと聞こえたのは、涼花の短い悲鳴。
靄の中から、棘のような何かがいくつも飛んでいくのが見えた。
──気づけば体が動いていた。
全力で大剣を奮い、靄を吹き飛ばす。
あれだけ重いと感じていた剣も、今は不思議と手足のように扱えた。
靄が晴れると、木陰に隠れていた一匹の魔物が、涼花に飛びかかろうとする光景が目に入った。
「この──!」
踏み込めば、体は羽のように軽く、一息で数間を駆けた。
目で追うことが精一杯だった魔物の動きが、不思議と緩慢に見える。
引き伸ばされた時間の中で、体が思い描いた通りに動いていく。
──陽菜の大剣が、飛び掛かる魔物の体を叩き潰した。
§
植物型の魔物との戦闘を終え、手当てのため、涼花を川辺の岩場に座らせる。
所々に穴の空いてしまった外套を脱がせ、その傷を確認していく。
「腕、見せてください」
「う、うん」
涼花の右腕を取り、その肩口についてしまった傷を確認する。
幸い深い傷ではなさそうであったが、少し赤く腫れてしまっていた。
それに肩を上げる涼花の動きが少しぎこちないことが気にかかる。
「動かせますか?」
「動くけど……ちょっと痺れるかも」
やはりあの魔物の姿から推察できたが、おそらく植物性の毒だ。
致命的なものではないように見えるが、放置はできなかった。
「吸い出します。少し痛みますが、我慢してくださいね」
「うん……え?ちょっ」
涼花が何か言っているが、構わずその腕に口をつける。
そのまま噛むようにして、傷口を吸い出すと、短い悲鳴が聞こえた。
しばらく傷口を吸うと、下に感じるのはぴりりとした痺れ。
すぐにそれを吐き出し、川の水で口を濯いだ。
「この独特な香りと痺れ、福寿草ですね。ここらには生息していないはずですが……」
「植物型の魔物に毒……やっぱりきな臭いね」
それに、彼らの動きは随分と統率が取れていたように見えた。
何か作為的なものを感じ──エレナと涼花が話していた意思を持つ魔物の存在が脳裏によぎる。
「とりあえず残りの傷も確認します」
「うん、ありがとう」
ひとまず考えるよりも、今は手当が先だ。
傷を確認しながら、真っ白な肌を濡らしたタオルで丁寧に拭いていく。
幸いなことに、どの傷もそこまで深くはなく、すぐに治るような物だった。
「もう、無茶はダメです。次からは私も一緒に戦います」
「う、うん。ごめん」
居た堪れないように目を伏せる涼花を眺める。
手当のためにインナーまで脱いでもらったので、彼女が身につけているのは、陽菜が選んだ可愛らしい下着のみ。思わずその露出した腹部に目がいく。
タオル越しに触れてみると、柔らかさと同時に確かに引き締まっているのが感じられた。
これが、全女子が憧れる腹筋。
「ひ、陽菜?」
そのすべすべとした肌を丁寧に拭いていく。
所々、赤く腫れてしまった傷跡がひどく腹立たしい。
いつも無茶ばかりして。この白い肌に傷が残ったらどうするつもりなのか。
どうせ治るからいいとでも思っているのだろうか。
「陽菜ってば……」
涼花に声をかけられ、顔を上げる。なぜか、その真っ白な首筋が目に入った。
どうすれば無茶をしないようになるのか。
──いっそのこと、消えない傷痕をつけてやれば、少しは反省するだろうか。
「ちょっ……!陽菜、目が怖いよ!」
涼花に肩を揺すられ、ふと我に帰る。
──今何か、とんでもないことを考えていたような気がする。
どんどんと顔が熱くなるのを感じた。
「えっ、あっ、すみません!えと……!とにかく、無茶はダメですからね!」
「う、うん、気をつける……えっと、それじゃあ、進もっか……」
そこからしばらく2人の態度は、どこか余所余所しいものになってしまうのだった。




